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Missing Never End  作者: 白田侑季
第2部 鏡像
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K汰 - F.lily




 ガラリ、とガラス戸をスライドさせると、ぬるさを含んだ夜気が鼻先をくすぐった。


 このリズの家は大きな道から少しだけ離れた所にあるらしく、街の騒音はほとんど響いてこない。目に映る家々の灯りも消えていて、生活音もない。おかげで心臓が早鐘みたいに鳴ることもなく、外の空気が吸えている。


 リズはもう眠っている。部屋の隅で縮こまるように眠る姿は、見ているこちらが窮屈な気分になる。ぼくがロフトを借りているから寝る場所が無いのだろうと思うと、少し申し訳ない。代わりに、すぅすぅとたてる寝息はとても安らかだった。


 目を閉じて、鼻から大きく息を吸う。昼間の暑さがほんのり残った空気。


 夜には特有の匂いがあるのだと、最近知った。ぼくはこの匂いが好きだ。ヒトが知らない、誰も顧みない、どこか余白のようなものを感じさせる匂い。


 目を開ける。自然と頭上に目がいった。真っ暗な夜空に、ちら、ちら、と明滅する星粒が綺麗だった。


 ぼく自身、どこで「夜空」や「星粒」を知ったのか、どうしてそれらを「そうだ」と見分けられるのか未だに分からない。この前アサヒに似たようなことを尋ねてみたら、みんなそうよ、とアサヒは笑った。


 私たちだって同じよ。目の前の物をどうしてリンゴだと認識できるのか、いつからそれをリンゴだと認識できるようになったのか、なんて気にしたこともないわ。大事なのは、それを見てアナタが何を感じるかじゃないかしら。


 アサヒの言葉を思い出しながら、ぼくはもう一度夜空を見上げる。


 緩い風がうなじの辺りをスウッと吹き抜けていく。バルコニーは静けさに包まれている。


 底のない夜空。どこまでも広がる暗闇の中に瞬く、いくつかの星々。ぬるいけれど心地よい夜風。昼間の喧騒を音もなく包み込むような、そんな夜の匂い。


 心地よかった。心の奥まで澄んで、落ち着いて、キラキラするような。


 この感覚をどう伝えたらいいんだろう。


 不思議だ。どうして、言葉で言い表せないことがあるんだろう。どうやったら言い表せるんだろう。


 ────どうやったら、圭に。


 横を見る。


 狭いバルコニー。その手すりに両肘を乗せたまま、圭はまっすぐに夜空を見上げていた。


 圭は耳に何かをはめていた。いや、知っている。イヤホンだ。イヤホンのコードの先は小さな板に繋がっていた。片手にすっぽり収まるくらいのその板を右手に摘まんで、圭は微動だにせず、夜風に吹かれるに任せていた。


 バルコニーは、ぼくと圭が並ぶとスペースがなくなるくらい狭い。けれど、ぼくが隣に立っても圭は一向に気付かない。あえて無視しているわけではないようだった。何かに集中するかのように、あるいは何もかもから遠ざかろうとでもするかのように、圭はひたすら夜空に視線を投じている。


 ぼくも無言で圭に倣う。背が違うから手すりに両肘を置けず、代わりに顎を乗せた。金属製のひんやりした手すりが気持ちいい。


 圭の横顔を見上げた。伸びた後ろ髪が風に揺れている。リズに身だしなみを注意されて、無精髭はなくなったけれど、目元はまだ少し疲れが滲んでいる。その反面、瞳の奥はキラキラとした光で満たされていた。以前見た、あのギラギラとした狂犬のような光は、今は見えない。


 あれから────「にくたまうどん」を名乗るヒトが圭を映した曲を投稿してから、三日が経った。


 あの男のヒトをおびき出す、と宣言した圭は、それから考え付いた案をぼくらに明かした。リズもアサヒも一時反対した。わざわざ相手に接触しようとするのは危険だ、また勝手に撮られたら(みんなは「盗撮」という言葉を使っていた)相手の思う壺だ、とも言っていた。でも圭は断言した。


 あいつにはきっと明確な目的がない。俺のことを大勢の人間に晒す、その手段に執着しているだけだ。真っ向から挑まない限り、延々と嫌がらせされ続けるだけだ。だからこそ、あいつは絶対に釣れる。


