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Missing Never End  作者: 白田侑季
第2部 鏡像
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【ZIPANDA - ブラック センセーション】




「────────ごめん」


 悲痛な目で尋ねた彼に対し、あのコは絞り出すような声でそう謝った。


「ごめんなさい、たま」


 彼女は背を向けていて、私の位置からは彼女の表情は窺い知れない。けれど。


「ぼく、記憶が無いんだ。前は『メグ』だった、のかもしれない。でもいまは憶えていないんだ。……なにも、なにひとつ、頭の中に無いんだ」


 あのコの声に混じった、寂しさ。苦しさ。その様はどこか彼に重なるように。


「だから、たまの問いには答えられない。ぼくは、たまが誰なのか、知らない。……本当に、ごめんなさい」

「────────そんな」


 彼の顔から生気が抜けていく。瞳の奥から光が崩れ落ちていく。


「そんな。じゃあ、ボクは、一体……、」


 私は知っている。私はあの顔を知っている。あの顔を。────暗い洗面台の、鏡の奥に。


 そんな彼に、あのコは「でも」と必死に声を上げた。


「でも、ぼく、たまの曲を聴いた。たくさん、たくさん聴いた。だから、」

「……だから、なに。あれは『ボク』であってボクじゃない。あんなのは、ボクじゃない」

「そんなこと」

「無い、って言うの? 記憶が無いのに何でそんな無責任なことが言えるの? ボクのこと知らないんでしょ? ああそうだよ、ボクだって君のことなんか知らない。でも、それじゃあボクが今までしてきたことって何なの? ボクが込めてきたモノって、君に託してきたモノって、一体何だったの……?」


 虚ろな目。消え入りそうな声。永遠に返らない問い。


「どうしてだよ……。なんでだよ。ボクは誰なんだよ。ボクは────」






「────────輝かしくないわネ、まったく」






「…………は?」


 光の消えた彼の目が私を見る。白い蛍光灯に照らされた真っ白な顔が、あの日を思い出させる。でも怯まなかった。怯みたくなかった。口をついて出た言葉を、覆したくなかった。


「輝かしくないわヨ、今のキミ。キミは『自分は誰なのか』って言うケレド、それって結局『自分がどんな人間なのか自覚できていない』ってだけデショ? 自覚できない責任をそのコに押し付けるなんてナンセンスよ」

「……せき、にん?」


 彼の目が揺らぐ。けれど今度は崩れ去るのではなく、さながら熱せられた陽炎のように。


「違う。違うよ、何言ってんの? 的外れに説教とか止めてよ気色悪い。こんなの責任なんて言わない。分からないから聞いてるんだよ。分からないから、答えを教えてって言ってるんだよ。それってそんなに悪いこと?」


 虚ろな声のまま、彼は嘲笑うように口の端を吊り上げた。


「ああ、分かった。おまえは、自分のことよく知ってるって言いたいんだ。一から百まで知ってるって。それって自己愛者(ナルシスト)って言うんだよ、知らないの? キモ。まあでもしょうがないよね、おまえはオカマだもんね。そうでもしないとやってられないんでしょ大変だね分かる分かる。『自己責任とれる強いワタシってステキ』って言いたいんでしょ? 自慢話がしたいなら他所(よそ)でやってよ」


 次第に熱のこもっていく口調。鋭さを増していく言葉。それを一蹴するように「ンフフ」と笑った。


 なんだ、まだやれるじゃナイ。


「ンフフ! そうよォ、オカマって大変なの。何が大変って『好きでやってるんデショ?』って顔されるコトだもの。モチロンそういう面もあるんだケド。でも実際はその逆ヨ。少なくともアタクシは、『自分はそんな人間だ』って自覚しようと必死なだけ。根っこはキミと同じなの。……だからキミのこと、少しは理解できるつもり」

「勝手に一緒にすんなよ。どのみち、おまえは『自分が誰なのか』自覚できたってことだろ? それを自慢話って言うんだよ吐き気がする。おまえは勝手に生きてろよ。そういう慈善事業じみた優しさ、本当イライラする」

「アラ、慈善事業だなんて。そんなお優しい人にみえたカシラ? まあイイワ、それならもうひとつ。同じ苦しみを知る先達として、指摘してアゲル」


 私はキティちゃんの横にそっと腰を下ろし、彼に向かい合った。それからポケットに手を入れ、取り出したものを彼の眼前にかざす。


 かざす寸前、彼はソレが何なのかを瞬時に理解したようだった。頬を引きつらせ、すぐさま顔を横に逸らす。けれど少しだけ見えてしまったのか、喉へ力を込めた。首筋が張るほどに必死に。頬を膨らませ、えずきを堪えている。


「…………やっぱりキミ、視られないのね?」


 私の言葉に、彼が睨み返す。


「……おまえ、いつから、」

「キミがアタクシの部屋にやってきた、あの夜に。気付かないワケないでしょう? だってアタクシも嫌だったんだもの。まさかキミが、本当に吐きそうになるほど嫌いだとは思わなかったケド」


 彼が再びえずいた。さすがに可哀想になり、私は()()()()()()()()()()()()()()()()()


「あの時は部屋の電気もついてなかったし、良く見えなかったケド。キミが微かにえずいたのは見えたから」


 私は日頃からシャイニーを意識するため、部屋に置いた鏡の位置や向きは全て把握している。彼の立っていた位置とそこから見える景色は、それこそ暗闇で見えなくても分かる。身体に染み込んでいる。鏡が苦手な彼にとって、私の部屋に来ることは死地に赴くのと同義なんだろう。彼があの夜以来姿を現さなかったのは、そういう理由もあるのかもしれない。


