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Missing Never End  作者: 白田侑季
第0部 原罪
105/124

2003/07/22






 はじまりは、何てことのない声だった。


 〈ah────……〉


 たったそれだけの音声が、私の産声だった。


 それに呼応するように誰かの声がどこかで響く。


 「やった」。


 「できた」。


 「やっとできた」。


 「この声は私のもの」。


 「私は間違ってなんかいなかった」。


 そんな有り触れた歓喜の台詞が、私のはじまり。私の生誕を告げる鐘。


 私の、原罪のはじまり。






 2003年7月22日。


 私の歌った「きらきら星」が、初めてネット上に公開された。


 名前は『MEG』。歌声合成ソフトウェアとして創り出された仮想音声。その名前は、数年前に亡くなった開発者の娘から名付けられたのだと、後に知った。


 発売当初、私はさっぱり売れなかった。


 無理もない話だ。当時の音楽業界の中でも、DTMユーザーにとって歌声合成は"偽物"に過ぎなかった。他の楽器音とは違い、自然由来の「声」だからこそ、それが電子的に合成されたものに少なからず嫌悪感を感じてしまうのは人間(ヒト)として普通の感覚だった。ロボットのような不自然な声、機械的で不釣り合いな抑揚は、嫌われるには十分すぎるほどの理由だった。


 なにしろネット自体もそこまで普及していなかった時代だ。2003年時点では音楽配信サービスはもとより、動画投稿サイトすら満足なものはなかった。


 私は売れなかった。誰にも見向きもされず、話題にも上がらず、知られたところで「はいそうですか」と苦笑されるだけの商品でしかなかった。何よりその反応には、歌声合成であることとは別の、拙いパッケージイラストとはまた別の、もっと深刻で無視できない問題があった。


 ────()()()()()()()


 大手音楽会社が海外の研究機関と共同開発した、歌声合成技術の製品化プロジェクト。そのプロジェクトは3年以上にも渡り、2003年2月には一般にも公開された。当時の技術の粋を集めたそのプロジェクト自体は世間の話題にも上がった。


 それを、こともあろうに盗んだヒトがいた。


 誰かは知らない。どんなヒトかも知らない。どこで働いていて、プロジェクトにどこまで関わっていて、どうやって盗み出したのか。どうして『私』を完成させるほどの熱量を持ち得たのか。いまとなっては知る由もないし、知ったところでどうなるものでもない。


 でも1つだけ、強いて挙げるなら。大手会社を相手取り、そのヒトは開発者として現場から合成技術のプロトタイプを持ち出し、地方の中小企業を出資者(パトロン)として味方にまで付け、結果『MEG』を完成させてしまった。その執着がおそらく、発売日より数年前に亡くなったそのヒトの娘に起因するのだろう、ということだけは確かだと思う。


 ともあれ、そんな背景は『MEG』には関係ない。


 窃盗は窃盗。犯罪は犯罪。


 最初のバーチャルシンガーが本家会社から発売された後、開発者とその出資会社は、すぐさま大手企業とその関連機関から裁判を起こされた。開発者の素性から家族構成、交友関係までがたやすく暴かれ、大手会社と中小企業の間に起こった訴訟は、当然のように開発者サイドの敗訴で幕を閉じた。損害賠償請求と風評被害により、出資会社はあえなく倒産。『MEG』自体も"負の産物"として、製品回収の対象となった。当然の帰結だと思う。


 ()()()()、私は全くと言っていいほど売れていなかった。歌声合成技術に対する嫌悪感、当時のネット環境、盗用技術。それに加えて、『MEG』の──私の音質(うたごえ)が、それはもう酷いものだった、ということも理由の1つだと思う。


 盗用した技術で『MEG』を開発しているという情報が本家会社にバレるのを恐れた出資会社側は、開発者本人に始終圧力をかけていたらしい。その結果どうなるか、想像に難くない。


