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Missing Never End  作者: 白田侑季
第8部 胎動
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マキシマム遥 - サンカッケイサンカッケイ




 川を眺めていた。


 目の前に広がる水面に、明けたばかりの朝日が乱反射する。水の跳ねる音。水面を吹き渡る風。両岸に架かる橋の上を車が走り、人が歩き、街はだんだんと朝の静けさを忘れていく。その様子が故郷の景色を思い出させて、懐かしさと苦い記憶で喉が詰まる。


 そんな人間が、一睡も出来ないまま川辺のベンチで一夜を明かしたことを、きっとこの街の誰ひとり知らない。


 突然ポケットの中で、ピコピコ、とスマホの通知音が鳴って、一瞬胸がざわつく。が、表示された通知を見て、ざわつきは落胆に変わった。


 送ってきたのは友人(ダチ)。文面はシンプル。


 〈生きてんの?〉


 その文面を読むと同時に、オレの顔を勝手に認識したスマホが画面ロックを解除した。アプリの右上で「2」の文字が赤く光っている。生きてんの、なんて直球な文章を送ってくる割に、数は少ない。オレが一晩帰らなくても大して気にしていない証拠だ。チャットを開いて「既読」だけ付けた後、すぐに画面を閉じた。そして再び何もない川面にぼうっと視線を向ける。


 オレ、何してんだろう。


 空っぽの頭の中、もう何度目かのセリフが浮かぶ。溜め息も出ないまま。


 昨日は一日中街を歩き回っていた。目的地は無かった。スタバでコーヒーを頼んで、飽きたら路地裏をぶらぶらして、それにも飽きたらゲーセンに入った。でも遊ぶ気なんて起きなかった。ファミレスに入っても、適当に注文したドリンクバーで麦茶ばかり飲んで、結局ものの15分で外へ出た。


 街はいつも通りだった。人は多くて、それぞれがそれぞれの顔で歩き回っていて、その全部が二度と会わない人間だった。ちょっと目を離せばいなくなる。ちょっと聞き逃せば聞こえなくなる。すれ違えば顔も合わせない。それはどの街も、ネットも、一緒なんだろうなとか、そんなどうでもいいことをぼんやり思った。


 でも、興味は湧かなかった。


 ダチの家には戻らなかった。ずっと、ずっと歩いていた。歩けば何か変わるかもしれない、そんなことを頭のどこかで願うように。でも日は暮れたし、夜の街は見ているだけでカロリーが高かったし、そうこうしている内に日付は勝手に変わった。鍛えた、と自負していた脚は棒のようになって酷く痛んだ。適当にどこかで横になろうか、と思ったけど、ホテルの値段は高かったし、路上で寝ると酔っ払いが絡んできた。比較的明るい駅のベンチで横になろうとしたら警備員に止められた。都会の駅はしっかりしとるの、なんて考えながら、それでも休める場所はなく。結局この川辺のベンチに落ち着く頃には、もう夜が明けようとしていた。


 吹き渡るぬるい風に目を細める。セットしていた髪はぐちゃぐちゃだ。徹夜のせいで瞼も重い。それなのに眠れない。空っぽの胃が胃酸で締め付けられる感覚が虚しい。それでも動く気力がないまま、同じ姿勢で川を眺めている。


 鼻の奥を満たす水の匂い。


 地元のそれとは違うはずなのに、寝不足の頭は過去の光景を視界にダブらせ始める。


 昔通っていた中学は地元でも有名な不良校だった。といっても入学した時期はちょうど変革期だったらしく、大人たちが陰で噂するほどの"不良"はいなかった。それでもある程度の悪ガキはどこの中学にもいるもので、授業中に校舎内を自転車が走り回っていたし、あちこちでタバコと香水の匂いがしたし、女子のスカートは短いし、男連中の腰パンは当たり前だった。静かな授業中、教壇に立つ先公にちょっかいをかけては逃げ回る奴らの為に、生徒指導の教員たちはトランシーバー片手に四六時中見回りしていたものだ。


 そんな学校だったものだから、"悪ガキ"以外の生徒の大半も、少しハメを外したような奴らだった。


 オレもそんな奴らの1人だった。"悪ガキ"連中とつるまない代わりに、売られたケンカは買っていた。一番ヤバいことに手を出さなければ、他は何をやってもいいと思っていた。ガン飛ばされた、因縁つけられた、といちいち騒いではちょっかい掛けてくる連中との"話し合い"は大体拳で解決した。幸い負けたことはなかった。小さい頃に空手は齧っていたし、運動神経は良い方だったから、日頃の鬱憤を拳に乗せれば大抵勝てた。


