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Missing Never End  作者: 白田侑季
第8部 胎動
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K汰 - 潮騒の椅子




 タタタン、タタタン、と視界が揺れる。一定のリズムで窓辺の景色が上下する。窓の外はまだ暗く、車両内の方が明るいくらいで。うっすら反射するぼくの横顔に透けて、家の屋根も、生い茂った木々も、絡み合った電柱と電線も。全てが凄い速さで流れていく。


 そんな光景を、何が在るでもなく見ている。


 隣の座席に腰かけた圭が、トントン、とぼくの肩を突つき、スッとスマホの画面を見せて来た。


〈寝てていいぞ〉


 画面に並んだその文字を見て、顔を上げた。頭1つ分ほど上に圭の顔がある。視線の合った圭がびっくりしたのか、一瞬のけぞるように顔を背けた。そんな圭にぼくはそっと首を振る。眠気はない。というか眠れる気がしない。


 再び顔を自分の脚先に戻す。細かな傷跡や靴底の汚れでうっすら曇った車両の床に、ぼくと圭の脚先が並ぶ。そっと視線だけ上げるけれど、幸い、今は他のヒトはほとんどいなかった。もう八月が終わろうとしているからなのか、それとも時間帯によるのか、電車に初めて乗ったぼくには分からなかった。


 車両内は静かだった。ヒトはまばら。誰も声を上げない。物音もほとんど立てない。そんな空間に、タタタン、タタタンという電車特有の音が、一定のリズムで聞こえている。


 昨晩。ぼくが圭にお願いしたのは「海に行くこと」だった。


 圭が作ってくれた曲。昨日朝起きてからほぼ丸一日、2人で作り続けた圭の曲。


 曲に備わった「誰もいない空間」、広がりをもったイメージ。


 そのイメージをアサヒは"誰もいない海岸"に例えていた。イメージをしっかり掴む為に、ぼくは圭の知っている"誰もいない海岸"を知りたかった。圭に言及されたわけではなかったけれど、もしそのイメージが圭の曲に合っているものなら、ぼくも同じ感覚が欲しかった。「海に行ってみたい」。そう言ったぼくに対して、圭は最初面倒くさそうな顔をしたけれど、アサヒの後押しもあって何とかオーケーしてくれた。ただ「ヒトの少ない電車」「誰もいない海岸」の条件をクリアするために"始発電車"に乗ったから、隣の圭はさっきからあくびが止まらないようだけど。


 アサヒは車で送ってあげる、と言ってくれたけれど、ぼくが断った。いまアサヒはイツキ達の楽曲用のイラストを描くので必死だ。それに、このタイミングで「歌わせてほしい」とお願いしたのは元はぼくだし、「歌ってくれるんだろ」と言ってくれたのは圭だ。アサヒに迷惑を掛けないためにも、圭と2人だけで海に向かうことを決めた。


 ふと自分の服装が目に入った。黒と水色の2色が非対称に配置された半袖パーカー。ジーンズ柄の短パン。アサヒが貸してくれた(たぶんイツキかミヤトの)服。いつものヘッドホンは耳に掛けているけれど、背負ったリュックサックは大して物は入れていないからかなり軽いし、とても動きやすい。「インドアが夏の砂浜に出たら確実に体力が擦り減る」という圭の一言で、服装は軽いものになった。周囲のヒトの無関心な反応を見るに、そこまで目立つものでもないんだろう。少し安心する。


 電車に乗る直前まではそれなりに多かったヒトも、今はまばら。駅をひとつ通り過ぎるたびに人影は減っていく。窓の外の景色から家の数も減って、木々が増えて、暗かった空が縁の方から段々と淡く染められていく。


 ヘッドホンから『K汰』の曲が静かに流れ続けている。ぼくらが作っている、その途中の曲。それまで聴いていた『K汰』の曲とはまた違う雰囲気を醸し出す、音の波。激しいドラムの音や、胸倉を掴むようなギターの音とは真逆の、静かなさざ波のような曲。


 この曲をどう歌うか。どう歌いたいか。


 ぼくが、どうして歌うのか。


 それを知るための、圭との電車旅。


 ポケットからスマホを取り出す。メモ欄に文字を打ち込んで、圭の服の裾を引っ張り、画面を向ける。


〈あとどれくらい?〉

〈もうちょい〉


 圭も自分のスマホにそう打ち込んで、あくびを噛み殺した。そのまま近くの手すりに頬杖を突いて、うつらうつらと目を閉じる。その横顔を眺めながら、胸の奥が静かなそわそわに包まれるのを感じた。あれほど怖かった「外」が──もちろん今も怖いけれど、それでもこうして圭と2人、家から遠く離れた場所まで足を伸ばせていることが。知らない景色に、知らない匂いに、知らない空気に触れられていることが。


 そんな光景を、圭と2人で見られることが。どうしてか。たまらなく。


 いや、圭だけじゃない。ぼくを真っ直ぐに見てくれるみんなと出会えたことが。辛くて苦しいことの中でも、誰かの心に触れられたことが。たまらなく。


 暗い外を映す車窓の窓、そこに映ったぼくの横顔が次第に薄まっていく。でもそれは消えていくんじゃない。外が次第に明るくなるにつれて、ぼくは外の色彩に鮮やかに溶けるように。溶け込むように。そしてその隣には圭の背中が映っている。ぼくらは消えずに、明け始めた夜空の色に彩られていく。


 そして、景色が開け始める。


 スマホのロック画面に〈8月29日〉の文字。カルが口にした「最後の日」まで、あと2日。その文字に不安を感じないかと言われれば嘘になるけれど。でも。


 そんな言葉に出来ない不安を、一瞬だけでも覆い隠すような感情の意味を、まだ上手く理解できないけれど。でも。


 開け始めた窓外の視界に、圭と2人、溶け込むように映るその景色を。ぼくは心に刻み付ける。


 どこまでも続く水の原。幾重にも揺れる白波。その波をキラキラと輝かせるありったけの眩しい光が、その最果てからゆっくりと顔を覗かせる。どんなライトよりも眩しい太陽(それ)が、暗かった夜空に金色のグラデーションを音もなく塗り始め、そして空が青に染まり始める。


 海が、見え始める。




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