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Missing Never End  作者: 白田侑季
第9部 貪狼
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マキシマム遥 - 花凝り




 足早に家路を辿る。


 咽せ返るほどの暑さの中。シャワシャワと騒ぎ立てる蝉の声を余所に。それでも何かに急かされるように、歩く。


 胸の奥から湧き続ける苛立ちから、必死に目を背けるように。


 ────冗談じゃ言うとるじゃろ。しつこいの。


 口をついて出た、あの言葉。


 隠せなかった。隠し切れなかった。


 笑顔で乗り切らなきゃいけなかったのに。無理やりにでも笑顔を浮かべて、心がズタズタになろうと取り繕って、そうしてちゃんと隠し切ることができたはずなのに。


 どうして、我慢ができなかった。


 どうして、言えた今の方が少しすっきりしているんだ。


 どうしたって当てつけでしかない。あの子の気を引けたかもしれない、という一抹の嬉しさが自分の中に在ることが、酷く気持ち悪い。自分の中に在る何もかもに嫌悪感が募って、足は更に速くなる。


 立ち止まれなかった。苛立ちと自己嫌悪が心臓の奥でのたうち回って、止まるなんてできなかった。走り出さなかったのは、今なら戻って弁明できるかもしれない、なんて我儘があったから。でも、それもただの偽善だ。


 肌を灼く夏日が煩わしい。蝉の声がうるさい。流れる汗がとめどなくて、食い縛った奥歯で顎が痛くて、痛み続ける心臓が辛くて、もういっそこのままドロドロに熔けて消えた方が。


「マキハル君」


 突然、誰かに呼び止められた。


 思わず足が止まる。メグの声じゃないのに、その声には、立ち止まって振り向かせる何かがあった。


「……ノアちゃん」


 名前を呼ばれたノアちゃんがふふっ、と微笑む。真夏の陽射しすら感じさせない涼やかな出で立ちで、汗のひとつも額に浮かべないまま、そこに立っていた。


 言葉に詰まる。自然と目を逸らしてしまう。このタイミングで後ろから追い掛けて来たんだ。間違いなくノアちゃんは、さっきのオレとメグの会話を聞いている。その上で、オレは何て言うべきなんだろう。弁解するのか。はぐらかすのか。それとも、オレは。


 オレは、何て答えるのがマキハル(オレ)らしいんだ?


 そうこうしているうちに、ノアちゃんが先に口を開いた。


「マキハル君はメグちゃんのことが好きなんだよね?」


 ────心臓が、跳ねる。


 握った拳に力が入る。心臓がギリギリと縮む。喉が渇く。頭の奥で誰かが叫ぶ。


 否定しろ。


 否定しろよ。


 否定するべきなんだから。


 ほら、早く。


「…………答えとう、ない」


 煮え切らない返答に、ノアちゃんが困ったような笑みを浮かべる。


「そっかぁ。じゃあ別のこと、訊いていい?」

「いや、今はそうゆう、気分じゃ」


 無意識に後ずさりする。半歩動いた靴の底で、アスファルトがザリ、と嫌な音を立てる。


 ダメだ。今は何を訊かれてもダメな気がする。もう振舞えない。カッコいいオレでいられない。カッコよくいる理由がない。今のオレはダサい。ダサいオレは、嫌だ。


 だから、今は。




「わたしね、()()()()()()()()()()()()()




 一瞬、思考が追い付かなかった。


 出たのは「は?」なんてか細い間抜けな声だけ。


 呆然としたまま、何を言われたか理解できないまま陽射しに灼かれるオレに、ノアちゃんは一歩、また一歩と距離を縮める。


「でもマキハル君はメグちゃんのことが好きでしょ。メグちゃんはK汰君のことが好きだし。だからどうしたら良いのかな、って思って」

「……な、何でいま、そがな事、」


 ノアちゃんはふふっ、と目じりを下げる。


「だって今日の作戦だと、マキハル君はこのあとドモル君と打ち合わせでしょ? 当日も別行動になっちゃうから、ちゃんとお話しできるのは今日が最後かな、って」


 一歩。また一歩。ノアちゃんが近付く。ふわりとなびく前髪の隙間から、赤みがかった茶色い瞳が覗く。


「ねぇ、マキハル君はわたしのこと好き?」


 鈴のような透き通った声が響く。


「そ、そりゃ、友達じゃ思うとる、けど……」

「そっかぁ、良かった! 嬉しいなぁ。それじゃあ、()()()()()()()()()()()()?」


 分からない。分からない。狼狽えて言葉が続かない。暑さで思考がままならない。思わず俯いた額から汗がボタボタとアスファルトに落ちる。


 ノアちゃんは何を言っているんだ? 何でいまそんな話をするんだ? 何でこんなことになっているんだ?