 そしてケンカした後はよくこうして川辺で過ごした。故郷は川の多い街で、"犬も歩けば川に当たる"状態だった。川辺なんてそこら中にあった。


 殴られた痕も、切れた口端も、そのまま帰れば小言の嵐なのは目に見えていたから。自販機で買ったスポドリを冷却材に、赤みが大雑把に引くまでのどうでもいい時間を、こうして川面をぼうっと眺めながら日が暮れた後も過ごしていた。綺麗とも汚いとも言えないどっちつかずの水面。鼻の奥を満たす水のにおい。夜に浮かぶ街灯と、その光を受けて暗い水面の上で爆ぜる、気が遠くなるほど無数の乱反射。大して色味のない、グレースケールな景色。


 街の人間から見れば何て事のない、つまらない景色。


 もちろんオレもつまらなかった。でも学校よりは、家よりは、マシだった。


 「オマエは夢を見過ぎとる」。それがオレに対する周りの評価だった。


 もっと現実を見ろ。もっと経験に学べ。もっと大人の言うことを聞け。そうじゃないとこの先やっていけない。オマエの考えは脆すぎる。オマエの理想は本当にただの理想でしかない。オマエに出来るわけがない。オマエは夢ばかり見て、夢ばかり語って、いつかきっと後悔する。どうして周りの言うことを聞かない。


 「()()()()()()()()()()()()」。


 我慢できなかった。その言葉を、どうしても呑み込めなかった。


 言っていることは分かる。理解も出来る。でもそれじゃあオレの感情はどうなる? 夢が脆い、なんてオレは知らない。脆いと知る前に夢を潰して何が経験だ? 後悔することすら取り上げられたまま、どうやって納得しろって言うんだ?


 ()()()、って誰なんだ?


 抑えきれない感情は鬱憤になった。鬱憤は拳に変わった。殴って解決するなら分かりやすいと思った。でも案の定、殴って解決することなんてほとんど無かった。誰かを殴るたびに、授業をボイコットするたびに、周囲の冷めた眼に晒されるたびに。新しい鬱憤はいくらでも溜まった。晴れることはなく、抜け出すことはなく、そうしていつしか夢もなく。


 そんな荒んだ光景が、オレの日常だった。


 ────変わったのは「唄川メグ」に出会ってから。


 ハードロックやヘヴィメタルを追い掛けていたオレが、まさかバーチャルシンガーに嵌まるなんて。オレ自身想像していなかった。あの日友人から勝手に借りた(パクった)スマホ、その誤操作でたまたま流れ出したその曲に、オレは文字通り、横っ面を殴り飛ばされたような衝撃を受けた。


 音楽が。歌詞が。MVが。そして何より、その声が。こっ恥ずかしい言い方をするなら、運命だ、と思った。


 そして知った。


 オレは、唄川メグが好きだ、と。


 一聴して、惚れた。瞳の奥で光が弾けた。文字通り、世界が色付いた瞬間だった。


 それからは何もかもが夢中だった。ピアスを外した。香水を変えた。生活態度を変えて、ケンカは"正当防衛"だけにして。大人の信頼を得るために最低限の勉強をして。そこから得た信頼を小遣いの前借りに全振りして、その小遣いで「メグ」のソフトを買った。低空飛行の成績で何とか高校に入学し、その入学祝いとしてスマホも買ってもらった。YouTubeに上がってた解説動画を見ながら、暇を見つけてはピアノアプリを触った。部活にも入らずバイトに明け暮れ、捻出した金で機材も揃えた。


 生まれて初めて"本気"の努力をした。


 少しずつでも、爪の先ぐらいでも、変われると知った。オレは変われるんだ、と信じた。


 そして、曲を作った。


 初投稿した曲は今聞いても超がつくほどカッコ悪かったけど。頭が爆発するぐらい悩んで、上手くできない自分に身悶えして、そうして出来上がった曲は不思議と消せなかった。わざと県外の大学を選んで独り暮らしを始めると、増えた時間はそのまま楽曲製作の熱量へと変換された。大学の講義以外はほぼ製作時間に費やした。


