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Missing Never End  作者: 白田侑季
第1部 邂逅
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K汰 - シークレット・ワンダー





 エアコンの風が頬をなでる。扇風機の風が髪を揺する。


 ぼくはもう一度スプーンを右手に持ち直し、アイスカップからアイスを掬って口に運んだ。キン、と心地よい冷たさ。じゅわり、と広がる甘味。何度食べても気持ちいい。おもわず伸ばした足をパタパタ動かしてしまう。


 でもそんなぼくの楽しさを他所に、男はちゃぶ台に顔を突っ伏したまま動かない。時々「病院……、電波……、誘拐……、逮捕……」というような単語が聞こえるけれど、よく意味は分からない。ぼくの為にアイスを買いに行ってくれたから疲れてしまったんだろうか。


 アイスを食べる以外にすることもないから、改めて部屋を見渡してみる。


 部屋の中はいまだゴミが散らかったままだ。ぼくと男が座るために少しばかり押し退けたけど、隅の方にはカップ麺の空容器と思しきものがいくつか放置されている。


 それに背の高い物がほとんどない。先ほど男が使っていたモニターは床に直に座って使うぐらいだし、布団もフローリングの上にそのまま敷いている。クローゼットの中は見ていないけど、その扉の前にも段ボール箱が無造作に置いてあってそもそも開けることが出来なくなっている。


 それら以外に「物」と言える物もない。部屋の隣にはキッチンがあるのも見えたけれど、皿も調理器具もなさそうだった。冷蔵庫と電気ポットくらいだ。もしかすると、ゴミを片付けてしまえばかなり殺風景な部屋なんだろうか。


 この男は。目の前で突っ伏したままの男は。この部屋でどんな生活を送っているんだろうか。


 と、その男がふいに声を上げた。


「なあ。本当に何も覚えてないのかよ」

「うん」ぼくは答える。

「そんな清々しく答えんなよ……。何か持ってねえのか」

「何かって?」

「ほら、スマホとか、家の鍵とか、財布とか、そういうやつ」


 ぼくは左手でポケットを探る。いま来ている衣服だとポケットは短パンにしかないが、右のも左のも中身は空っぽだった。叩いてもビスケットすら出ない。


「無い」

「何も持たずに外出るとか何考えてんだよ」


 そう言われてもどうして外にいたのかすらぼくには分からない。


「じゃあ名前は」

「……覚えてない」

「そんなワケねえだろ! 大人をからかっちゃいけません!」

「からかってない。本当に覚えてない」


 そう反論しながら、ふと我に返る。


 ポケットには何もない。頭の中に何もない。自分の名前も。どこから来たかも。何もかも。覚えて、なくて。


 ────────あ、れ。


 我に返る。不安が襲ってくる。胸の奥底がじりじりと、じりじりと焦がされていくような。


 何もない、ぼく。


「あのなぁ」男はがっくりとうなだれた。「家出かなにか知らねえけどよ。おまえだって犬とか猫じゃねえんだから、俺んとこじゃ養えねえの。このままじゃ警察行くしかねえのよ。分かるだろ?」


 今度は僕がうなだれる番だった。スプーンの手が止まる。アイスの甘さがぬるいものに変わっていく。


「……覚えて、ない」

「ハァ……、はいはい分かった分かった。ンなら仕方ねえ。ちょい()()()警さ、」

「いやだッ────!」


 部屋が静まり返る。ぼくの叫びで男も止まった。


 覚えてない。覚えてない。自覚したらもうだめだった。


 何が起きているのか自分でも分からない。ぼくは誰で、どこから来て、どこへ帰るべきなのか。分からない。身体の中身が唐突に空洞になったような、脚元が揺らいで立っていられないような。そんな墜落感を伴う不安。


 どこまでも空っぽな"ぼく"。


 なにより「外」が。その言葉が、自分でも驚くほどに、何故か。


 痛いほどの無言の中、激しい感情に任せてアイスを頬張ってみたけど、味はしなかった。冷たくも甘くもない、どろどろの液体が気持ち悪かった。


 そのとき、頭を撫でられた。ちゃぶ台の向こうから男が手を伸ばして、ぼくの頭に手を乗せていた。


「……茶化すつもりはなかった、悪かったよ」


 男がそっと撫でる。ぼくの髪に、柔らかくあたたかいものが触れる。心地よく、リズミカルに。


「正直言って、まだお前のことを信じきったわけじゃねえ。だがまあ、いいさ。しばらく泊まっていけよ。着替えなら俺のがあるし。腹が減っても、まあ何とかなるだろ」


 撫でる男の手の下から、男の顔を見やる。「……警察、ってとこには、」


「お前が行きたいなら行けよ。でももし失踪事件とか大袈裟な話になるならネットニュースにでもなるだろ。そん時戻りゃいい。未成年なら大ごとにはならねえだろうしな」


 さて、と男は気怠そうに立ち上がった。「そんじゃ買い出し行くかぁ」

「かいだし?」

「さっきも言ったろ。着替えはともかく、腹が減ったら何とかしなきゃなんねえ。見た感じ、お前まだ成長期真っただ中っぽいしな。ここだと、まともな食いもんはカップ麺しかねえし。食生活しっかりしとかねえと俺みたいになんぞ」


 そう言いつつ、部屋の隅の段ボールを何やらごそごそし始める男。その背中を眺めながら、右手に握ったスプーンにぎゅっと力を込めた。もしかして。


 もしかして。ぼくは、ここにいてもいいんだろうか。


 ここにいても、許されるんだろうか。だとしたら。


 何だか、胸の奥があったかい、ような。


「────ん、どうした?」


 ぼくの視線を感じたのか、男が振り返る。「お前は残るんだろ。いいから休んどけ」


 ぼくが残る。男が出て行く。


 どうしよう。「外」に出たくないのに、ここに「独り」にされるのも。なぜか。どうしてか。


 どうして、こんなにも怖いんだろう。


 ぼくは少し躊躇ってから何とか首を振った。「ううん、ぼくも、行く。……えっと」

「ああ、俺の名前。そういや言ってなかったか。……あー、どうすっかなぁ」


 なぜか逡巡する男。しばらくしてから、よし、と意を決したようにつぶやいた。


「────ケイ」

「『ケイ』?」

「俺の名前だ。そう呼べ。『土』が二つで『圭』な。とりあえず、それで」




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