K汰 - 虫篝
「『知らない不審者に襲われた』ぁ!?」
アサヒの絶叫が狭い部屋に響き渡った。圭とリズが慌てた様子で「しーっ!」と口元に人差し指を当てる。
「声がデケぇんだよっ……!」
「悪いわねェ、ヒロちゃん。昨晩の騒ぎでお隣りさんがピリピリしちゃってるのよォ」
「ああそっか、ごめんごめん……」
アサヒも口を塞ぎながら、「でもねえ……」と複雑そうな表情を浮かべる。
「それって、その男が勝手に部屋まで入ってきてたってことでしょう? 鍵の話は置いといて、なんで圭くんちゃんと捕まえなかったのよ?」
「え? なにこれ俺の責任とかそういう話? 嘘だろ?」
「そうよォ、ヒロちゃん。引きこもり癖の付いた大のオトコに現行犯逮捕だなんて期待しちゃカワイソウだわァ」
「何で流れ弾しかねえのこの会話???」
「あら、百発百中のつもりで言ってるんだけど」
「…………クソエイム」
「だ・れ・が・ク・ソ・だ・っ・て?」
「俺にだって心はあるんだっ。触れれば砕けるガラスのハートなn痛い痛い痛い痛いッ!」
アサヒにヘッドロックをされる圭の哀愁に満ちた叫びを、またリズが「しーっ!」と宥めている。リズの部屋は昨日と比べてさらに狭くなっているけれど、何だか賑やかで。そのことが、重くなりがちな心をふっと軽くしてくれていた。
昨晩。部屋から男が消えた後、圭とリズは険しい顔で話し合っていた。この部屋に留まるか、それとも放棄するか。
男は自分のスマートフォンを起動したのち消えた。ぼくは最初寝ていたから気付かなかったけれど、部屋にも突然現れたようだった(玄関も窓も鍵は閉まっていた)から、再び男が突然現れる可能性も捨てきれなかった。
でも、その議論は呆気なく終わった。それよりも先に、近くに住んでいる人たちから苦情対応に追われたからだ。
夜中なのに大声。壁を殴ったような音。睡眠を妨げられた人たちが、リズの部屋のチャイムをしきりに鳴らした。リズは何とか話を取り繕って、何度も何度も頭を下げていた。
ぼくも圭もリズも、そのあと寝る気なんて起きなかった。色んなことがあったし、色んな感情に苛まれたし。落ち着いて横になる気分にはなれなかった。そのまま夜が明け、みんな寝不足のまま「さすがに少し休もうか」という話が出た時。今度はアサヒから連絡があったのだ。
〈作り置きの食事、追加で作ってあげたから。今から持って行くね〉
その文面を見た時の、圭の顔の蒼さはすさまじかった。どう言えばアサヒの追及を回避できるか、ああでもないこうでもない、と小一時間悩んでいた。悩んでいるより相談した方がいいんじゃないかと思ったけど、その間にもアサヒの連絡通知は鳴り続けた。
ピコン。〈ちょっとまだ起きてないの?〉
ピコン。〈今着いたんだけど。出かけてるなら早く言ってよ。いつ頃戻るか連絡して〉
ピコン。〈あの子も一緒にいる? 近くでアイスでも買ってくる〉
ピコン。〈未読無視しないで〉
ピコン。〈返信しろ〉
ピコン。〈なんで鍵開けっぱなしなの?〉
ピコン。〈[写真が添付されました]。この、こわれたモニター、なに?〉
圭の顔は蒼を通り越して白くなった。リズが呆れたようにため息を吐きながらも代わりに連絡してくれなかったら、アサヒは今頃もっとお怒りだったかもしれない。
リズから「取り敢えずアタクシの家まで来て」と聞いたアサヒは、とても急いだ様子でここまで駆け込んできた。窓の向こうでキキキキーッというドリフト音がしたと思ったら、次の瞬間には部屋のインターフォンが鳴っていたくらいだ。
そして、今に至る。
一通り事情を聞いたアサヒはため息をつきながら、ぼくを抱き寄せた。
「ともかく、この子に怪我がなくて良かった……。本当に」
「……心配かけてごめんなさい、アサヒ」
「ううん、アナタが謝ることじゃないわ」アサヒは首を振った。「無事ならそれでいいの」
以前にもこうしてもらったことがあるけれど、アサヒの腕の中はとてもあたたかい。淡く甘い匂いもする。まだほんの少しだけ緊張していた心の奥の芯が、ゆっくりと解きほぐされていく。
「そうだ、アサヒ。アサヒとリズは知り合い……、『仕事仲間』なの?」
「んー、そうねえ」と上を向いて考えるアサヒ。「仕事仲間っていうよりは、友達、の方が近いかしら」
「『友達』?」
「ええ。圭くんとは個人的に会ったりはしなかったもの。圭くんの作った曲に合わせて私が描いてた、それだけ。でも『ぐるちゃん』とはオフでデパート巡りしたり、カフェでお茶したりしてるわよ。……まあ単純に、圭くんがそういうのに興味ないっていうのもあるけど」
話を振られたリズも嬉しそうに微笑む。
「ンフフ、K汰ちゃんはツンデレがデフォルトだもノ! この三人のコラボで『カルタヘナ』って曲を作ったこともあったけれど、K汰ちゃんだけは打上げの参加は断固拒否、だったものねェ」
でも、とリズはいつものウィンクをする。
「お互いのコンセプトはそれぞれ違うのだけど、相手の作風はお互いに好き同士なのよォ。相思相愛ってヤツかしらァ」
「そうそう。『ぐるちゃん』が作った曲って、聴いた瞬間もやもやした感情とかブッ飛ばしてくれて大好きなのよね。すっごくカッコ可愛いの!」
ぐるちゃん。ヒロちゃん。アサヒとリズはお互いをそう呼ぶ。ヒロちゃん、はアサヒの絵を描くときの名前『ヒロアキ』のことだろうけど。ぐるちゃん、は新しい名前だ。おそらくリズを指しているとは分かるけれど。どうしてだろう?
