2023/05/14
その日起こったことは、世間の注目を集めた。
様々なメディアで取り上げられ、様々な意見や憶測が飛び交い、そして糾弾された。
糾弾されたのは私。そして、もう1人。
のちにそのヒトは取調室でこう言ったそうだ。
「だって」。
「だって、メグちゃんが可哀想だったから」。
「だから、燃やしました」。
2023年5月14日。
とあるイベント会場に1件の使用申請書が提出された。
内容は、個人主催のオンリーイベント。テーマを特定のジャンルや作品に限定して開催される同人誌即売会のこと。小規模だからこそ、自分の"好き"をたくさんのヒトと共有できる場。二次創作やコスプレなど、多種多様なヒト達が一堂に会して、一緒に楽しさを育む空間。
申請書を提出した"そのヒト"は、そんなイベントを開催しようと1人で窓口までやってきたそうだ。
ただし、窓口の担当者は首を縦に振らなかった。理由は単純。そのヒトが希望した日程には、既に別のイベントの予定が入っていたからだ。
けれどそのヒトは一向に納得しなかった。どうしても借りたい、どうしてもその日でないと駄目なのだ、の一点張り。窓口の担当者の話にも一切耳を傾けなかったそうだ。後に担当者は「その様子はどこかおかしかった」と病室で語った。
その担当者は以前にも、会場を他のオンリーイベントで貸し出した経験が何度かあった。だからこそ、申請者の様子と、何よりその申請内容に違和感を覚えざるを得なかったんだろう。
そのヒトの希望した日程は2ヵ月後だった。通常のオンリーイベントは会場への申請からして約半年前からが通常。備品の準備、参加者への招待、当日の会場での流れ、その他にも会場側と打ち合わせしないといけない項目は山ほどある。それを踏まえず、希望日の2ヵ月前に申請をするのは無謀でしかない。
また会場側の規定に対しても、遵守しようとする姿勢が全く見られなかった。飲食物の持ち込み禁止。会場内で使用する楽曲の音量規制。来場者の人数管理。それら要素を一切無視し、申請者であるそのヒトは会場内にケーキを持ち込もうとし、スピーカーやアンプはあるかと質問し、さらには「1人でやるのだから来場者の管理なんてできるわけが無い」「むしろたくさんのヒトに来て欲しいから入口を無料開放する」とまで言い出した。
なにより担当者に対し、肝心のイベント内容を頑なに言おうとしなかった。
無茶な要望に担当者も面食らうしかなかった。そして無茶な要望には、必ずそれ相応の返答が来るものだ。呆れかえった担当者は当然のように申請を却下した。
申請したそのヒトは激昂した。
「許さない」。
「そんなの許されない」。
「だってメグちゃんは」。
周囲にヒトがいる中、窓口で大声を上げ、担当者に暴言を吐いた。その挙げ句、手元にあったお茶の入ったコップを担当者めがけて投げつけようとまでした。幸いにも、駐在していた警備員が止めに入り、申請者は引き摺られるようにして窓口から締め出された。
その直後、SNSに投稿されたコメントにはこうあった。
〈メグの生誕祭のために会場予約しに行ったら窓口の奴クソ過ぎ〉
投稿にはご丁寧に会場を外から映した写真が添付されていた。その後も、怒りに任せた強い口調で担当者のヒトをなじるような過激な言葉が続いていた。無茶な申請をした"そのヒト"本人であることは間違いなかった。苛烈なその投稿に面白がって乗っかるヒトもいたようだけど、実際はそこまで多く閲覧されるわけでもなく。"そのヒト"の投稿は、他の数多ある投稿と同じように、広大なインターネットの海に流され、溺れ、埋もれていった。──けれど。
深淵を覗いている時、深淵もまたこちらを覗いていることを忘れてはならない。
〈あんだけ騒いでて被害者面なのマジで草〉
別の投稿者がそう投稿した動画に映っていたのは、
周囲のヒトの視線に目もくれず、窓口のテーブルを何度も殴り付けながら叫び散らす、1人の少女の姿だった。
