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Missing Never End  作者: 白田侑季
第9部 貪狼
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K汰 - レイニイデイと君の歌




 スライド式の戸を開けて部屋に戻ると、圭はまだパソコンに向かっていた。ヘッドホンの片方だけを耳に当てながら、空いたもう片方の手で頻りにマウスを動かしている。背中越しに見えるモニターから、たぶん曲の最終調整をしているんだろう。


 でも。


 そう思いながらもぼくは言葉に出さなかった。出せなかった。無言のままに部屋の隅でしゃがみ込む。部屋の中には圭とぼくの息遣い、エアコンが吹き出す風音、それから圭の指先が奏でるマウスのクリック音だけ。


 膝を抱えて、重たい頭を壁に預けて、みんなが帰ったばかりのがらん、とした部屋を眺める。


 ぼくは、どうすれば良かったんだろう。


 マキハルの感情。ノアの考え。それと、ぼくの想い。


 それらがぐるぐるの()()ぜになって、頭の隅に影を落とす。わだかまって苦しくなる。誰の気持ちを大事にすればいいのか。誰の考えがぼくに近いのか。例え近かったとして、その考えを優先していいのか。


 これまでもそうだったはずなのに。これまでも自分の想いを優先してここまで来たはずなのに。大事なヒトの気持ちに応えられないことが、こんなにも。


「────おい」


 ふいに圭が振り返った。


「……な、なに」


 無意識にシャツの胸元をぎゅっと握っていたようで、ぼくは慌てて手を離しながら答える。圭は一拍遅れて「できたぞ」と言った。


「え?」

「曲、できたぞ。投稿する前にお前も聞いとけ」


 トクン、と胸が弾む。圭の隣まで自然と身体が動いた。


 圭の真横にストン、と腰を下ろしてモニターと向き合う。濃いグレーのマスの上に何本も引かれた色鮮やかな線の数々。その一部にはぼくが吹き込んだ波形(うたごえ)もあった。軽く深呼吸している間に、圭が自分のヘッドホンとぼくのヘッドホンを挿し換えてくれる。そっと頭に掛けると、心地よい重みが耳を塞いだ。


 目も閉じる。世界はぼくと音だけになる。


「……お願い」


 そう口に出した瞬間、圭が再生ボタンを押す。


 まず聞こえたのはピアノ。重くも幻想的な旋律が静かに、鐘のように鳴り響く。ゆっくりと確実にリズムを刻むその後ろから、今度は控えめな電子音が織り重なっていく。逆再生にも近いその電子音は細い糸のようで、けれど確かに別の色合いを施していく。そこからふわっ、と膨れ上がる音の波。


 そんな音の波に混ざる、ぼくの声。


 ブレス多めの声。足元にぽろぽろと零すような発音。吐き出すような囁き声。


 今朝、圭と2人で海から帰ってきてすぐにレコーディングした。広大な水の原を見た時に感じた想いを、瞳の奥に刻んだ景色を、鼓膜の裏までこだまさせた潮騒を、潮の匂いと圭の手のひらの温かさを。その全てを忘れないうちに。掴んだ感覚の全てを離さないために。


 『唄川メグ』だった頃には使ったこともないような、掠れた声。不完全で崩した発音。けれど不思議と変だとは思わなかった。むしろこの曲には、この歌詞には、この感情には一番。


 その間にも曲と声は寄り添うように、寄せては返すさざ波のように少しずつ、少しずつ大きくなる。それらが一瞬完全に消え、


 ────そして、世界が広がる。


 重厚な弦楽器(ストリングス)がサビの歌詞とともに突き抜ける。でも嫌な突き抜け方じゃない。それはきっと水平線がスウッと伸びるような。そんな研ぎ澄まされた世界が耳の奥に果てしなく拓いていく。まさに今朝、圭と見たあの海辺のような。


 曲調も歌詞も、決して明るいとは言えない。むしろ暗い方だと思う。幻想的で、閉塞的で、内向的。枯れ果てたような寂しさと、何度も繰り返しすぎて半ば諦めたような自省と、


 それでいて、疲れ切った心を音の波で包み込むように。ぶっきらぼうでありながら労わるように。


 寂れた海辺に辿り着いた一匹の狼が、己の全てを賭けて、一度きりの遠吠えを上げるように。


 ────ああ、『K汰』だ。


 そう思える。


 重厚な弦楽器。幻想的な電子音。心音のように一定に鳴るピアノ。それらが最後のサビを奏で、ゆっくりと1つずつ剝がれていき、心地いい"空っぽさ"を残したまま、曲が終わった。