 そう断言した。


 それから圭は今日までの三日間、「にくたまうどん」の曲を聞き続けた。


 ネット上に投稿された曲も。その他の場所で公開されている曲も。果ては「にくたまうどん」の曲に対する聴者のコメントや、インタビュー記事までも読み漁った。相手を知る為の取っ掛かりでしかない、と圭は言っていたけれど、その言葉がどこまで本気なのか、リズもアサヒも掴み切れないようだった。


 その間、「にくたまうどん」の方には何も動きがなかった。


 圭の指示で、圭が持っていたスマホと、リズが使っていたスマホとパソコンは全て電源を切っていた。圭が「にくたまうどん」の曲を聴くときは、もっぱらアサヒのスマホを借りていた。アサヒの端末は使うのに、なぜ圭とリズの端末だけ使えなくするのか。二人が圭に聞いたけれど、圭は詳しくは語らなかった。


 彼の投稿した「バラバラパパラッチ」は、現在は再生回数の伸びも落ち着いたみたいだった。それでも少しずつ反響は広がっているらしく、次にどんな曲が投稿されるのかとネット上では大騒ぎらしい。


 そのコメントすら、圭はひたすらに読んでいた。動画に映った圭のことを「K汰だ」と気付いたヒトはいないだろう、とアサヒも言っていたけれど。


 疲れた表情の圭。貪るように曲を聴く圭。物思いに沈む圭。


 ────ぼくは、何の力にもなれないまま。


 ふいに圭が夜空から視線を外した。ふうっと息を吐き、その拍子に真横のぼくと目が合う。圭がびくっと肩を震わせた。


「────────っ! ……んだよ、居るなら声くらいかけろよ…………」

「あ、ご、ごめんなさい、」


 圭がイヤホンを外す。右手の小さな板にそっと指を触れて、ポケットにしまう。


「「…………」」


 それからぼくらは無言のまま、気まずい雰囲気だけが流れる。


 この三日間、まだ圭とうまく話せずにいた。


 圭は曲を聴くことに集中していたし。ぼくはぼくで、圭にこれ以上何て話しかけたらいいか考えがまとまらずにいた。あの日圭が僕に怒った理由も分かっていない。理解できていない。そんな状態で謝れなかった。


 圭の望む回答を用意できないまま謝って、呆れられて、飽きられて、愛想を尽かされて。何も考えつかないのにそんなことばかり想像して。何もできなかった。


 圭に、これ以上嫌われたくなかった。


 どうやったら圭にちゃんと謝れるのか、分からなかった。


 しばらくの間、ぼくらは何も喋らなかった。夜を駆ける風の音だけが軽やかに、寂しく耳をくすぐっていた。


「────────あー、くそっ」


 急に圭が髪をかきむしった。うなだれたまま、またしばらく間が空いて。


「お前、なんで俺が怒ってんのか、分かってねえんだろ」


 ドキッとした。胸に石が入ったように重たくなる。


「いや、悪いのは俺だな。お前相手に理由も言わずに、勝手に苛ついてんだから」

「ち、ちがうよ圭。ぼくなんだ。ぼくが分かってないから。圭の気持ちを、理解できなくて……」

「それこそ違えよ。記憶がねえお前には共感も難しいだろ。それを分かった上で、当てこすってたんだよ。……我ながら最低だな」


 圭はため息をつく。「……そうだよ、お前にははっきり言わねえと伝わらねえんだ」


 覚悟を決めたように、圭が正面から僕に向き直る。その真剣な目に怯みそうになる。胸の前でこぶしを握り締めて、圭の次の言葉を覚悟した。




「────お前は、お前なんだよ」




「────────え」




 圭は真っ直ぐにぼくを見る。


「お前はたぶん『メグ』だ。『メグ』は『バーチャルシンガー』だ。そして『バーチャルシンガー』は現実に存在する人間じゃない。それが事実だ」


 射貫くような強い視線で、ぼくを見る。


「だが、()()()()()()()。お前は現在(いま)現実(ここ)にいる。アイスを美味そうに食って、人混みが怖くて泣きべそかいて、そうやって現実(ここ)にいるじゃねえか。『前はどうだった』とか『メグは人間じゃない』とか、そんな小っせえこと気にして、勝手に納得してんじゃねえよ」