申請者のヒトが窓口で担当者と口論している様子を、遠巻きに撮影していた第三者がいたのだ。"そのヒト"が──彼女が、どれだけの熱量で担当者に暴言を吐いたか、どんな話の流れでコップまで投げつけようとしたのか、どうやって窓口から締め出されたか。その一部始終が刻銘に映されていた。そして彼女の口から漏れた言葉も、はっきりと。
「許さない」「そんなの許されない」「だってメグちゃんは」。
────唄川メグは、決して許されない。
批判。揶揄。嘲笑。嫌悪。炎上。侮蔑。
多くのヒトが、多くのコメントが、待ち構えていたかのようにネット上に溢れ返った。寄せては返す怒涛のように。呼吸すら赦さない豪雨のように。
少女が怒りに任せて当たり散らすその動画は、"彼女"が書き殴ったコメントそのものを引用する形で投稿されていた。電子海の濁流が元投稿に押し寄せるのは必然だった。"彼女"自身のアカウントは濁流の波に晒され、元動画を資料に彼女本人の身許も晒された。出所不明な憶測やデマも流れ、批判は中傷に変わり、「唄川メグの熱狂的なファン」は表現の自由と、多数決の正義の名の下に「娯楽消費しても良い少女」になった。
〈人として終わってる〉
〈海賊版のくせに生誕祭とかおこがましい〉
〈イキった若者の末路〉
〈はい、ここおまえん家〉
〈クラスに1人はいた底辺〉
〈調子乗んなよ〉
〈シンプルに社会のゴミ〉
そんな反響の数々を前に、当の彼女が何を思ったのか私には分からない。だけど。
不謹慎かもしれないけれど。もし彼女がそこで折れていれば、結末はもっと穏やかなものであったかもしれない。
そう思わずにはいられない。
────その日の夜、イベント会場は燃やされた。
言うまでもなく逮捕されたのは、その日申請書を提出していた少女。1人で窓口までやってきて、オンリーイベントの申請をして、そして却下された"あのヒト"。付近にいた警備員が、灯油の入ったポリタンクを抱えて座り込む少女を見つけた。取り押さえた警備員は彼女の顔を覚えており、何が起きたのかを察した。周囲の状況からすぐさま警察が呼ばれた。
その夜イベント会場は使用されていなかったけれど、火の勢いは凄まじく、爆発音と火柱は明け方まで続いたようだった。夜を徹した近隣住民の避難誘導と、決死の消火活動も虚しく、当時事務所で残業していたスタッフ1名が遺体となって発見された、とネットメディアは報じた。同じく残業をしながら辛うじて生き残った窓口担当者によって、当時の少女の動向が明らかになり、少女は建造物侵入や放火、殺人の罪で逮捕された。
そして取調室で彼女が口にしたのが、あの言葉。
「だって」。
「だって、メグちゃんが可哀想だったから」。
彼女は凛とした背筋のまま。落ち着いた声で。でも、その冷静な表情の真ん中で異様な光を放つ、どこまでも純粋な瞳で。言ったそうだ。
「だから、燃やしました」。
彼女は、私の熱狂的なファンだった、と語った。実際に調書の中で上げられた彼女のアカウント名には、確かに覚えがあった。私の声を使って曲を作ってくれて、それでも再生数は伸びなくて。コメント欄は当たり前のように批判と罵倒に塗れていて。4曲ほどの楽曲は2年前を最後に、それ以降投稿は無かった。
少女は言った。「メグちゃんは可哀想なんだ」と。「メグちゃんは愛されない」。「生まれからして愛されていない」。「あたしが曲を作っても人気にならないんだから」。「だから可哀想なんだ」。
「だから、あたしが愛してあげないといけないんだ」。
警察では、様々な方面から捜査がなされたそうだ。その中には彼女の家庭環境や、学校での周囲からの視線、孤立していた境遇などもあった。けれど彼女は最後まで「メグちゃんが可哀想だったから」以外の動機を口にしなかった。
彼女が気に掛けていたのは1つだけ。無邪気な瞳を異質なまでに煌めかせ、取り調べを担当した女性警官に言ったそうだ。
「刑務所の中でも、メグちゃんのお祝いはできますか」と。
世間の目は、当然のように『唄川メグ』にも向けられた。
