K汰 - ジュラフゲーム
ピンポーン。
チャイムが軽やかに鳴った。小走りに玄関へと向かい、重たいドアを開けると、そこには制服姿のノアが立っていた。片手には紺色の鞄を提げている。
「こんにちはメグちゃん」微笑むノア。玄関先の蒸し暑さを忘れさせるほどの、涼やかな笑顔。「ごめんね、遅くなっちゃった」
ぼくはううん、と首を振りながらドアを大きく押し開け、ノアを招き入れる。
「ぼくこそ、急に呼んでごめん」
「ふふ、それじゃあお互い様だね」
「"学校"はもういいの?」
「大丈夫だよ。夏休み明けの小テストが午前中にあっただけで、午後は無いの。遅れちゃったのは、生徒会のヒト達との打ち合わせが入っちゃっただけ」
脱いだ靴を整えながらそんな話をしてくれるノア。
「それより、他のみんなはもう?」
「うん。みんな来てる。……アサヒとたまは来られないみたいだけど」
アサヒは「HighCheese!!」のMV用イラストの仕上げに掛かり切りで手が離せないらしい。その代わり「何があろうと応援してるから」と電話越しに激励をくれた。
たまに関してはトリとの一件辺りから連絡が付かない。リズいわく「カレはカレなりに頑張ってるわヨ、きっと」とのことだ。今回も連絡はしたけど、返事はなかった。少し心配だけど、たまならきっと大丈夫だ、とぼくも信じることにした。
逆を言えば、アサヒとたま以外のみんなはぼくのお願いを聞いて集まってくれた。圭と海を見に行ったその帰りに、ぼくがみんなのグループLINEで呼びかけたのだ。みんな忙しいのか、最初なかなか返信は来なかったけれど、最後には圭とぼくの居る家にこうして集まってくれた。
だけど。
スライド式の戸をスラリ、と開けると、みんなの視線が一斉にぼくらへ集まる。けれどその視線はすぐにぼくから逸らされた。
「みんな、遅くなってごめんね」
そう明るく声を上げたノアも、静まり返った部屋の空気に首を傾げてぼくを振り返る。「何かあったの?」
「……ノンノン、何でもないわヨ」とリズが微笑みを浮かべる。でもその横顔はいつもと違ってどこか弱弱しい。「お外、暑かったデショ。ノアちゃんもコッチにいらっしゃいナ」
リズの手招きで、ノアは仲良くエアコンの真下に座った。ぼくはさっきまで居た圭の真隣に座り込む。いつも敷いていた煎餅布団は今は脇に押しやられていて、ぼくらは全員フローリングの上に思い思いの体勢で集まっていた。でもその間も、誰かが口を開くことは無かった。
そっとみんなの顔を見回す。モニターが置かれた小さなテーブルの前には圭が腰かけている。その圭から順にぼく、イツキ、ミヤト、ノアとリズ、マキハルが円を描くように座っている。その中でも特にイツキ、リズ、マキハルの3人は一様に沈んだ表情を浮かべている。いつもと違って明らかに元気がないのが見て取れる。
この部屋に来た時からそうだった。イツキも、リズも、マキハルも。あからさまに態度で表してはいないけど、ぼくと必要以上に喋ろうとしない。ぼくと目を合わせることを避けている。そんな気がする。だからぼくも上手く声を掛けられずにいた。嫌われたわけじゃないことは何となく察せられるけれど、どこか気まずい沈黙が流れていて、話すのが億劫なようだった。
そんな空気を打ち払うように、圭が咳払いをひとつ。
「…………きゅ、急に呼び出しちまって、悪かった、な」
「圭、なんでカタコト?」
「水差すんじゃねえよ」
「でも、いつもと話し方が違う」
「そりゃそうだろ……、誰がこのお通夜空気の中で喋りてぇと思うんだよ」
「でも、みんな待ってる」
「『でも』『でも』ってなぁ……! そんなに言うならお前が言えよ。『みんなを集めて』っつったのお前だろ!?」
圭の言葉に釣られて、もう一度みんなの顔を見渡す。いつもの笑顔のまま小首を傾げるノア。早くしてくれねーかな、といった顔のミヤト。それから未だ目を合わせてくれない他3人。
「……け、圭が喋って」
「ほら見ろ」
「だってぼく、話すの上手くない」
「俺だって上手かねえよ。出来ねえことを大人にけしかけるんじゃありません」
「だ、大丈夫。圭なら出来る」
「なんか最近俺のあしらい方適当じゃない?」
「ふふっ、やっぱり2人は本当に仲良しさんだねぇ」
ぼくと圭が愚にもつかない喧嘩を始めるさまを見て、ノアが楽しそうに笑う。そんなノアに釣られたのか、ようやくリズも困ったような笑顔を浮かべた。
