K汰 - ティア
〈…………ああ、そういうこと。この子を囮にするとか、やっぱりクソニートは考えることが違うね。最低〉
「ハッ、なんとでも言えよ」
ケーブルの先をゆらゆら振り回しながら、勝ち誇ったように圭が笑う。
「だが、そんな言い方をするってことは、やっぱり図星だな?」
モニターから突き出た腕が呆れたようにだらんと垂れ下がる。男のヒトは何も言わない。ということは、圭が言っていた通りなのかもしれない。
オフラインの端末。圭が言っていた単語の意味はまだ分からないけれど、おそらくインターネットに繋がっていないパソコンやスマートフォンのことを指すのだろう。
「思い出したんだよ。あんたが最初にこの部屋で、俺のパソコンに入り込んで来たとき。俺はあんたをハッカーだと思った。でもあんたは『そんな感じかも』って答えただけだった。つまり、あんたはハッカーそのものじゃねえ」
ひとつひとつ順を追うように、圭は追い詰めていく。
「あんたの新曲、見たぞ。俺を真正面から撮った映像だったな。そのパソコンの内蔵カメラを勝手に使って盗撮したんだろ? いつ撮ったのかは知らねえが、気になったのはそこじゃねえ。一番は『何で盗撮以外のことをしてねえのか?』だ。あんたにやられた後、俺はすぐにここから逃げ出した。二つのモニターのうち右のやつは俺が壊しちゃいるが、左のモニターは電源を抜いただけだ。ネット環境もパソコン本体の電源もそのまま。それなのにあんたは、撮り貯めてた俺の映像を動画に使っただけ。保存されてるはずの俺の個人情報は何ひとつバラしてねえ」
圭はゆらゆら振り回していたケーブルを無造作に放る。
「つまりあんたは、画面に電源が入った状態の、オンラインの端末にしか入り込めねえんじゃねえか? その条件のうち、どれか一つでも当てはまらなかったら満足に動けねえ。……違うか?」
この男のヒトはインターネットの空間を介して様々な場所へ渡り歩くことができる。裏を返せば、インターネットに接続していなければ入り込めない。そして、画面に電源が入っていない場合も相手側に手出しできない。出口が開かないなら行動は起こせない。だから、彼が端末に潜んでいる間に何かしらの方法で接続を切ってしまえば。
男のヒトは何も言わない。無機質なモニターから伸びる腕が、鮮やかな夕焼けに照らされていて。まるでオレンジ色に塗られた彫像のようで。
〈………………だったら、〉
少しの沈黙の後、男のヒトの乾いた声が聞こえた。通話用ウィンドウから流れるくぐもった声。ノイズの混じったそれとは対照的な、生々しい腕。
〈だったら何? ボクをここに閉じ込めて、それで満足?〉
「んなわけねえだろ。こっちも用件言うぞ。俺が映った動画とその元データを消せ。それから、俺たちに二度と近づくな」
〈嫌だって言ったら?〉
「このまま今すぐモニターとパソコンをぶっ壊す」
圭の、初めて聞く冷たい声。容赦のない宣告。思わずパッと圭を振り返る。
「け、圭、そこまでは、」
「手加減しねえよ、お前に言われようとな。この男はこの部屋を奪ったんだぞ。……ここで、静かに暮らせるはずだった時間を、こいつが」
怒りを滲ませる圭。でもその裏に、どうしようもない優しさが見える。静かに暮らせるはずだった時間。それはきっと、ぼくのための。
「この状態で全部ぶっ壊されて、あんたが元に戻れるのかは知らねえ。興味もねえ。俺もあんたに興味ねえんだよ」
〈…………〉
「さっさと決めろ。俺はすぐキレる情緒不安定野郎なんだろ? なんなら三秒数えてやろうか?」
〈……………………ハハ〉
そのとき、男が笑った。
〈アハハハハハッ〉
力なく、けれど何か含んだような。切羽詰まったようなささやき。
〈すごいねぇ、K汰。なんだか漫画の主人公みたい〉
「……馬鹿に、」
〈馬鹿にしてないよ、馬鹿みたいだとは思うけど。だってそうでしょ? こんな、ボクみたいな三流の小物を捕まえて、嬉々としてマウント取って。そういうことできるのって、まさに主人公みたいって。普通そう思うでしょ?〉