 夜空を背に、少し泣きそうな、星粒がきらめくような瞳で、ぼくを見る。


「────────現在(いま)現実(ここ)にいるお前を、お前自身が蔑ろにすんなよ」


 突然、胸の奥が熱くなった。風が強く吹いて、急に夜空の星が一際強く輝きだした気がした。


 ようやく分かった。圭は「メグ」を大事にしていたけれど、ぼくに「メグ」を重ねていない。ぼくをぼくとして見てくれている。記憶が無い、共感もまともに出来ない、みんなの役に立てないぼくを、それでもぼくとして。


「────────あ、」


 言葉が喉から出ようとする。熱く、灼けるような言葉が、それでも不思議と心地よく。


「────ありが、とう」


 この感覚をどう伝えたらいいんだろう。不思議だ。どうして、言葉で言い表せないことがあるんだろう。どうやったら言い表せるんだろう。


 さっきと同じ疑問なのに、さっきと違って寂しくない。むしろ。


「ありがとう。ありがとう。ありがとう」


 壊れたようにつぶやく。何度でもつぶやく。だってぼく、何度でもつぶやきたい。


 ぼくが、そうしたい。


「────────ありがとう、圭」


 ずっと分からなかった。ぼくは何者でもなかった。何者でもないのに、空っぽなのに、ここに居る意味が分からなかった。「ぼく」が分からなかった。それでも納得しなくちゃいけないって思っていた。事実納得できたし、それでいいと思っていた。空っぽのぼくを、空っぽのまま納得して、それなのにどこにも行けない、ふわふわした感覚が怖かった。「空っぽのぼく」を受け入れることが、怖かった。


 でも、もう大丈夫。今なら、以前アサヒが言ってくれた時に感じたあたたかさも、分かる。あたたかさの意味が分かる。


 圭に駆け寄り、抱き着く。言葉が溢れる。喉の奥から、胸の奥から──心の奥から、溢れる。


「そう言ってくれて、ありがとう。ぼくを『ぼく』って言ってくれて、ありがとう」


 ずっとありがとう、を繰り返すぼくの頭を、圭が優しく触れてくれる。そっとリズミカルに撫でてくれる。


「……やっと分かったかよ。ったく、これだからガキは」

「ぼく、ガキじゃない」

「言ってろお子様」

「お子様でもない」

「こんだけ甘えといて説得力ねーよなー」


 そんじゃ、と圭がぼくを引きはがす。


「あいつのことも手っ取り早く片付けて、お礼の一つや二つしてもらいてえもんだ」

「あいつって、『にくたまうどん(あの男のヒト)』?」

「そうそう、あの盗撮魔な。あいつのせいで、スマホもパソコンも心置きなく使えねえし。そもそも、こっちは一切悪くねえのに逃げ回らねえとなんねえのも癪だ。そうだな……、明日だ。明日決行すんぞ」


 決行。その言葉に、少しばかり身が引き締まる。


「前に圭が言ってた『作戦』?」

「そうそう。さっさと決着つけんぞ」

「……あんまり、ひどくは」

「しねえよ。暴力沙汰には絶対なんねえ。『もうしねえ』って言わせるための取引みてえなもんだ。……ま、ちっとばかしトラウマになれば尚良しだけど?」

「それを『ひどく』って言うんじゃないの?」

「おーおー、お子様はお優しいことで」

「お子様じゃない」

「そんなお子様はさっさとネンネしとけー。明日は準備でバタバタすっから」

「お子様じゃないったら」


 ぼくの抗議をよそに、圭は意地悪そうな顔で手をひらひらと振った。ぼくは仕方なくまたガラス戸を引いて、部屋の中へ戻る。


「おやすみ、圭」と、ぼく。

「おう。おやすみ」と、圭。


 深夜の街。心地いい夜の匂い。夜空にまばらな、けれど輝く星粒たち。明日何が起こるか、少し不安な所もあるけれど。


 今日は、ゆっくり眠れる気がする。




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