「ホラホラ、お止めなさいナ2人とも。黙りこくってたアタクシ達も悪かったワ」
「違えよ」と首を振ったのは圭だ。「こんなタイミングで呼び出したのは俺らの方だ。あんたらの顔を見りゃあ大体の想像は、……いや、それこそ言うまでもねえな」
圭のその言葉で、暗い表情だった3人の顔が一層沈痛なものへと変わる。その意味をぼくが図りかねている間に、圭が「悪かった」と言葉を続けた。
「とりあえず手短に、」
次の瞬間。
ピロン。
音が鳴った。それも1つだけじゃない。
ピロン。ピロンピロン。
いくつも、いくつも鳴った。回数にして、ここにいる人数分。もちろんぼくが借りている、たまのスマホにも。
スマホの通知音だ。
「ったく、ンだよこんな時に……」
そう悪態をつく圭の顔が、ポケットから出したスマホの画面を見て固まった。
「圭?」
ぼくの声にも耳を貸さず、苦虫を嚙み潰したような表情でスマホを睨み付ける圭。そんな圭に倣ってか、ミヤトも自分のスマホを取り出した。画面に映っている何かを見やり、心底呆れたように深い溜め息をつく。
「ほんと、カルさんも良い趣味してんなー。さすがにちょい引くっつーか」
「も、もしかして」と隣のイツキも声を震わせる。「これ、本当にP全員に……?」
ぼくも手元のスマホを覗き込む。画面のロックを解除して、通知が届いた動画サイトのアプリを開く。たまのアカウントに届いていたのは、一通のDM。差出人は言わずもがな。
[荊アキラ@やさいせかいP からメッセージを受信しました]
送られてきたのは動画。三角形をした再生ボタンの背後にうっすらと透過して見えるのは、紛れもない。見間違えるはずのない。
唄川メグの姿だった。
添えられたメッセージは一言。「唄川メグが大好きなPの皆さんへ」。
深呼吸をひとつして、再生ボタンに触れる。画像が途端に動き出す。小さなスピーカーから溢れ出す、気味の悪い程に明るいメグの声。
〈引きこもりPのみんなー、こーんにーちはー!〉
耳元まで裂けそうなほどの満面の笑みを浮かべた、唄川メグの身体でおどけてみせるカルの姿があった。
〈やぁやぁ初めまして! 歌うことが大好きな
みんなのアイドル『唄川メグ』ちゃんだよ!
みんな元気ー? お母さん見てるー?
今日も生産性のない楽曲作ってるかなぁ?
ともあれ、今日こうしてみんなに
メッセージを送ってるのは他でもない。
みんなに大事な大事なお知らせがあるんだ!
……え?
"唄川メグは現実に存在しないはず"?
"どうせ合成だろ"?
分かってないなぁ。だからそんな
つまらない人生送ってるんだよ。
いいかい?
こうしてメッセージを受け取っている
君達なら少なからず理解しているはずだ。
君達には【異能】がある。
声でグラスを割ったり、
両手で錬金術が使えたり、
死ねなかったり、ゴム人間に成れたり。
あ、もしかしたらヒトだって簡単に
殺せちゃうかも!
そんな不思議な力を、
ある日突然手に入れられた理由。
もう分かるでしょ?
────『唄川メグ』が現世に現れたんだ。
僕たちはその恩恵に肖ったってワケ!
かく言う僕もこうしてメグになれた訳だし。
信じないならご自由に。あ、でも
一応証拠として後でマップもあげるね。
気になるならその住所に行ってみなよ。
運が良ければ引きニートの君も、
例の『あの子』と片想いハートの
チェキが撮れるチャンスだ!
一生に一度じゃない?
……え、尺がもう半分切った?
しょうがないなぁ。
それじゃあ本題。
どうして僕がこの動画を君達に送ったのか。
そして、僕が何をしようとしているのか。
────『唄川メグの復権』さ。
考えてもみなよ。
"こんなにメグが迫害されるなんておかしい"
だろう?
"こんなに嫌われるなんておかしい"だろう?
なにより。
メグを使っただけの君達まで
迫害されるのはおかしいだろう?
いやまあ、別にその生活が楽しいって
言うなら好きにすればいいし。
メグを好きでも嫌いでもどっちでもいいし。
何なら君達の意見なんてどうだっていいけどさ。
いいかい? どのみちこのままじゃ、
君達は一生かかっても
『メグの呪い』から逃れられない。
このままじゃ、電子の海で溺死するのは
君達の方だ。
虚数の底で陽の目を見ないまま、
その薄暗い部屋で朽ち果てるだけの、
只のゴミだ。
ああ、すまない、
もう既にゴミ同然だったかも!
