K汰 - メグ
とりあえず、とリズは口を開いた。
「K汰ちゃんのカミングアウトは置いといて、話を戻すわネ」
「他人の身バレ宣言を脇に置くんじゃねえよ」
圭の困惑を他所に、リズは話を続ける。
「ネットの子たちが騒いでいた『唄川メグ』って存在がいた。そのメグはおそらく歌手に近い存在だった。けれどメグは誰の記憶にも残っておらず、Pであるアタクシ達ですら思い出せない。でも感覚的に貴女がその『メグ』じゃないか、ってアタクシもK汰ちゃんも考えている。……ここまでは良いかしらァ?」
リズの言葉に頷く。でも、正直いまだに理解できない。なんだか胸の奥底がぐるぐると奇妙に渦巻いているような気がする。
「でもリズ。ぼく、本当に覚えていない。圭もリズもそう。なのに、どうして?」
「そうねェ。確かに、どこまでいってもアタクシの肌感覚でしかないわァ。オネェの直感とでも言うべきカシラ。……それでも、一番気になることがもうひとつ」
リズは少し躊躇うように、困ったようにほっぺに手を当てた。
「────たぶん『メグ』って、バーチャルシンガーなのよ」
「……! おい、あんた、それは、」
強い声で遮ろうとする圭。でもリズはそっと目を閉じつつ首を振った。
「K汰ちゃん、やっぱり隠しちゃダメよ。何よりこのコに失礼だワ」
「失礼なのはあんたの方だろ。言わねえ、っつったのはただの口約束か? こいつは、」
「……圭」
圭がぼくを覗き込む。険しい顔とは裏腹に心配そうに揺れるその目に、ぼくはそっと首を振る。
「……ありがとう、圭。でもぼく、平気」
「けどッ……!」食い下がる圭。
でも本当に平気だった。頭も痛くないし、何も脳裏に閃かない。途中から薄々予感もしていた。
ぼくの声は、声優・汐野日影と同一。彼女が表で活躍している以上、おかしいのはぼくの方。
そこに浮かび上がった「メグ」という存在。その声がぼくと似ているとするなら。汐野日影が何事もなく誰かの前で笑顔を振る舞えているなら。おかしいのがぼくの方なら。
"バーチャル"。その言葉が指す意味はたぶん1つだ。
そっと深呼吸をする。確かめるようにリズに先を促す。「リズ、『バーチャルシンガー』って」
「……厳密な定義は話し出すと日が暮れちゃうから、ざっくりな説明になるケド。音声情報を合成して歌声を創り出す技術があるのよ。『メグ』はそのひとつ、だと思うワ。誰も覚えていないけど、まず間違いないでしょうね」
さっき圭が言っていた。たくさんの人が作曲した、大量の曲。そのタイトルに付けられた「feat.メグ」。1人のヒトが、そんなにたくさんの曲を歌えるものだろうか。
と、いうことは。
「────やっぱり。ぼくは、人間じゃ、ない」
少しの間、圭もリズも、一言も喋らなかった。テーブルに置かれたグラスの中で、氷が解けてカランと響く音がやけにはっきり聞こえた。
そんな空気を振り払うように、リズが大きくため息をついた。
「ま、そこが一番ナゾなのよねェ。貴女は『メグ』かもしれない。でも『メグ』はネット上にしか居ないはずの電子姫。なのに貴女はココに居る。……ンー、この場合まず疑うべきはアタクシのフィーリングってことになるのだし。まだ断定はできないわァ」
そう言いつつ、リズも納得はしていないようだった。だから、ぼくも補足する。
「リズは間違っていない、と思う」
「……でもキティちゃん、それだと」
真剣な眼差しのリズ。そんなわけがない、という表情。でもぼくには、不思議とある程度の確信があった。今朝に見た夢が、思い出したように脳裏をよぎる。
その時、ずっと黙っていた圭が口を開いた。
「……なにか、根拠があんのか」
「根拠はない、けど。……ぼく、見たんだ」
「何を」
「ついさっき、ベッドで起きる前。夢を」
そう、ぼくは見た。あの世界を。あの色を。
「ぼく、浮いてた。真っ白い世界の真ん中で。一人で浮いてた。そこでぼくは、誰もいないのに、誰かに向かって言うんだ。綺麗な服で、嬉しいって気持ちで、笑顔で」
────────『こんにちは、私は唄川メグです』。
圭たちが息を呑むのが分かった。
あの真っ白な夢の中で。ぼくは、確かにそう言っていた。あの夢がぼくの記憶だとしたら。もしかしたら、本当に。
昨夜の男の話を聞いた時、頭の奥が千切れるくらい痛んだ。記憶がなくても、ぼくの中身が「メグ」という名前に反応したんだと思う。
深呼吸する。落ち着こうとする。でも心臓が早鐘みたいだった。もう頭は痛くないのに。ぼくを知りたいと、帰る場所を知りたいと、そう思っていたはずなのに。心臓がずっと痛かった。
「…………わけ分かんねえ」
圭が苦しそうに、どこか吐き捨てるように口を開く。
「分かんねえよ、俺には。何でそんなに、『はいそうですか』って顔が出来んだよ」
「圭……?」
「お前はお前なんだよ。それ以上でも以下でもねえだろ。ガキが一丁前に腹括ったみてえな顔すんじゃねえよ」
「……だ、だって、たぶん本当のこと、だから」
俯きながら、イライラと膝を揺する圭。どうしてだろう。何でだろう。分からない。圭が何に怒っているのか分からない。
だって、きっと事実なのに。
だって、きっとぼくは人間じゃないのに。
それなのに圭は怖い顔で、強い声で吐き捨てる。
「『本当のことだから』? だから何だ、本当のことだから受け入れます、ってか? 物分かりの良い面すんのも大概にしろよ、お前。それともあれか、こう言っていればみんな丸く収まるとでも思ってんのか。だったら今すぐやめろよ吐き気がする」
「……K汰ちゃんヤメテ」
「何だよ、言い出したのはあんただよな? こいつが自覚すればいいって思って言ったんだよな? 今更気が引けるとかダセェことすんなよ。それともあれか? やっぱあんたも他の奴らみてえに、」
「K汰ちゃん落ち着い」
「うるせぇッ!」
圭が叫んだ。その、次の瞬間、
バキンッ────!!
甲高い音。砕けるガラス片。飛び散る液体。
リズの前にあったガラスコップが、粉々に砕け散った、独りでに。
リズもぼくも、しばらく呆然として動けなかった。
痛いほどに静まり返った部屋。圭は歯を食い縛ったまま、息も荒いまま、空っぽの両手で顔を覆っていた。