K汰 - WEEKEND UMBRELLA
「ほらよ」
圭の言葉で振り返る。直後、ぼくに向かって何かが放り上げられ、ぼくは慌てて両手でキャッチした。カサカサ、パリパリ、と乾いた音のする袋の中には、柔らかそうなパンが入っている。
「朝飯だ。腹減ったろ」
隣でぼくと同じように壁に背中を預けながら、圭がそう言う。確かにお腹は減った。ようやく電車から降りて、少なからず緊張がほどけたのかもしれない。到着した駅から降りてすぐ、近くにあったこの「コンビニ」に圭が立ち寄ろう、と言ったのも、そんなぼくの様子をどこかで感じ取っていたのかもしれない。圭の言葉に甘えて、素直にパンの袋を開けることにする。
「圭、これ何パン?」
「知らん。とりあえず、お前が食ったことなさそうなヤツ」
「圭は食べない?」
「朝飯基本食わねえんだよ。コレでいい」
そう言って圭は、片手に持っていた缶をぼくの目線の高さで振って見せる。
「それなに?」
「レッドブル」
「青いのに」
「知るかよ」
短い会話。他愛のない会話。でもどこか心地いいそのやり取りは、早朝の静かなコンビニの駐車場にそっと霧散していく。駐車場はそれなりに広く、車も数台停車している。気を利かせてくれたのか、圭はぼくを敷地の隅の壁際に待たせて、1人で店内に入っていった。でも圭が戻ってくるまでの間、お店の自動ドアから他のヒトが出てくることはなかった。
辺りにヒトの気配はない。夜明けてすぐの仄明るい空の下、静かな駐車場にぼくと圭の声だけが静寂に溶けていく。
「……!!」
開けたパンを頬張った瞬間、柔らかい甘さが口の中に広がって、思わず飛び跳ねそうになる。サクサクとしたパン生地の中からとろり、としたクリームが溢れ出し、口の中が幸せな感覚で満たされていく。
「ふぇい、ほのハン、むいひい。ももふ、もいひい」
「呑み込んでから喋りなさい。はしたねえ」
「……んぐ。圭、このパンおいしい。すごくおいしい」
「さいで」
「圭。袋に書いてある。『クリーム メロンパン』って書いてある。とっても美味しい」
「分ぁーったよ。お気に召したようでそりゃ何より、……ンだよ」
たじろぐ圭。その圭に向かって、手の中の「クリームメロンパン」を差し出す。
「圭も食べるべき」
「……さ、さっきも言ったろ、俺は朝飯、」
「圭も。食べる。べき」
「分かった、分かったからッ、パンを口元に押し付けてくんな独りで食えるッ!!」
ぼくが突き出すパンを必死に避けながら叫ぶ圭。でもぼくは首を振った。「だめ。このパン、触ると表面がペトペトする。だから……、はい」
まだ口を付けていないところを少しちぎって、圭の口元まで差し出す。ちょっと高いけど、何とか腕を伸ばせる距離だ。でも圭はどこか狼狽えた様子で、じりじりと後退する。心なしか冷や汗もかいている。
「……そ、そんなの気にしねえよ。何より俺もういい年した、」
また言い訳しようとする圭。でも何とか納得してくれたのか、周囲にヒトがいないことを頻りに確認しつつ、意を決したようにそっとぼくの方へ顔を寄せ、口を開いてくれた。その口の中にちぎったクリームメロンパンをちょこん、と入れる。
「美味しい?」
しかめ面のまま、もぐもぐと無言で咀嚼する圭は、それでも渋々頷いてくれた。そんな圭に、ぼくも嬉しさが込み上げる。
「……よかった」
圭を横目に、ぼくも残った方のパンに再び口を付ける。サクサクとした生地が口の中で弾ける。とろり、としたクリームも一層その甘みを増す。圭と会ってから美味しいもの、楽しいことが増えていく。
「きっとこれから先も」。そう願って良いのなら。
「……どうしたの圭」
「んでもねえよ」
「何でもある。ぼく、圭のその顔、はじめて、」
「うるせえさっさと食わねえならもう行くぞ」
徐ろにレッドブルを勢いよく煽った圭は、そのままスタスタと歩き出す。
「ま、待ってよ圭っ」
その背中を見失わないように、ぼくも小走りで追いかける。
「圭、海は」
「……」
「もうちょっとで着く?」
「……すぐそこだ」
「うぉふあっふぁ。ふぁのふぃ」
「だから呑み込んでから喋れよ」
並んで歩くぼくら。静かな朝の空気に溶ける靴音。ごくん、と甘みを呑み込んで、顔を上げる。生ぬるくなり始めた風の中に、嗅いだことのない、塩っけのある香りがしている。
圭が作った音楽。広がりをもった音楽。それに似た空気に包まれた海辺まで。
ヒトの気配のない海までの道を、2人で歩いていく。