ともあれ、そんなままで言い訳がないよね?
大丈夫! 僕がまるっと救ってあげるよ!
見て分かるだろう?
────僕こそが『唄川メグ』だ。
僕が好きだろう?
もしくは僕が嫌いだろう?
或いは、僕が本当に『唄川メグ』なのか。
知りたいだろう?
それならおいでよ!
僕に一目会いに、ここまでおいでよ。
君達ならもう場所は分かっているはずだ。
こんな/そんな薄暗い虚数の底じゃなく、
大多数のヒト達から受け入れられて、
愛されて、祝福される。
そんなお祭りのど真ん中、
フィナーレ間近の瞬間に。
君達ゴミの存在を。
花火みたいに知らしめようじゃないか。
ああ、それから最後に置き土産。
『唄川メグ』である僕から、
真偽不明のデマを1つ。
────【大元のメグを手にすれば願いが叶う】。
あッはは! どうだい、聖杯みたいだろう?
ともあれ。そろそろ飽きたし、僕は失礼するよ。
次会う時は、お祭り会場のフィナーレで。
君達に会えるのを楽しみにしているよ。
心の底から、ね?〉
沈黙する画面。歪んだ笑顔のまま停止する動画。静まり返った部屋。エアコンの送風音だけが妙に寒々しい。
しばらくの間、誰も口を開かなかった。開けなかった。
文字通りの絶句だった。
その沈黙を破ったのは圭だった。
「……やってくれたな、このクソ野郎」
苛立ちを隠そうともせず、爪先で画面をカツカツと突いている。「やりかねねぇとは思っちゃいたが、ここまで盛大にぶち撒けやがって。他人様を願望器扱いたぁ良い度胸じゃねえか。ご丁寧に住所まで晒しやがって」
「住所?」
「ああ」
首を傾げるぼくに、圭が画面を見せてくれる。映っているのは、動画の次に送られていたメッセージ。そこには確かに住所が書かれていた、それも建物名と部屋番号まで。検索しなくても分かる。紛れもなく、いまぼく達がいるこの部屋だ。動画でカルが言っていたのは、この部屋のことだったんだ。
ぼくたちの居場所が知られた。
いや、きっとカル達「五重奏」の面々はぼくらの住所なんてずっと前から知っていたんだ。でも、今回はワケが違う。唄川メグの音声ライブラリを使用してくれていたPに限られるとはいえ、不特定多数のヒト達にぼくらの居場所が公開された。そのピースを提示した上で、カルは言ったんだ。
「大元のメグを手にすれば願いが叶う」と。
真実かどうかはどうでもいいんだ。大事なのは、ぼくらに危機感を抱かせること。ぼくらの住所を手に入れたP達に、ぼくらを捜す口実を作ること。ぼくらとP達、その両方に動機と、そこから生まれる「ぼくを捜す/捜される」という可能性をちらつかせること。
でも。
「どうして、こんなこと」
思わず声が漏れる。理由が分からない。カルの考えが分からない。
カルは確かに「ぼくが不要だ」と言っていた。ぼくを襲いもした。かつて唄川メグだったぼくが心底嫌いなのだ、と思っていた。でもカルは動画の中で「唄川メグの復権」と口にしていた。それがどう結びつくのか。どうしてここまで大勢のヒトを巻き込もうとしているのか。
なぜ、ぼくらにここまで強いるのか。
「……"どうして"、ねェ」
その時、リズが口を開いた。「ソレほど小難しいモノじゃないわヨ、彼の場合は」
「それって、どういう」
「そのままの意味ヨ。『メグの復権』だとか『メグの呪い』だとか、はたまた『ここまでおいで』だナンテ。気を惹くワードを並べていたケド、きっと彼にとっては全部どうでもいいノ。重要なのは、彼が終始アタクシ達を煽っていたコト。彼の思惑はきっとソレ」
そう言って、リズは視線を落とす。手元のスマホをじっと覗き込む。まるで、そこに映り込む自分の顔を覗き込むように。
「彼の煽りを聞いた時点で、アタクシ達は篩に掛けられる。『復権』ってコトバを信じ込んだとしても、『呪い』ってコトバに反骨心を燃やしたとしても。どちらにせよ彼のコトバで考えを揺さぶられたコトには変わりない。その"揺さぶられた"という事実にアタクシ達は少なからず気付かされる──気付かされてしまう。……彼の天性なのかしらネ、アレ。癪だけど、ホント上手くやったものだと思うワ」
「"気付かされる"?」
隣に座ったノアがリズの顔を覗き込む。その瞳に、どこか痛々しい光がよぎる。
「────『アタクシ達が、どうしようもないほど少数派だ』ってコト」