 すぐにヘッドホンを外さなかった。頭の奥の余韻にしばらく浸っていた。


 ようやくそこから浮上した時、圭と目が合った。不思議と言葉はなかったけれど、ぼくの顔を見た圭はふうっと溜め息をついた。呆れでも疲れでもない、満足だという言葉の代わりとしての、穏やかな溜め息だった。


「あとはエンコードすりゃあ終わりだな」

「? MVは?」


 思わず口を挟んだ。イツキ達から聞いた話では、曲の投稿にはイラスト製作や動画の編集、歌詞入れなどもあったはずだ。それらを圭はどうするつもりなんだろう。


 そう首を傾げるぼくに圭は「あー……」と言葉を濁した。


「今回はいつもみてぇな大層なモンは作る気ねえ、っつうか。歌詞入れもしねえし、MVも作らねえ。……だが、まあ、なんだ。その」


 そこで何故か口ごもる圭。そのまま少しの間逡巡した後、「……やっぱ無断はよくねえな」と独りごちて、ぼくに向き直った。


「写真を使いてえんだ。一枚絵として」


 圭がパソコンを操作する。画面に表示されたのは。


「……これ、ぼく?」


 それは、紛れもなくぼくだった。


 今朝、圭と2人で行った海辺。その波打際で、靴を片手に水平線を眺めているぼくの姿だった。そういえばあの時、圭が写真を撮っていたけれど。まさかここで使われるとは全く思っていなかった。


「もちろん勝手に使うつもりはねえ」と圭が真剣な表情で言う。「無断でネットに上げることがどれだけ外道かは、俺も身を持って知ってるつもりだ。だからお前が嫌なら絶対にしねえ」


 圭の言葉を受けながら、もう一度写真を見る。撮影しているカメラに背中を向けているから顔は映っていない。ぼくを知らない人からすれば気が付かれないだろう。それより。


「……大丈夫。何ともないよ、圭」


 まだ少し心配の表情を浮かべる圭にそう答える。


「それに、ぼくも思った。歌う時、この景色を思い出しながら歌ったんだ。だから、圭が同じ気持ちでこの写真を選んでくれたことが、ぼくは嬉しい」


 潮騒。波の冷たさ。広大な水の原。ぼくが歌ったって気にしない、変わらないほど、でもだからこそ包み込まれるような。安心感とも取れるような遥かに広がる水平線。


 あの景色が、あの感覚が、圭の曲に合わせて形に残るなら。こんなに嬉しいことはないんだ。


 ぼくの言葉に圭もようやく安心したようだった。


 そこからはパソコンの画面がとんとん拍子に進んでいった。色んな用語とシステム画面が、圭のクリック音に混じって飛び交う中、最後にカーソルが止まったのは「曲のタイトル」。


「決まってるの?」と尋ねるぼくに。

「ああ」と圭が答える。


 画面に打ち込まれた文字は短かった。


「英語? カタカナでいいの?」

「その方が意味が三重になんだろ」


 そして圭はボタンを押す。画面の真ん中で白い丸がしばらくクルクルと円を描き、ぼくらの曲は電子海という広大な世界に投げ入れられる。


 でも不思議だった。自分でも意外だった。


 もう、怖くない。


 ────曲名『ラスター』。






 数時間後。日もすっかり暮れて、街が夜の帳に覆われた頃。「K汰」のアカウントに一通のDMが届いた。


 それは待ちに待った連絡であり、ぼくらが賭けていた一縷の希望であり、今後の計画を左右する分岐点。


 理不尽なまま、それでもぼくらがぼくらであるために。だからこそ必要な終わりへの、第一歩。


 DMの通知を知らせるパソコン画面を前に、ぼくはそっとスマホを取り出す。電話も録音アプリも起動しないまま、通話口を口元に当て、ささやく。


「…………()()、いる?」




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