K汰 - ペールキッチン
イヤホンを外したアサヒが、ふぅ、と溜め息を吐く音が静かな部屋に響いた。
「……それで? ボカロPじゃないただの絵描きである私に、どんな感想を求めてるの?」
「ハッ、随分な言い草だな」
圭は床にあぐらをかいたまま、腕を組んだ。
「あんたの言う通り、別に専門家じみた感想なんざ求めちゃいねえよ。技術的なアドバイスが欲しけりゃあんたじゃなく、そこらの"MIX師"でも捕まえて聞きゃあ良い」
「余計に分からないわね」冷静に返すアサヒ。「それじゃあ本当に何で私を?」
そこで圭は「そうだな……」と顎に手を添えた。少しの思案の後、スッとアサヒの瞳を見据える。
「率直に言って──この曲のMV、描きてえと思うか?」
圭の言葉に、横で聞いていたぼくは内心首を傾げた。描きたいかどうか? 音楽の話なのに、どうして圭はそんな風に訊くんだろう?
けれどアサヒには圭の意図が伝わったようだった。伝わった上で、どこか揶揄うように苦笑いを浮かべる。
「私がもうイツキとミヤトのMV制作に関わってるの、圭くんも知ってるでしょう。大事な作品描いてるときに別の絵を描けるほど、私は器用じゃないわよ」
「掛け持ちしろ、なんざ言ってねえよ。分かんだろ。あんたが『描きてえ』と思えるほどの曲か、って聞いてんだ」
「何で私基準なの?」
「あんたも記憶戻ったはずだ。俺は『カルタヘナ』のMV描いた『絵師ヒロアキ』に聞いてんだよ」
その時、ようやくぼくの頭の中でも繋がった。圭の意図していること。
「カルタヘナ」。圭がリズと一緒に作って、アサヒに絵を描いてもらった楽曲。そして思い出す、以前3人と一緒にいた時に聞いたあの話。リズの言葉。
──お互いのコンセプトはそれぞれ違うのだけど、相手の作風は個人的に好き同士なのよォ。相思相愛ってヤツかしらァ
圭とアサヒの顔をそれぞれ見やる。圭はMVを描いたアサヒの絵の技量を信頼しているんだ。心の底から認めているんだ。だからこそ、アサヒが自ら「描きたい」と思えるほどの、アサヒの創作意欲が溢れるほどの楽曲かどうか。圭はそこが聞きたいんだ。
乱暴な口調とは裏腹に、真っ直ぐな圭の視線。
そんな視線を静かに受け止めたアサヒは、再びそっと息を吐いた。
「それじゃあ単刀直入に」
「────描きたいとは思わないわ」
「……え」
思わず声が漏れる。呆気にとられる。唖然とする。
アサヒが、描きたいと、思わない──
でも圭は隣でぼくの肩を掴んだ。それからそっと首を振る。「違えよ、多分な」
「ええ」とアサヒも頷いている。「圭くんの言う通り。『描きたいと思うか』って聞かれればもちろん答えは『ノー』よ。だけど、もっと正確に言えば『描ける気がしない』の」
「描ける気がしない……?」
そう、とアサヒは音源の映し出されたモニターを人差し指でなぞる。
「この曲は音に"広がり"がある。狭いライブハウスとかじゃなくて、もっと広い……、例えば誰もいない海岸とか、見渡す限りの草原の上とか。そんな場所で聴いているような感覚にさせる曲だと思った。アナタも、そう感じながら歌ったんじゃないかしら」
ハッとした。
そうだ、圭から音源を貰って初めて聞いた時、思ったんだ。音もなく吹き荒れる風。誰もいない景色。だだっ広いその真ん中に、独り立っている。そんな感覚を。
だから歌う時もイメージした。景色を、空間を、"広がり"を。
それをアサヒも、曲を聴いて感じたんだ。
「もちろん『描いて』と言われれば私なりに描くし、ある程度のモノには成るでしょうね。でもそれまで。この曲に含まれてる"広がり"を私のイラストが狭めるし、閉じ込めてしまう。アニメーションでもきっと同じでしょうね、曲に対する奥行きと見合っていない。この曲をMVにするなら、いっそ"実写"じゃないとしっくり来ない。そう言うわけで、私は『描きたいと思わない』。曲の世界観をぶち壊すイラストなんか描きたくないもの」
