K汰 - peel
「どう?」リズはぼくの目の前にガラスのコップを置きながら、そう聞いてきた。「少しは落ち着けたかしらァ」
狭くて低いテーブルを、圭とぼくとリズ、三人で小さく囲む。圭もリズも身体が大きいから、二人があぐらをかくと元々狭い部屋がさらに狭く感じてしまう。その狭さをいいことに、圭の右腕にほんの少しだけ隠れながら、まだ慣れないリズに対して相槌を打つ。
「う、うん。大丈夫。ありがとう……」
「ンフフ、緊張するのは悪いことじゃないわよォ。アタクシの方こそごめんなさいね? 内側から溢れ出る輝きを止められなくて」
「相変わらずだな、そのえげつねぇハイパー自意識」横でため息をつく圭。
「そりゃそうよォ。美意識は常に意識すればきちんと育まれるんだもの、日課を欠かさなければこのレベルのシャイニィーは当然ではなくて?」
「謎基準ふりかざすのやめろ」
「ふ、ふたりは知り合いなの?」
何とか割り込んで聞いてみると、圭がこちらを振り返った。「ああ、悪ぃ。まずそこから話さねえとな」
居住まいを正しながら、圭が改まった口調で話し始める。
「……昨日、俺に聞いてきたろ。『俺がどこでお前の声を聞いたことがあるのか』って」
「うん」
「最初、お前を拾ったときは気付かなかったんだ。だが今は思い出した。……いや、思い出せねえってことを思い出した」
「? どういう意味?」
ぼくの問いに圭は答えなかった。代わりに、尋ね返してくる。
「お前、昨日のあいつの話、どう思った。思い返してまた頭が痛くなったりしねえなら、だが」
あいつ。たぶん昨日の夜、圭のパソコンをハッキングした男のことだ。
頭の感覚を慎重に探りながら、そっと頷く。「……うん、いまは大丈夫、だと思う」
「そっか。なら、もう言うぞ。頭が痛みだしたらすぐ言えよ」
圭はそう前置きして、言い切った。
「────────お前は、たぶん『メグ』だ」
その名前を聞いた瞬間、頭の奥底で何かが光った。
鮮烈で。凄絶で。でもそれだけの。理由も景色も分からない、どこまでも真っ白いだけの光が頭の奥底でバチン、と閃光を上げた。
そっと息を吸う。
大丈夫。落ち着いている。何かが光ったけど痛みはない。でも。
「……『メグ』って、なに?」
分からない。知らない。身に覚えがない。
昨晩の男も言っていた「メグ」という単語。ぼくの記憶は相変わらず何も教えてはくれない。
圭も首を振った。「分からねえ。『メグ』って名前しか分からねえんだよ。色んなヤツが大勢考察してやがるが、ネットのどこを探しても答えがねえ」
だがな、と圭はまっすぐぼくを見る。
「あいつも言っていたが、『メグ』って名前の付いた楽曲が確かにあんだよ、それも大量に。再生数はまちまちだが、200万再生超えの曲も一定数ある」
「じゃあ、その『メグ』は、歌手……?」
「まあ、それに近い存在ってのは確かだろうよ」
「そうねェ」と、リズも話に加わる。「投稿者は全員別々だし、タイトルには『feat.唄川メグ』って書かれたものが大半だもの。作曲者っていうより、歌手って考えた方が自然よねェ」
「だが結局そこ止まりだ」と、圭。「それ以外に一切の情報がねえ。МVは全部インスト曲で、声が入ってねえ。メロディや歌詞が無いのもザラだ。下手すりゃ、タイトルだけで再生できねえ動画もある。普通に考えてありえねえんだよ、そんな曲が再生数200万とか」
「まるで良くできたおとぎ話よねェ。ネットのコたちも、大半は都市伝説だとかステマだとか言ってるわァ」
でも、と口を挟む。「2人は、そう思ってない……?」
圭もリズも、言葉とは裏腹に信じているようには見えない。どこか他人事のような言い回しで。
案の定、圭もリズも口を揃えて「思ってねえ」「思ってないわねェ」と言った。
「どうして?」
「……俺らが『ピー』だからだ」
「ぴー?」
首を傾げると、リズはガラスコップに口を付けながら微笑んだ。中の氷がぶつかり合って、カランと澄んだ音が響く。
「そ。『プロデューサー(Producer)』の頭文字で『P』。まァ、大半のコは個人で音楽作ってるだけだから、言うほどご大層なものではないのダケド」
