K汰 - オーマ
「投稿しない……?」
イツキが困惑の表情を浮かべる。
「そりゃそうだろ」
モニターから目を離さないまま、背中越しに呆れたような声を上げる圭。
「あんたの言う通り、今このタイミングで投稿したところで、炎上好きな奴らのネタにされるだけだ」
それに、と圭が手を止める。「そいつの声は『汐野日影』と同じだ。違うか?」
そう。圭の言う通りだ。
ぼくの声は元々汐野日影のものだ。「唄川メグ」の声を収録した当時は、彼女はまだ幼かったから、メグの歌声と今のぼくの声だけを比較すれば、似ている要素は驚くほど少ない。でもアサヒに以前、汐野日影が出演していたライブ配信を見せてもらった時、その声は紛れもなく完全にぼくと同じだった。声のトーンや話し方は違えど、同じ声質であることは隠し切れない。何より最初にそれを教えてくれたのはアサヒ本人だ。
ぼくがネットに歌声を投稿すれば、まず間違いなく騒ぎになる。汐野日影じゃないアカウントが、汐野日影と全く同じ声で、汐野日影とまったく関係のない歌を歌うのだ。彼女は顔も名前も世間に知られている、それなのに全く同じ声の誰かが、彼女の知らない場所で活動するのは、彼女にとっても悪夢のようなものだろう。
ネット上のヒト達を混乱させるだけじゃない。ぼくにとって"声の親"とも言える汐野日影にも迷惑がかかってしまう。
だから投稿しない。
でもアサヒは納得できない様子で、食い下がる。「それは分かってるわよ。イツキ達との曲製作でもその話は出たもの。だからこそ、この子の声はコーラスだけに留める、って結論を出した。声の良さはそのままにしつつ、バレないようにエフェクトをしっかりかける、ってミヤトも意気込んでるもの」
「だろうな。『獅子宮』は歌い手の頃から"MIX"や"マスタリング"の腕が尋常じゃなかった。あいつなら心配ねえだろ」
「圭くん。私が言いたいのはそこじゃない」
問い詰めるように、訝しむように、アサヒが言葉を続ける。圭の背中へ問いただす。
「それなら尚更いま作る意味が分からない、って言ってるの。そこまで分かった上で、どうして今作る必要があるの? この子のことを本気で考えるなら、真っ先にするべきはあの『カル』って奴をどうやってボコすかを考えるべきよ。楽曲作りはその後で良い。"投稿する"だけが全てじゃないのは私だって分かってるけど、優先順位を、……」
そこで、アサヒの言葉は途切れた。尻すぼみになって消えた。それからアサヒは片手でそっと顔を覆い、深い溜め息を吐いた。
「……いえ、やっぱり何でもないわ。何となく理解できたから」
それから隣のぼくを振り返る。「アナタも"それ"で良いのね?」
その瞳に頷き返す。アサヒは本当に察してくれたみたいだった。圭が何を考えているのか、何故いま楽曲を作っているのか、どうしてぼくがその製作に加わっているのか。
そして「いま楽曲を作りたい」という意思が、本当に圭だけのものなのか。
「ありがとう、アサヒ」
ぼくのお礼に、アサヒは困ったような笑みを浮かべる。
「……まったく、困った子。躊躇せず頷くなんて、その頑固さは誰に似たのかしら」
「んだよ」と圭は苦い顔。「俺だとでも言いてえのか?」
「私だとでも言いたいの?」
「その圧やめろ」
「アナタも大変ね、こんな無愛想と一緒に暮らすなんて。ウチに戻ってきてくれても良いのよ」
「ありがとうアサヒ。でも圭も優しい。昨日の夜も、寝る時に手を握ってくれたし」
「…………圭くん、」
「おい、おい待て誤解すんな、俺はただ、」
「いやーさすが未経験の男ねー、やることが女々しい上に下衆い……」
「"未経験"? なにが?」
「アナタは一生知らなくても良いことよー。さ、あんな下心満載音楽バカからはソーシャルディスタンスしましょうねー」
「み、未経験じゃ、……いやそうじゃねえよ違えよやめろよまじで出て行くなって事実っぽくなっからぁ!」
「あ゛? 誰に向かってタメ言ってんの?」
「……ハイ。サーセン」
賑やかなアサヒ。そんなアサヒに気圧されながらも、不貞腐れたような顔で反抗しようとする圭。
狭い部屋。小さな空間。その中に溢れる他愛もない会話。穏やかでキラキラとした景色。広い外の世界からは程遠い、けれどどこまでも温かい、ぼくらの空間。
「────ふふっ」
「……んだよ、急にニコニコしやがって」
圭がぼくの顔を見ながら、呆れたように頬杖を突く。「ヒトが散々いじられてるってのによ」
「ち、ちがう。圭を笑ったんじゃなくて」慌てて手を振る。「……ぼくが圭に拾われた、最初の頃を思い出して。あの時もこうして、圭とアサヒと一緒だったな、って」
そう、あの時と同じ。
どこまでも温かい、唄川メグじゃないぼくに、許された。
そして、今なら分かること。
「ねぇ、圭」
「……んだよ」
静かに問い返す圭に向かって、ぼくは床に座ったまま身を乗り出す。きっとぼくは我がままになった。アサヒの言う通り、頑固になった。いや、きっと最初からぼくは頑固だったんだ。不器用で、愛想が無くて、それでいて歌が好きで。
圭と同じように。
「明日、連れて行って欲しいところがあるんだ」