「アサヒ……」
ぼくの顔を見たアサヒが、ふふっと苦笑いする。「巧く説明できてなかったらごめんなさい。この曲が好きじゃない、って言ってる訳じゃないの。表現方法の方向性が違うだけ。……本当に凄いわよ、この曲」
「ほんと?」
「本当本当」
アサヒはモニターの前を離れ、ぼくの隣に腰を下ろし、宥めるように顎をぼくの頭の上に乗せた。
「やっぱり凄いわ、アナタの歌声。少し掠れてるのに柔らかくて、伸びがある。落ち着いているのに、聴いてるこっちを突き離さない安心感がある。イツキとミヤトが作った曲もそう。アナタの歌声を聴きながら作業してるのよ、私。想像力が広がるって言うか」
「ア、アサヒ、もう、いい、大丈夫だから……」
アサヒに褒められるたび、アサヒに撫でられるたび、心の奥底がムズムズする。こそばゆくて、息が上がって、頬が熱くなるのが自覚できる。
「……あらやだ、照れちゃった?」
「て、"照れ"って、なに?」
「やーん、やっぱり可愛いわアナタ! もっとよく顔見せて、網膜に焼き付けて後で完璧に描き切ってあげるから!!」
「ふぁ、ふぁふぁいっへば……」
ぼくの頬に柔らかく手を添えるアサヒ。その手から抜け出そうとモドモドしていると、アサヒは今度は圭に視線を向けた。
「それにしても圭くん、こんな曲も作るのね」
「ンだよ。不満か?」
「何でそう卑屈になんのよ……。単に意外だっただけ。これまで『K汰』くんが作ってきたどの楽曲とも違う。もはやギターもほとんど入ってないじゃない、この曲」
ああ、と圭は得心顔でモニターの前に戻った。片手間に今日何度目かの微調整を始めている。
「元々今回はそいつの歌に合わせる予定だったからな。ピアノと弦楽器をメインにして、後は声に軽く反響かけるぐれえで済ませた。今そいつに歌わせる曲なんだ、ギターは合わねえだろ」
「"今"、ねぇ……」
ふいにアサヒが言葉を切る。綺麗な横顔に陰りがよぎる。
「感想ついでに一応言うけど。……その曲、本当に"今"じゃなきゃいけないの?」
圭は無言で背中を向けたまま。でも、アサヒの次の言葉を待っているのが窺える。アサヒもそれを察したのか、躊躇うことなく言葉を続ける。
「イツキ達から聞いたわ。あの"カル"って奴と色々あったって……。それから、"最後の日"とやらについても」
ねぇ、とアサヒが圭の背中に投げかける。
「もし本当にそいつらが何か企んでいるなら、曲作りの前に、もっと他にやるべきことがあるんじゃない? ……もちろん私は、圭くん達みたいに"異能"は無いし、実際に力になれるわけじゃない。それでも何かしらの対策を立てたり、他の子達と話し合ったり、事前に出来ることは可能な限りすべきだとは思う。あと3日しかないのよ? それまで悠長に待つだけなんて、はっきり言って無謀だわ」
「アサヒ……」
そのままアサヒは「アナタもよ」とぼくに視線を向けた。
「今の状況でアナタの歌声を投稿するのは危険だわ。もう全員がアナタの、『唄川メグ』のことを思い出した。この状況でわざわざ燃料を投下するようなことをすれば、何が起きてもおかしくないの。面白がる人も、悪戯に煽る人も、ネット上にはたくさんいる。それこそ想像を超えるほどね。この曲が良いものだからこそ思うの。だからこそ"今"じゃなくていいって思うの。……私は」
私は、これ以上アナタが傷付くなんて嫌。
口にこそ出さなかったけれど、アサヒの言いたいことは手に取るように分かった。本心からぼくを想って、大切に想ってくれていることが、たまらなく嬉しい。
でも。
「大丈夫だよ、アサヒ」
ぼくは言う。
「この曲は、投稿しないから」
「……え?」