「音楽を作る、プロデューサー、ってこと?」
「Exactly♪」リズは軽快に指を鳴らした。「だから、この『メグ』の件に関してはネット上のコたちよりも更に当事者ってワケ」
「……音源が、手元にあったからな」
「そう! そうなのよォ!」
圭の言葉にリズも激しく頷いた。
「ホントびっくりしたわよォ! 何しろアタクシ達自身も作った覚えがないんですもの。いつの間にかデータはあるし、投稿もしちゃってる。なのに自分で作った記憶が何ひとつない。危うく部屋で一人で『パゥワー』しちゃうところだったわァン!」
「ぱ、ぱぅわー……?」
「……こいつの語彙力は真に受けんな。ゲシュタルト崩壊するから」
ともかく、と咳払いをする圭。
「リズの言う通りだ。他のやつら同様、俺らも覚えてねえんだよ。『feat.メグ』って自分でタイトルに付けておいて、何ひとつ思い出せない。あの感覚は俺たちにしか分からねえかもな。ある日を境に、記憶にねえ完成曲が大量に見つかるなんざ、はっきり言ってホラーだ。……それに」
「それに?」
圭は少しの間、自分の手のひらに視線を落とした。懐かしむような、でもどこか辛そうな、そんな視線を。
「俺らの手元にあった音源は適当な代物じゃなかった。メロディも、オケも、歌詞も、何もかもが俺の中身──いや、俺の望んだそのものだった。自分だからこそ分かんだよ。『ああ、これは生半可な気持ちで作ったヤツじゃねえ』ってな」
「……そうねェ」
リズも優しい笑みを浮かべた。手元のコップを、まるで触れただけで砕け散るかのようにそっと両手で包んでいる。
「ケータちゃんの言う通り。ココロの煌めきを全部詰め込んで、アイを賭けて作ったものだって、聴いた瞬間はっきり分かったもノ。────だからこそ気付いちゃったのかしらねェ。『この曲には、絶対に欠けてはいけないはずの歌声が欠けている』って」
「え……?」
リズはまっすぐにぼくを見据えながら目尻を緩めた。
「『欠けている』っていうコトが分かった、って言えばいいのかしらァ。ドーナツの穴みたいなもの、とでも思ってちょうだい。ぽっかり空いた空間に何が在ったのかは知らないのに、ソレが無いという事実は分かる。アタクシの楽曲ちゃん達もそうだったわァ。ビートもドロップも、どれを取っても昂っちゃうほどシャイニィーなのに、致命的に何かが欠けているのよォ。シャイニィー半減どころか、アタクシの楽曲として成立しないって感じねン」
「それが、『メグ』の声……」
「ンフフ! 冴えてるわねキティちゃん」
リズは優しく微笑みながら、そっと頬杖をついた。「そして、それは貴女の声よ、キティちゃん」
────心臓が、跳ねる。
「ケータちゃんが言ってたことが今なら分かる。アタクシも、貴女の声を聞いた瞬間『コレだわ!』って直感した。アタクシの、『ジパンダ』のシャイニィーな楽曲に欠けていた最後のピース、それが貴女の声。……ンフフ、コレは確かに、実際に聞いたら直感するしかないわァ。きっと他のPも同じねン」
「『ジパンダ』?」
「アラ、先にソコを聞いてくれるのね? ますます好きになっちゃいそうだわァ!」
それじゃ改めて、とリズは姿勢を戻して、斜め45度の角度からぼくにウィンクした。
「アタクシの活動名は『ジパンダ』。アルファベットで『ZIPANDA』ね。他にも名前はあるけど、コンランしちゃいそうだからまた今度。ああそうそう、呼ぶときは最初通り『リズちゃん』で良くってよっ!」
「ZIPANDA」。リズのもう一つの名前。リズの、楽曲を作る時の名前。……あれ。
「じゃあ、もしかして、『ケータ』って、」
そっと隣の圭を見上げる。圭は居心地が悪そうに、膝をゆらゆら揺すっていた。心なしかほっぺも紅い。まるで隠しておきたかった事がバレた時のようで。ぼくの視線に気付いて、ぶっきらぼうに叫んだ。
「…………俺の、名前だっ。アルファベットの『K』! サンズイに太いの『汰』! どうせ小洒落た名前でもねえ、だっせえ『K汰』ですよクソッタレッ!!!!」