K汰 - 路地裏叛逆少年
しばらくの間、圭もリズもアサヒも、硬直したまま誰も喋らなかった。動画から目を離せないようだった。
「……? みんな、どうしたの?」
ぼくの問いかけにも反応が薄い。
「どうして、圭が映っているの?」
再び尋ねてみる。
「……知るかよ」圭が低く唸る。「だが、こいつだ。こいつがあの男だ、間違いなくな。クソッ!」
そう言って圭がドン、とテーブルを殴った。反動で跳ねるスマホが乾いた音を立てる。
「……K汰ちゃん、気持ちは分かるワ。でも落ち着いて」
「『落ち着け』? 盗撮動画を勝手に晒されておいて落ち着けって?」
「そうヨ。こんな時こそ落ち着かなきゃ。……相手の願った通りにイライラするなんてシャクでしょ?」
圭は刺すような視線でリズを睨んでいたけれど、やがてゆっくりと肩の力を抜いた。
「アリガト、K汰ちゃん」
「感謝される言われはねえよ」
ぼくだけ事態が上手く呑み込めない。何が起こっているのか分からずみんなの顔を黙って見回すしか出来ないでいると、アサヒと目が合った。ぼくの様子を察してくれたのか、困ったように笑う。
「そっか、アナタにはなかなか理解しづらいわよね」
「……ごめんなさい」
「ほらほら、すぐ謝らないの。記憶が戻らない子に理解しろ、だなんて誰も言わないわよ」
それから、アサヒは深刻な表情で説明してくれる。
「あのね。圭くんたち『P』は基本的に誰にも顔を見せないようにしているの。ネット上で顔を見せる、ってことは自分の顔を世界中の人が知ってしまうってことだから。特に有名なPになればなるほど顔を出すリスクは高くなる」
「リスク?」
「ええ。前に、汐野日影のライブ中継を見せたでしょう? 彼女みたいに世間に対して広く顔出ししている人は、それ相応の危険を負って仕事をしているの。『顔』や『名前』はたくさんの人に認知されればされるほど、良くも悪くも『的』になるものだから」
「まと……」
的。確かにそうかもしれない。誰もが顔を知っているということは、それだけ注目されているということで。それも、自分一人では記憶しきれないほどたくさんの人から注目されるということだ。ぼくがたくさんのヒトから視線を向けられるところを想像して、胸が締め付けられたように苦しくなる。
「もちろん彼女の周囲も、彼女が顔を出しながらも平穏に暮らせるように頑張っていると思う。でも、圭くんたちPは違う。『P』はね、あくまで独りで曲を投稿しているだけなの。一緒に曲作りをしてくれたり、支えてくれたりする人もいるだろうけど、それは別。身近でケアしてくれる存在が周りに常に居てくれるわけじゃない。……まあ、それとは別の理由で顔出ししないPもいるだろうけど、基本的にはやっぱりリスク回避のためでしょうね」
「じゃあ、名前が幾つもあるのも?」
「あら、察しが良いわね。私も『ヒロアキ』って名前で絵の活動をしているけど、絶対に本名は出さない。本名を知られるってことは、巡り巡って、私の家族も知られるってことだもの。見ず知らずの、どこの馬の骨とも分からない奴がうちの子供にちょっかい掛けるとか……、考えただけで寒気がするわ」
アサヒはそう言いながら、本当に寒いかのように身震いした。相手は自分の顔を知っているのに、自分は相手の顔を知らない。その「相手」が数えきれない程いるなら尚更────
「────ッ!」
一瞬鋭い痛みが頭に走った。と同時に、頭の奥に何かの映像が閃く。以前見た、白い夢。白い世界の真ん中に浮いている夢。その世界に、何か、四角いもやがいくつも浮いている、ような
「! 大丈夫!?」
アサヒが慌ててぼくの肩に手を添えた。でも、痛みは本当にその一瞬だけだった。細い痛みはスウッと引いて、心臓の音も穏やかになっていく。
「う、うん大丈夫。本当だよ。……それよりも、圭は」