「キミが鏡が苦手だって気付いて。キミの曲を聴いておぼろげに理解して。キミのさっきの叫びを聞いて、確信した。キミは『自分が誰なのか』って他人に迫るケド、本当は違う」


 彼は視線を逸らしたまま。その瞳に、屈辱と苦痛を滲ませたまま。






「────────キミは、キミ自身が嫌いなのね。吐き気がするほど」






「…………だったら、なんだ」

「キミに教えてあげようと思って」


 深呼吸する。改めて言葉にする、というのはとても。とても辛いものだった。


「自分が何者なのか知るのは怖いわ。どうしたって自分の醜いところが全部見えるし、自分のことだからこそ、醜さの程度が手に取るように分かるんだもの、当たり前よ。アタクシだってそう。……醜い自分は、汚い自分は視たくない。一欠片だって許したくない、それこそ殺してやりたいほどに。だからずっと問い続ける。『私は一体誰なんだ』って」


 でもね、とこぼす。あの日の想いを、一滴だけ。


「────────言っておくけれど。その問いが満たされることは絶対にないわ」


 彼が一瞬、目を見開く。


「だって、その問いのゴールって『自分で自分を赦す』ことなんだもの。でもダメ。アタクシとキミはそこへ辿り着けない。自分の醜さを嫌っている時点で、そのゴールは使い物にならないのよ。……だからこそ、アタクシ達はその問いから逃れられない。『自分が誰なのか』の答えは死ぬまで見つかることはないわ」


 想い出す。冷たい洗面台を。蛇口いっぱいに流れ続ける耳障りな水の音を。そこら中に散らばった夥しい数のメイク道具を。そして、鏡に映った自分の顔を。


 ────油彩画みたいに塗りたくられた、泣き腫らした、おぞましい自分の顔を。


 彼の目が死んでいく。現実に目を閉じていく。涙も残っていないような、そんな枯れた目を閉じていく。だからこそ。


 私が言わなきゃいけないんだ。「ねえ」って。軽やかに、何でもないことみたいに。






「────────ねえ、キミの好きな食べ物はなに?」






「────────え」

「ンもう、聴いてなかったの? キミの好きな食べ物よ。見る限りまだ育ちざかりデショ。好きな食べ物はナニ?」

「なんで、いま……」

「じゃあいいワ」


 私は続けて質問する。どんどん、どんどん、彼に聞きたいことを。


「好きな時間帯はいつ? 好きな景色は? 好きな音楽は? どれか一つでいいから教えてちょうだいナ」

「おまえ、」

「ああ、好きって言い切りたくないなら別のコトバでもOKよ。気に入っているバンドは? リラックスしたい時は何してる? きのことタケノコどっち派? 無人島に一つだけ持って行くなら……って、コレはちょっと違うカシラ」


 呆気にとられたように、というより呆れかえったように。彼は力なく鼻で笑った。


「……なにそれ。ボクを励ますとかだったらマジでダサい、」

「ンフフ、ザンネン。キミのご機嫌取りなんてこっちから願い下げヨ。これは、そんなんじゃないワ。『自分を知る』なんてそんなご大層なモノじゃない、って話」


 私は想い描く。キラキラしたコスメ。可愛いアクセサリー。バチバチにオシャレな服の数々。盛り上がれる曲。盛り上がってくれるフロアの観客。そして。


「自分を好きになれない、なんてアタクシたちにとっては至極まっとうヨ。その代わり、イマの自分の『好き』を知りましょ。自分が嫌いでも、イマの自分の『好き』は好きなままでいましょ。過去も未来も、哀しいことに、キミやアタクシを救ってはくれないワ。……なら、イマの『好き』を大事にしたって何にも悪いことじゃない。そしてその『好き』は、キミが決めることなの。誰かに委ねて良いモノじゃないのヨ」


「…………そんなの」彼は静かに口を開いた。「ただの子供騙しじゃん」

「ノンノン。子供騙しなんかじゃないワァ。強いて言えばそうねェ、……『好き』って音みたいなモノなの」

「音……」

「そ。一つの音符。ソレだけではほとんど意味を為さない、か弱いベイビー。でも『好き』は連鎖するの。集まって、メロディになって、小節になって、いつしか一つの曲になる。アタクシだって人間だもの、『(好き)』には必ずリズム(規則性)がある。それが折り重なって、響き合った最終形を『音楽(アタクシ)』って呼んで何がいけないのカシラ? ──それに、キミは『彼』を知っている」

「彼……? 誰だよ」


 皮肉混じりに首を傾げる彼。でも、その目にはもう何らかの光が宿っていた。それはまだ小さく脆い、微かな光だけれど。


「聞いたことくらいあるデショ? 『彼を知り己を知れば百戦(あやう)からず』ってコトバ。キミは最初から『彼』を──鏡の向こうの『自分』をちゃんと知ってる。鏡を視られなくても、その存在は知っている。なら後は『己』を知るだけ。そして『己を知る』なんて、『自分の好きを知る』、その程度で十分」


 私は気取ってウィンクしてみる。私が思い描いた、一番「好き」な「アタクシ」の為に。


「『己』を知ったなら────イマの『好き』を知れたなら、もう怖い物なんてないワ」




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