圭の言葉を遮る男。その口調は次第に饒舌に、狂ったように。
〈良いよねぇ主人公様。一人で立って、一人で歩いて、一人で生きて行けるもんねぇ。……その子に聞きたいことがあるだけ、ただそれだけのカスみたいなボクの言葉なんて聞かなくたって、生きて行けるもんねぇ〉
「……何が言いたい」圭が口を挟むけれど。
〈なら、もういいよ〉男は、圭の声が聞こえないかのように喋ることをやめない。
〈もういい。もういいよ。全部もうどうでもいいよ。おまえらは強いもんな。綺麗で、主人公で、天才だもんな。どうせ、独りで生きていけるもんな。────だったら、〉
男の腕がスウッとモニターに溶けるように沈んでいく。次に現れた時に、その手には何かが握られていた。それは、燃えるような夕日にその筐体を強く照らされた、
一台のスマートフォン。
〈────────いっそ全部晒してやるよ〉
「!! てめっ、」
圭の焦った声をも遮って、彼の独白は滴るように、止めどなく。
〈晒してやる。『すてき』なおまえを、ボクが代わりに全世界へ発信してあげるよ。晒せよ。暴露して、公開して、それでもみんなに注目してもらえて。そうして独りで生きていけばいいじゃん〉
リズの家に彼が現れた時の光景がフラッシュバックする。ぼくらの前から消え失せた時、彼は確かにポケットからスマートフォンを取り出していた。彼は最初からスマートフォンを、逃げ道を確保していた。
もしかして彼は。ぼくらの作戦を、最初から想定して────。
〈自信があるんだろ? やりたいことがあって、表現したいことがあって、だからPなんてやってるんだろ? 自分が見つける音も、自分が書き上げる詩も、自分が作り上げる曲も、そんな曲を作れる自分自身も。全部全部全部全部許せるから納得できるから好きでいられるからこんなことやってるんだよな? 有名になりたいんだろ? それを望んでここまで続けてきたんだろ? だったらおまえにとってこの程度何ともないんだろ? なあッ!?〉
男の親指が怒りに震える。
画面をなぞる。カメラがぼくと圭を凝視する。ピコン、という起動音が虚しく響く。
〈────────だっておまえは、音楽に愛されてるんだから〉
撮られる。撮られる。撮られる。圭の時みたいに動画にされる。動画にされて、そうしてきっと大勢の、名前も顔も知らないヒトに、視られて、
ぼくを凝視するカメラ。ぼくを凝視する大勢のヒト。
いやだ、いやだ、胸が苦しい、息が止まらない、めのまえが、
そのとき。
「────ッ!!」
圭がバッと右手を突き出した。
息の吸い過ぎで霞んだ視界にも、それははっきりと映った。圭が右手に握ったスマートフォン。それをぼくらと男の間に掲げる。
でも、男とは向けている面が違う。圭が男に向けているのは、スマートフォンの画面の方……?
一瞬のうちに、圭はぼくを守るかのように左腕で抱きかかえた。そして誰にともなく、叫ぶ。
「リズ、たのんだッ」
────────次の瞬間、音が耳を劈いた。
つかの間、何が起こったのか分からなかった。まだ耳元がわんわんと反響していて、何も聞き取れない。
ようやく耳鳴りが収まり、視界も安定してきたところで、目の前の光景が理解できた。
スマートフォンを握ったままの男が、モニターから吐き出されたかのように、白目を剥いて床に横たわっていた。
耳元でため息をつく声が聞こえた。顔を上げると、ぼくを抱きかかえた圭の疲れたような顔が見えた。
「リズ……、あんた……、少しは、手加減しろ、っての…………」
そんな圭の呆れた声に応えるように、圭がかろうじえ握ったままのスマートフォンから〈ンフフ〉と、聞きなれた笑い声が流れた。
〈アラ、ごめんあそばせ。ちょっとハッスルし過ぎちゃったカシラァ?〉
「ちょっと、どころじゃ、ねえ……」
〈ンフフ、シャイニィーッ!!〉
「だから止めろってマジで…………」