 分からない。理解できない。思考が追い付かない。何もかもが暑くて、熱くて、視界がズレていく、


「好き、だったんは、メグ、」

「うーん。過去形でも、やっぱりメグちゃんが先なんだね。難しいなぁ。あ、それじゃあ()()()()()()()()()()()()()()? それとも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」


 バラバラで、ズレていて、いや、


 違う。


 だって、ノアちゃんがいるから。そこに立っているから。彼女だけがそこに在るから。


 なにも、間違っていない。


 理路整然と。当然のように。1+1が2であるように。


 "ぜんぶ、さいしょからそうだったように"。


 ねぇ、とノアちゃんが問う。涼し気な声色で、わしに訊ねる。頭がからっぽになっていく。


「マキハル君はどうしたい?」

「わし、が、」

「そう、君が選んでいいんだよ。だって君は、君のままで良いんだもん」


 涼し気で、かろやかで、柔らかくつつみ込むような、閉じていくような。


「なんで、そんな、こと、」

「わたしはね、君に幸せになって欲しいの。君が苦しむ姿は見たくないの」

「くるし、む」

「そうだよ。君は苦しんでる。君の好きと、メグちゃんの好きが違うことに、どうしようもないほど苦しんでる。わたしはそんな君の力になりたい。君を救いたい」


 わしを、救う。


 この心臓のいたみから。この抱えきれないかんじょうの渦から。


 すくう。


「苦しいくらいなら背伸びしなくていいんだよ。無理に変わらなくていいんだよ。君は君のままで良いの。それでも苦しいなら私が君を救いたい。君が君のままでいられるようにしたい。だって、君が君のままでいられないなら、わるいのは君じゃないんだもん。だって」


 めのまえがまっしろになる。せかいから、ノアちゃん以外のすべてがきえる。


 てが重なる。ノアちゃんの少しつめたい指さきが、わしの手のおん度に触れて、とけあって、


 それから、




「─────無理に頑張らなくても、君はカッコいいんだもん」




 ────マキハルは、カッコ悪くなんかない。




 ……。


 …………。


 ……………………ちがう。


 そう思った瞬間、手を振りほどいていた。


「? マキハル君?」


 ノアちゃんが不思議そうに小首を傾げる。オレ自身、ノアちゃんの手を振りほどいたのはほとんど反射だった。


 それでも。


「……ちがう」

「え?」


 口に出す、そこに感情が宿る。淡くても、苦しくても、自分でも全て理解できている訳じゃないとしても。


 違うんだ。何かが。


 顔を上げる。鮮やかなくらい真っ青な夏空を背にしたノアちゃんがいる。まだきょとん、としている彼女に告げる。


「ごめんなノアちゃん。ドモルが待ってっから」


 一瞬、ノアちゃんの目に何か別の色が映ったように見えた。でも彼女は、すぐさまいつもの軽やかな表情に浮かべる。


「そっかぁ、じゃあまた今度だね。ドモル君によろしくね」


 ひらひら、と手を振るノアちゃんに、手を振り返すこともなく。オレは彼女に背を向けて家路を辿る。まるで最初から何事もなかったみたいにオレたちは別れる。


 咽せ返るほどの暑さの中。シャワシャワと騒ぎ立てる蝉の声を余所に。


 心は落ち着いていた。


 ノアちゃんに言われたことは覚えている。その言葉で、いまだに胸の奥がちくちくと疼きもする。それでも、それよりも、心の中を占めていたのはもっと別のものだった。


 静かな疑問だけがあった。


 額に滲んだ汗を拭う。その手をじっと見る。


 ノアちゃんの手を咄嗟に振りほどいた理由。想い出した、メグの言葉。遊園地のパレードの最中に交わした言葉。それらが心の中でゆっくりと反発する感覚。そして、疑問。


 この感情は、一体何と呼ぶんだろう。




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