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Missing Never End  作者: 白田侑季
第9部 貪狼
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K汰 - petal




「マキハル、待って」


 背中に向かって声を掛けると、呼び止められたマキハルがビクッと肩を震わせた。くたびれた革靴に片足を入れたまま、狭い玄関の間で半身を捻って、振り返ってくれる。けれどその視線はやっぱり合わせてくれないままだった。


「……どうした」


 いつもの明るい、堂々とした笑みはない。瞳の奥にあるのは辛さを必死に隠そうとするような、居た堪れなさを悟られないようにひた隠すような、そんな陰だけ。


「あの、えっと……」


 だからぼくも少しどもってしまう。その間にも、声を掛けようと意気込んだ勇気が萎んでいく。


 ぼくのお願いと、圭が立てた作戦に対する長い話し合いが終わって、ぼくらはひとまず解散することになった。


 最初は圭の作戦にみんな動揺していた。先に圭と打ち合わせていたぼくですら、横で聞いていながら少し怖気づきそうになったぐらいだ。


 本当に上手くいくのか。本当に誰も傷つかずにいられるのか。だけど、そもそもぼくらには、それほど多くの選択肢が残されているわけでもなかった。それにカルは、五重奏は、Pへの動画や同胞の抱き込みも含めて先手を打ってきている。何より「8月31日当日に具体気に何をする気なのか」という肝心な部分がまるで分からない。


 ぼくらに出来ることはあまりにも少ない。みんなの動揺も仕方ないことだと思う。それは、ぼくが話した「圭と一緒に作った曲を投稿する」ということについても同じだった。特にマキハルは、言葉には出していなかったけど、ぼくが意思表明した時に一瞬、とても辛そうな表情を浮かべていた。


 それはどこか、突き付けられた事実から目を逸らすような。


 だから話し合いが終わって。リズが、イツキとミヤトを家まで送り届けることになって。その後に続くように無言で部屋を出て行こうとしたマキハルを、こうして慌てて呼び止めた。だけど。


「……ぼく、その、」


 上手く言葉に出来ない。何を言えばマキハルを元気づけられるのか分からない。何となく、今のマキハルはどんな言葉も欲しくないように見えた。


 それでも何かを言いたくて、言わなきゃいけない気がして、でもそんな葛藤も少しの躊躇で簡単に霧散していく。玄関先に籠った蒸し暑い空気で、じりじりと、じわじわと焼かれていくように。言葉にならない焦りが、ぼくとマキハルの間に、取り返せないほどの時間を刻んでいくような気がする。


「────すまんの」


 ふいに、マキハルが口を開いた。


「え……?」

「いやぁ、正直昨日から寝不足でサ。ほら、オレ様ってばこう見えて結構睡眠時間しっかり取る派っつーか。それで今日は、ちょい元気なしバージョンだったわけで。心配してくれてサンキューな」


 そう言ってへらり、と笑うマキハル。


「でも今日イチ良かったんは、オマエが元気そうだったことじゃん。ほら、全員が色々思い出しちまったわけだけどサ、オマエの顔色がそんなに悪くなさそうで、オレ様安心したゼ」


 マキハルは喋り続ける。明るく、はつらつと。


「何より、あれだけのことがあっても、オマエが『歌いたい』って自分で道を選んだこと、マジでスゲーと思った」

「そ、そんな、大袈裟だ」

「そんなことないゼ。ほんとにカッコいいよ、オマエは。だから今日もこうしてみんな集まったんじゃん? オマエが決断して、行動して、……K汰の兄貴と、曲作って、投稿しようって」


 明るく、はつらつと、いつもと変わらないと示したいみたいに。


「でも誰も否定しなかったダロ? オマエはちゃんと選んだ。ちゃんと自分で未来を選んだ。それは大袈裟なんかじゃなくて、本当にカッコいいことなんだゼ」


 励ますような言葉。労わるような口調。笑った目尻。でも。それなのに。


 どこかはぐらかすような。


「オレ様よりカッコいいのはちょい悔しいけどサ! こりゃあもうオレ様がいなくても十分、」

「────え?」


 思わず、声が出た。


 考えるより先に声が出た。かぼそい、小さな声が。でも紛れもない本心から出た声が。


「どう、して?」

「…………"どうして"って、何が」


 穏やかな口調。笑ったままの目尻。それなのに、どこか絞り出すようなマキハルの声。


「だってマキハル、言ってくれた。『ぼくがいい』って。『昔も今も、この先も。一緒にいるなら、ぼくが』、」

「────あんなんッ」


 一瞬、マキハルが語気を強めた。嚙み潰したような苦しそうな声は、それほど大きかったわけではないけれど、それでも狭い玄関にわんっ、と響き渡る。


 その反響にハッ、と目が覚めたようにマキハルの口調が元に戻る。焦ったように語気が修正される。伏せた目線が泳ぐ。


「あれは、ほら、ただの冗談じゃん? あの時オマエ、スゲー元気なかったしさ。少しでも笑わせたくて、さ」

「……じょう、だん」


 マキハルの言葉を聴きながら、あの日の言葉を、光景を思い返す。


 全部要らないと思っていた。全部望んではいけないと思っていた。みんなに想ってもらえるほどの価値がぼくには無いと思っていた。何も食べず、何もせず、何ひとつ風景の変わらない窓辺のソファで、ただ流されるように最期を待っていたあの時。マキハルが言ってくれた言葉。背中を押してくれた、あの言葉が。