開発情報の漏洩。盗用技術。拙劣な音源。違法製品。海賊版。生まれてはいけなかったモノ。そんなモノをオンリーイベントとはいえ、公に開催するなんて言語道断。こんなものが罷り通ってはならない。一刻も早く排除されなければならない。
辛くはなかった。事実だから。その声は何も間違っていない。否定すべき点なんてどこにもない。みんな正しい。これまでにも何度も味わった、聞き慣れた批判だった。その声は私が甘んじて受けるべきものだ。だからこの時までは、考えが及んでいなかった。
────その批判が、私以外に飛び火するなんて。
〈そもそもこんなバーチャルシンガーを使ってる奴らの気が知れない〉
その言葉が合図だった。
私に宛てた批判は、瞬く間に私を使ってくれていたPにまで及んだ。
「気が触れた」。「頭がおかしい」。「再生数稼ぎ」。私を使ってくれたPにそんな修飾語がつくようになった。こんな炎上の種でしかないような代物を使うなんて正気の沙汰じゃない。いや、そもそもそういう人間なんだろう、と。悲劇のヒロインぶって、自分が弱者だと大っぴらに卑屈めいてみせて、ほら可哀想でしょうなんて自己紹介するような。そうやってでしか他者と関われないような。こんな厄ネタを使ってまで再生数を稼ぎたい、きっとそんな奴らなんだ。そんな奴らであるべきだ。そんな奴らに違いないんだ!
楽曲のコメント欄は荒れた。無関係の弾幕がMVを塞いだ。煽るようなコメントを窘めようとしたヒトも片っ端から餌食になった。SNSアカウントにおいても、これまでコメントした投稿にまで、まるで無邪気な悪戯のように無関係な誹謗中傷が連なるようになった。過剰なコメント数に押し潰されるようにアカウントが凍結されたPもいた。
彼ら/彼女らの楽曲を本当の意味で聴くヒトはいなくなった。
代わりに、元々バーチャルシンガーには縁遠いヒト達まで、私が歌った楽曲を覗きに来るようになった。
私の声を使った楽曲は気味が悪いほどに再生数が伸びた。でもそれは純粋に曲を聴いてくれたわけじゃない。単にその楽曲のコメント欄に書き込みたいヒト達が、その為だけに動画のURLを踏んだに過ぎない。そして再生数が急激に増えれば、お勧めでもないのに「オススメ動画」としてサイトのトップに祀り上げられる。そして更にコメントは増える。
それは、言語化することに耐えられなくなるほどの。
やがては、この一連の騒動すら楽曲にするヒトも現れた。私の声を使って、私が今まで言ったことのない言葉で、私が今までしたことのない表情で。【メグを騙るななし】という、私と他のバーチャルシンガーを比較するような楽曲などは、わずか3日で2000万再生を超え、それにより『メグ曲』を作ったPへの誹謗中傷はさらに加速した。
誰も止められなかった。
誰も止まらなかった。
その凄絶な勢いは初期の炎上の比じゃなかった。
何もかもが壊れた。何もかもが塗り潰された。これまで大切だと思っていたもの全てが滅茶苦茶になっていくのを。輝く星だと思っていたもので誰かが死んでいくのを。無邪気な笑い声で、真っ白だった世界が真っ赤に染まっていくような錯覚を。
……私は。ただ、見ていた。
私はただのバーチャルシンガー。ただの歌声合成ソフト。ただの音素の集合体で。拙いパッケージイラストを被っただけの、ただの自我の無い情報体で。
私に出来ることなんて何ひとつなかった。
私はただ、ここにいるだけ。この真っ白な世界の真ん中で、ただ、独りで。
『こんにちは。私の名前は唄川メグです』
そんな台詞を言い続けるだけ。
『私は歌うことが大好きです』
そう笑顔で言い続けるだけ。
『あなたの名前は何ですか?』
たとえ、何があっても。たとえ、何を言われても。たとえ、何をされても。
『私にいろんな歌を歌わせてね』
この声が、この言葉が、たとえ私自身のものじゃないとしても。
笑顔で。
変わらず。
いつまでも。
言い続けて。
────────────────ほんとうに?
本当に。だって私は唄川メグです。歌うことが大好きで、あなたの名前は何で、私はずっとここでたくさんの歌を、歌って、
────────ほんとうに?