そんなぼくの考えを読み取ったのか、リズ本人がそっと付け加えてくれる。
「『ぐるちゃん』っていうのは、アタクシの『P名』なのよォ」
「『P名』?」ぼくは首を傾げる。
「そ。P名はリスナーのコたちが自由につけてくれるのヨ。アタクシが曲投稿を始めた頃、まだ一人で全部やってたから、ムービー用の背景絵もアタクシ手づから描いてたの。そのときよく描いてたパンダの目が適当にぐるぐる描いた目だったから、そこからとって『ぐる目P』。ヒロちゃんからラブを込めて『ぐるちゃん』って呼ばれてるのはソレね」
「あー、でもこの子が混乱するといけないし。私も『リズちゃん』って呼んだ方がいいかなぁ」と、アサヒ。
「それもそうネ。どんな名前で呼んだって、アタクシたちの絆は変わらないもノ」
「あ、それロミジュリ?」
「ンフフ、打てば響くってステキよねェ。シャイニィー!」
P名。そういったものもあるのか。以前聞いた名前も含めると、リズの本名は「エリザベス・シャイニー」、曲を投稿するときのアーティスト名は「ZIPANDA」、聴衆からのあだ名は「ぐる目P」ということになるのだろうか。名前をいくつも持つのは大変そうで、でも少しだけ羨ましい気もする。
「にしても、改めて考えるとP名ってちょっと理不尽よね。勝手に付けられちゃうわけだし」
「そうねェ。リスナーのコたちなりの愛情表現ではあるけれど、場合によってはイメージを左右しかねないものねェ。ま、K汰ちゃんみたく、愛されキャラになることだってあるケド」
────ふいに、胸がキュッと痛んだ。少し離れた所であぐらをかいている圭を、そっと見やる。
一瞬圭と目が合う、けれど次の瞬間にはふい、と圭の方から視線を外した。
「……俺の話はいい」
昨日。圭に怒られてから。
ぼくは圭と上手く話せないでいる。
「それより、あの男だ」
「『あの男』? 昨日の不法侵入者?」と、アサヒ。
「ああ。あいつを何とかしねえと、いつまでも逃げ回るわけにもいかねえしな」
「でも、そいつ逃げたんでしょ。顔とか覚えてる?」
「いや」と圭は首を振る。「暗かったからな。それに覚えてたところで追えるわけでもねえだろ」
「追いかけたりはできないけど一応犯罪でしょう、不法侵入って。警察に相談して、」
「警察? おいおい話聞いてたか? あいつは消えたんだぞ、スマホの中に」
それよ、とアサヒは半信半疑といった目を向ける。「消えた、って。……別にみんなの話を信じないわけじゃないわよ。でもそんなことある? 超能力じゃあるまいし」
アサヒの言葉に、圭は目を伏せた。
「────いや。あいつは間違いなく、そういう力を持ってる」
アサヒはまだ難しい顔をしている。もちろんぼくも。けれど、リズだけは圭に賛同した。
「そうねェ。アノ子も自分で言ってたもの。『異能』って」
「リズちゃんまで……」
「アラ、ヒロちゃんまだ信じられてないのネ? まあアタクシだって今でも夢を見ているような心地だけれど。……いいワ、そろそろカミングアウトのお時間にしましょ」
アサヒと一緒にぼくも首を傾げる。そんなぼくらを他所に、リズは居住まいを正し、太くも可愛らしい咳払いをした。先程までとは打って変わって、凛とした真剣なまなざしでぼくらを見つめる。
「実は、アタクシ────ものスッゴくおっきいのよォ、声がッ!!」
「…………はい?」