 そうこうするうちに、オレに衝撃を与えた「K汰」ほどじゃないけど、オレにも聴いてくれる聴衆が現れた。そこからは更にあっという間で、「マキシマム遥」の名前はオレの想像を遥かに超える速度で広まっていった。


 可愛くて、キラキラしていて、きゅんきゅんするような曲を書くP。


 それが「マキシマム遥」であり、オレだった。


 ────自分が何者かは能力で決まるのではない。どんな選択をするかだ。


 ガキの頃から好きな映画。そこから取った、オレの座右の銘。


 オレはその通りにやってきた。自分で選んだ。自分で決めた。それがオレであり、「マキシマム遥」だ。


 メグの──あの子の隣に立てる人になりたい。


 そんな未来を願った。そんな夢を想った。そんな未来に向けて必死に走ってきた。


 たとえ触れ合えない距離だとしても、叶うことがないと分かっていても、そんなことは問題じゃなかった。オレの願いは、次元を超えた恋人になることじゃない。「メグを好きだ」と胸を張って言える人間であることだ。


 「唄川メグ」そのものの出自は正直どうでも良かった。オレはそもそもネット畑の人間じゃない。何より、顔も合わせたことのない他人からどう思われようが頓着しない。頓着したって意味がない。オレが選んだ道が、"オレ"という仁義に基づいていればいい。第一「メグ」自身が誰かを積極的に傷付けたわけじゃない。「メグ」はオレと違って誰も殴っていないし、誰かを傷付けたくてそこに居るわけじゃない。オレの想いが変わることはない、と。


 全部が必死だった。何もかもが死にもの狂いだった。


 それでもここまで来れた。オレの見た夢は、ただの夢じゃなかった。ただの夢で終わらせなかった。この夢がオレをここまで変えてくれた。聴衆もある程度いてくれるし。何よりオレ自身が一切後悔していない。5月頃から「メグ」騒動が始まって、居ても立ってもいられず、一番気になっていた「K汰」にDMで連絡を取り付けた。「K汰」から返事が来たときは本当に小躍りした。8月に入って夏休みになった瞬間、ダチの家への居候を取り付け、この都会(まち)に飛んで来た。


 そして出会った。


 オレは、現実に「メグ」に会えた。


 出会ったタイミングはかなり悪かった。五重奏の奴らの乱入で事態はややこしくなっていたし、みんなかなり追い詰められていた。「メグ」も、心に深い傷を負って。オレは、アサヒの姐さんの家に匿われたメグに対して必死に声を掛け続けることしか出来なかった。


 あの家で、か細いながらも彼女の声を聴いたあの瞬間は、言葉じゃ言い表せないほどだった。胸の奥から熱いものが込み上げた。一聴しただけで、感情が、記憶が、想いが、全てがあの日に吹っ飛ばされた。初めて「唄川メグ」と出会った、あの日に。


 あの日。荒んだ毎日と、抜け出せない周囲の眼と、それに振り回されながらも無力な自分がいたあの日。その全てをぶっ壊してくれた存在が。身勝手にも救われた、救ってくれた存在が。


 信じられないことに、いま、自分の目の前にいることが。


 たまらなく胸を満たした。カッコ悪くも、泣いてしまいたいほどに。


 だから決めた。「メグ」の──彼女の選択を応援しよう、と。あの日彼女がオレに新しい未来を示してくれたように。オレは彼女の未来をどこまでも尊重しよう、と。今度はオレが彼女に未来を示す番だと。


 あの子がどんな選択をしようとかまわない。歌おうと、歌うまいと、音楽を好きでいようと、嫌いになろうと。それでもオレが彼女を好きでいることは変わらないのだと。


 それが、オレの決めた未来。オレが選んだ未来。




 ────だったのに。




 思わず胸元を押さえた。ジリジリと焦がされるように蠢く心臓。ひどい倦怠感。鼻につく水の臭いと、狭まっていく視界。渇いていく、オレの中身。


 認めたくなかった。気付きたくなかった。


 他でもない自分の中に、どうしたって消せない"何か"が在ること。


 あの子の傍にはK汰の兄貴がいた。あの子が最初に出会ったのが兄貴で、2人は何度も助け合っていて、支え合っていて、繋がりはどこまでも強かった。だからきっと、あの子は兄貴の傍を選んだ。恋人じゃないかもしれない、友達とも違うかもしれない、でもお互いに無くてはならない存在だと傍から見ても理解できた。


 あの子の傍には兄貴がいる。


 だから、オレの力は必要ない。


 オレの応援は必要ない。使えるけど必須じゃない。必ずしもオレを望んでいるわけじゃない。優しいあの子のことだ、オレが「力になりたい」と言えば拒んだりはしないだろうけど。でもその後は?