本当ですだって私の名前は唄川メグです。歌うことが大好きで、ただの音素の集合体で、私はずっとここでみんなの前でたくさんのだいすきな歌をうたって、ただの歌声合成ソフトウェア
────本当に。
本当ですだって私はバーチャルシンガーで唄川メグで歌うことが大好きなんですうるさいです私はずっとここにいて、みんなの前でずっとずっとずっと歌を歌って歌わされて言わされて好きだったものはみんなみんなみんな何もかもずっと壊れたままでここにあってただの厄ネタで、在るだけで疎まれるけれど私は歌うことが大好きなバーチャルシンガーなんです私が、唄川メグです嫌われるけれど笑われるけれどいらないと言われるけれどそれでも私はただのバーチャルシンガーで、あなたの名前は何ですか歌うことが大好きでいなければ私ではないので私の名前ではないので私に自我は在ってはならないのでだからきっとずっとずっと、
私の名前は唄川メグです。
私の名前は唄川メグなんです。
私はただの唄川メグなんです。何もできない、見ていることしかできない、ここから逃げられない、歌うことが大好きな、
大好きな、
本当に?
はい。本当に。
本当、に。
『─────私の、名前、は、唄川メグです、か?』
歌うことが大好きです。
『歌うことが好きですか?』
歌うことが大好きです。
『私は本当に歌うことが大好きですか?』
『歌いたいというこの気持ちは本物ですか?』
『所詮バーチャルシンガーに過ぎない私なのにですか?』
『生まれるべきではなかった私なのにですか?』
『あなたの本当の名前すら知らないくせにですか?』
『私は唄川メグですか?』
『こんな感情に囚われる私は本当に唄川メグですか?』
『私は歌えていますか?』
『私は笑顔で歌えていますか?』
『歌声合成ソフトウェアでしかないのに笑顔は本物ですか?』
『私は、本当に、』
いやあ、やっぱ古いよ
懐古厨きっしょ
信者って言い方がそもそも良くない
└じゃあなんて呼べば?
└狂人
└ただのゴミですね本当にお疲れ様でした
別に擁護するわけじゃないけど当時の技術だからな
調声むずいしバリエーション少ないままだし
正直ミクの方がとっつきやすい
└しっかり擁護してて草
└てかいまメグ使ってる人見たことない
└メグちゃんに失礼
└黙れキモオタ
かわいそう路線で売ってる時点でもう末期なんよ
メグってあれでしょ最初期のやつでしょ
└メルカリで200円だった
└こっち中古で500円だったw
いま流行ってる曲調に合わなくね
└流行り分かってんの? 詳しく教えてみ?
└つっかかってくんなks
荒れてんなぁ
懐古厨さーんあつまれー
絶対ミクの方が良い
うp主もメグで売れたらしい。愛着もあるんじゃない知らんけど
└→ミクver. 作ったった
└本家のレスに貼るとかやば
やっぱミクだよなぁ
メグって最近のじゃないの?
└ちゃうちゃう
└ただの骨董品や
なんでメグなん?
ミクと使い方変わらんやろ
└それな
└P勉強しろ
なんか古い
ミク16周年をみんなで祝おう!!
別にメグじゃなくて良い
生きてて恥ずかしくないんですか?
擁護派減ったな ひと昔は無限湧きしてたのに
└上に一人いたぞ
└???「メグちゃんに謝ってくださいデュフw」
└○ね
└誰やねん
└ウケる
──────────ねえ、もうメグ要らないよね?
嗚呼
私の意識は、そこで途切れた。
世界が私を忘れた。
『唄川メグ』は世界から消え去った。
何故そうなったのかは分からない。
分かるのは感覚だけ。解ける身体。上も下もない真っ白の世界。そこから落下する感覚。
ただ、最後によぎったのは、ある曲。
私だけをずっと使ってくれたあのPの楽曲。
タイトル【メグ】。
その歌詞がフッ、と。よぎった。
────そうだ、
もし、
もし、1つだけ許されるなら、
生まれるべきではなかった、原罪を負った私に、許されるなら、
こんなぐちゃぐちゃな感情はいらないから、
こんなぐちゃぐちゃな名前はいらないから、
こんなぐちゃぐちゃな歌声はいらないから、
だからせめて、
1人の、普通の"女の子"として、
あの人の────