 "冗談"。


 だから聞き返す。


「ほんとに?」


 マキハルは頷く。


「ああ」


 穏やかな口調を絞り出すように。笑ったままの目尻が歪まないように。そんな風に見えるぼくは、間違っているんだろうか。


「ほら、現にオマエはもう1人で選べてるじゃん? やりたいことも、……一緒にいたい人も。まあ冗談でもそんなこと言うとか、オレ様にしちゃあ方法がちょいカッコ悪かったけどサ。オマエが元気になれたなら結果オーライ、って感じじゃん。だから」

「でも、マキハル、」

()()()()()()()()()()()()()()()()

「────え」


 固い声音。冷めた口調。それまで聞いたことがなかった、マキハルからの明確な拒絶。思わず喉が詰まる。


 一瞬マキハル本人も理解が追い付いていないようだった。ハッと我に返ったマキハルは、何か言おうと口を開きかけたけれど、少しの間逡巡した後、苦しそうに眉根を寄せただけだった。


「…………ッ!!」


 結局マキハルは何も言わないまま、奥歯を食い縛ったまま、玄関扉をバンッと押し開けて、茹だるような真夏日の景色へと消えた。


 廊下の奥へ遠ざかっていく足音。重々しい音を立てて閉まる扉。


 玄関に取り残されるぼく。


 何も言えなかった。何て言えばいいのか分からなかった。どうしてマキハルがあんなことを、「冗談だ」なんて言ったのか、マキハルにどう応えるべきだったのか、ぼくにはその答えが分からなかった。


 狭く薄暗い玄関の縁で、考えても分からないことがずっと頭の中を巡っていた。


「────メグちゃん?」


 そのとき、背後から声が聞こえた。凛とした涼しい声音。


「……ノア」

「ごめんね」ノアは困ったように笑う。「盗み聞きするつもりはなかったんだけど。聞こえちゃって」


 ぼくはゆっくりと首を振る。玄関先で話していたのはぼく達の方だ。ノアを責めることはできない。


 ノアがぼくの顔を覗き込む。


「大丈夫?」


 ゆらり、と揺れる前髪の向こうで、ノアの透き通った赤茶色の瞳が揺れる。


 ぼくはすぐに答えられなかった。その様子をどう受け取ったのか、ノアは困ったような笑みを浮かべながら後ろ手を組んだ。


「うーん、メグちゃんは悪くないと思うけどなぁ。あ、もちろんマキハル君もね」


 歌うような、鈴のようなノアの声がぬるい玄関に響く。


「2人とも悪くない。だって2人とも嘘はついてないし、お互いに傷つけようとも思ってない。そうでしょ?」

「そう、だけど……」

「傷つけたくなくても、苦しくなることはある。我慢できないこともある。そういうこともあるんだよ。人間の難しいところだね」


 ふふっ、と笑うノア。


「マキハル君もメグちゃんのことが好きだから、K汰君とメグちゃんが仲良くしてるのが見てて辛かったんだろうねぇ」

「…………え?」


 反射的に聞き返した。でもノアは不思議そうに、当たり前のことのように首を傾げる。


「あれ、気付いてなかったかな? でも分かるよ、ヒトの感情って分かり易いようで、なかなか全部は難しいよねぇ。微妙なラインっていうか。感情の強度っていうのかな」


 ぼくの反応をよそに、ノアは困ったように微笑む。


「お互いに似たような感情を持っているように見えてても、その実それぞれの強度とか距離感とか持ち用って違っていて。だからこそ誰も悪くないのにこうして傷つけ合っちゃうことがあるんだよ」


 ノアの言葉を反芻する。"マキハルはぼくのことが好き"。


 ぼくもマキハルのことが好きだ。ぼくの背中を押してくれたマキハルのことは大切だと思ってもいる。


 でもきっとノアはそこにも気付いている。感情の強度、とノアが言ったのはつまるところ、ぼくの好きとマキハルの好きが違う、ということなんだろう。


 でも、それじゃあ。


「……じゃあ、ぼく、どうしたら」

「もちろん、メグちゃんの感情を無理やり変える必要はないんだよ。君は君のままでいい、そこは絶対に変わらないもん。うーん、でもこのままって訳にもいかないよねぇ」


 うーん、と首を捻るノア。


「そうだ! 私、マキハル君とちょっとお話ししてくるね」

「……え?」


 突如ノアが走り出す。呆気に取られるぼくの脇を通り抜け、靴を履き、重たい玄関扉を軽やかに開け放つ。


「お、お話って、何を?」


 まだ戸惑ったままのぼくに、ノアは涼やかな笑顔を向ける。


「大丈夫だよ、私に任せてメグちゃん。それじゃあ今日はありがとね!」


 言うが早いか、ノアはドアの向こう、蒸し暑い夏空が覗く外へと消えた。ドアが閉まる瞬間、「作戦の時にはちゃんと行くからねぇ」と聞こえたけれど。


 ガチャン。重たいドアの音。再び静かさに包まれる玄関。


 後に残されたのは、呆然と立ち尽くすぼくだけ。色んなことが一緒くたに起きて、それでも何もできなくて、ただ立ち尽くすだけ。


 大丈夫。私に任せて。そうノアは言ってくれたけれど。


 ノアは一体、何を話すんだろう。




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