ぼくの言葉で、「本当に大丈夫なのね?」と心配そうだったアサヒの顔にさらに影が差す。
「……ギリギリってところね。モザイク補正がしっかりしているみたいだから、圭くんの知り合いだとしても特定は難しいはず。でも、これでも十分危険よ。一歩間違えれば訴えられたっておかしくない。それに」
「それに?」
「この『30tP』が本当に圭くん達が出会った男なら、補正前のデータがまだ手元にあるってことだから。だからこれは、」
「────────脅し、だろ」
ずっと黙って、ぼくとアサヒの会話を聞いていた圭が口を開いた。
「『てめえの命は握ってるからな』っていう脅しな。あるいは嫌がらせか」
そうだ。あの男のヒトは、出会った時から何度か言っていた。「世間に身バレしてもいいのか」「お前の全部を晒してやる」。分からない単語がいくつかあったけれど、おそらく今回の動画に込めた意味と同じことなんだろう。
だんだんと胸の奥がぐるぐるし始める。感じたことのない気持ち悪さが、心臓の裏側で蠢いているような感覚に襲われる。
アサヒは、顔を晒すことを「良くも悪くも」と言った。でも、たぶん今回は後者だ。あのヒトは。
「K汰」を見世物にする気なんだ。
じっとしていたリズが、スマートフォンの画面を人差し指でなぞる。真剣な表情で、何かを追うように視線を動かしている。
「……かなり騒がれてるわネ。『にくたまうどん』チャンって最近のPの中では頭ひとつ抜けて有名だけど、これまで一枚絵のМVしか投稿してなかったもノ。実写動画、しかも歌詞がいつにも増して攻撃的だから伸びも早い。ホラ、もう20万再生いきそう。コメント欄も煽りや考察でビッシリよ」
リズが画面を向けたスマホを圭が手に取った。親指で画面に触れると、音が流れ出した。
ぼくは「曲」「音楽」をまだちゃんとは聴いたことがない。少し前、深夜に圭がパソコンから音を流していたのを寝ぼけまなこで聞いただけだ。圭やリズやアサヒほど知識もないから、良い物なのか悪い物なのか、綺麗なのかうるさいのか、何ひとつ分からない。
でも、流れ始めた音の連続に、その「曲」に、何かが揺り動かされた感覚がした。
激しく、荒く。でもどこか軽々しくて、でも少しだけ粘着的な。
まるで、諦めたいのに諦められないと嘲笑う、ひねくれた叫びのような。
そんな「曲」だと思った。
最後にジャカジャン、と大きく音が跳ねて、曲は終わった。圭は、映像と音が止まって暗くなった画面を、眉ひとつ動かさずに睨み続けていた。
それから、低くつぶやいた。
「…………やる」
「圭?」
そっとスマートフォンをテーブルに置きなおした圭。その目にはギラギラとした光が宿っていた。
「こいつ、自分は絶対捕まらねえと思っていやがるんだよ。他人の顔を勝手に晒して、自分は高みの見物。これが、こいつにとっての『最高の嫌がらせ』なんだろうな。……それでも」
圭はテーブルのスマートフォンを見下ろした。「それでもこいつは別アカで投稿することはしなかった。ちゃんと曲として成立させた。その上で俺を使った。つまりは『やれるもんならやってみろ。てめえには無理だがな』って言ってんだよな? だったらやってやる。絶対捕まえてやる」
リズが肩をすくめる。「……でもK汰ちゃん、もし本当に『にくたまうどん』チャンが昨晩の男だったとして。あのチカラがある限り、手の出しようがないワ。そもそも追いかけることすら不可能ヨ。アタクシたちが圧倒的に不利」
でも圭はハッ、と鼻で笑った。その顔はまるで。
「そりゃそうだ。あいつは簡単に逃げられる。こっちは追跡だの電子ハックだの、そんな高尚なこたぁ一切できねえ。けどな、あいつは俺をナメている。俺を下に見て、自分の方が上なんだ、ってな。だから、追いかける必要はねえ」
まるで、獲物を見つけた狂犬のような。
「────────あいつは、絶対におびき出せる」