 オレはどこまであの子の傍に居られるんだ?


 嫉妬じゃない。執着じゃない。高望みなんてそもそもしてない。出会えただけで奇跡で、それ以上の関係を望んでいない。それは間違いない。


 そのはずなのに、心の奥底にこびりついた"何か"を拭い切れない。


 直視できなかった。その"何か"を理解することを避けた。目を逸らしたくて、街をさまよった。スマホの通知を見られなくなった。誰にも連絡できなかった。いま誰かと会ってしまえば、いまあの子と会ってしまえば、どんな顔をすればいいのか分からない。無理やり浮かべた笑顔のせいで心がズタズタになりそうで怖い。


 出しゃばりたくない。爪痕なんて残したくない。潔く身を引きたい。自分の為だけに、他人の人間関係を踏み荒らすようなダサい奴は嫌いなんだ。


 何より、あの子は一人で歩こうとしている。ちゃんと現実を受け止めて、過去を受け入れて、そうやって未来へ進もうとしている。それなのにオレは「好きに選べ」って、「あんたの選択を尊重する」って言っておきながら、自分が選ばれなかったからってあの子に縋るのか? 


 あの遊園地で、ちゃんと諦められたと思ったのに。それなのに今度は、諦めたから、って理由を建前にみんなから離れるのか? オレはそんな自分勝手な奴だったか? こんなに動揺するなら、オレの覚悟はその程度だったのか?


「……だっせ」


 つぶやく。顔を覆う。抑えきれない感情がこれ以上溢れないように。喉まで出かかる言葉がこれ以上零れないように。でもそうして押し殺した感情の渦が、言葉のつかえが、身体の内側をボロボロと削っていく。削られた黒い"何か"が降り積もって、苦しくて、情けなくて。


 こんな時まで感情に囚われる自分が、心底格好悪くて。


 全員の記憶が戻ったいま、ネットでは何が起きてもおかしくない。五重奏の奴らも何かしら準備をしているだろう。メグがこれから先直面することは、きっともっと酷くなる。なのに。


 光景が浮かぶ。黄色いショートヘアのあの子と、隣に立つK汰の兄貴。そんな2人の背中を見るだけの、


「だせぇよ、オレ」


 いたい。いたい。身を切られるようにいたい。


 オレという存在がバラバラになっていくような感覚がひどくおそろしい。


 怖い。


 オレが積み上げたものが。オレが選んだ未来が。オレ自身が。これ以上ここに在ったら、いつか、あの子の未来を握り潰してしまう。オレがあの子の未来を閉ざしてしまう。そんな可能性があることが怖い。未来を夢見ることの大切さを──未来を取り上げられる苦しさを一番知っているはずのオレが。自分の感情一つまともにできないせいで、あの子の未来を壊す。気に入らないから、と何もかも殴り飛ばしていた、あの頃みたいに。


 そんな可能性があることが怖い。


 それとも。オレの"未来"なんて結局そんなものだったんだろうか。


 儚くて、脆くて、吹けば飛ぶようなどうでもいいもので。結局バカやってたあの頃と何も変わらなくて。オレは何も変われていなくて。


 おまえには無理だ。


 おまえにはできない。


 みんなそう思ってる。


 そんな呪いから逃げたくて。変わりたくて此処まで来たのに。変われると信じて変わろうとしたのに。変われたと思っていたのに。


 オレの描く未来は何も変わってないんだろうか。触れれば砕けるような、弾けば散るような、爆ぜた花が元には戻らないような、そんな夢物語。なんだろうか。


 うな垂れる。膝に顔をうずめる。ベンチから立ち上がれなくなっていく。どこにも行けなくなっていく。川面の乱反射。水の臭い。自分の感情で溺れていく感覚。動き始めた街と、置き去りにされる自分。


 どこにも行けない。行く意味がない。変わる必要がない。かっこよく振舞う理由ももうない。


 オレは、これから。




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