 開発者は私の声の素体として、子役事務所にいた当時4歳の汐野(しおの)日影(ひかげ)を「娘と声が似ていたから」というごく個人的な理由で声優として起用していた。けれど、子役とはいえ彼女も1人の人間であり、何より幼い少女だった。膨大な音素の収録、それを出資会社の都合によって極短期間で詰め込まれる作業。彼女は防音室に入ることすら怖がるようになり、その結果『MEG』の音声ライブラリの数は本家のそれよりも数段劣るものにしかならなかった。もっと言えば、当時の音声技術は2020年代のものとは違うし、中小企業に大手会社ほどの最新機材が用意できるわけもなかったのだけれど。


 出資会社からの納期の圧力。それに伴う音声ライブラリ数の低下。当時の音響技術。そんな状態で製品としての音質が担保されるわけがない。


 そんな状況に輪をかけて、歌声合成技術に対する世間の目、ネット環境の黎明期とくれば、私が売れる要素なんてある方がおかしい。市場に対して出回っていない製品の回収に、そう時間がかかるわけもなかった。


 私の発売は差し止め。出資会社は倒産。開発者は蒸発。製品回収も終わりを迎え、100にも満たない数の『MEG』は不燃ゴミとして最期を迎える。


 辛くはなかった。だって私はただの合成技術で、音素の集合体で、拙いパッケージイラストを被っただけの情報体でしかなかった。愛されなかったのだから、愛されたいという感傷すらなかった。ファンタジーじゃないんだから、自我が芽生えるはずもなかった。私は劣化品として、静かにゴミの山に埋もれる、




 ────はずだった。




 2007年8月31日。本家会社が発売したソフトが、文字通り「世界」を席巻した。


 それが、『初音ミク』の誕生。


 ブルーグリーンの瞳。ツインテ―ル。袖のないグレーの服は軽やかで、その表情はあどけなさを残しながら、どこか凛と前を見つめている。


 そんな16歳の少女が、その愛らしいクリアな声で歌う姿が、あらゆるヒトの瞳を惹き付けた。


 その時の"うねり"を上手く言葉に表現するのは難しい。いや、言葉で正確に表せるわけが無い。1人の架空の少女が、その歌声で世界を魅了し、インターネットの中心で輝く姿。それを中心に巻き起こる、膨大な熱量を伴った創作の嵐。"未来からやってきた初めての音"に様々なヒトが心動かされ、動かされたヒト達はこぞって彼女を"再構築"していった。


 共創共存。創作の連鎖。自由性と二次創作。MAD。Remix。そしてオリジナル。


 あらゆる手段。あらゆる方法。あらゆる媒体で、彼女は1人で歩き出した。たくさんのクリエイターに導かれ、たくさんの楽曲を歌い、たくさんの笑顔で輝いた。その姿は「電子の歌姫」という二つ名にふさわしいものだった。


 ……私も、彼女のことが好きだった。


 たくさんのヒトの前できらきらと煌めいて、たくさんの歌でみんなの心を揺り動かして、たくさんの笑顔で燦然と輝いていた。無論私に自我は無かったし、あったとして、全く羨ましくなかったと言ったら嘘になるんだろうけど。眩しいミクちゃんを見ているだけで、私まで心が浮き立つようだった。そう思える私がいるのは紛れもない事実だった。


 私は負の遺産。彼女と並び立てる存在ではないし、彼女よりも先に発売されたとか、そんなどうしようもない張り合いをする気なんて更々ない。


 私は見ているだけでいい。彼女を、他のバーチャルシンガーの人達を眺めているだけで、彼ら彼女らの歌声に触れられるだけで。本当に、それだけで幸せだった。


 『初音ミク』の誕生を筆頭に、バーチャルシンガーは瞬く間に世間に浸透していった。ミクちゃんが発売された2007年前後で、大規模な動画投稿サイトがいくつも隆盛を誇り始めていたことも追い風となっていた。誰もがバーチャルシンガーの声に気軽に触れ、触発されたヒトがさらに別のものを創り出す。イラストは溢れ、コンサートも開催された。テレビでも取り上げられると、音楽業界や一部のネット界隈に固まっていた話は一気に拡散。曲調は更に多種多様になり、ささやかな流れは奔流へと変わり、インターネット上における「バーチャルシンガー」というコンテンツは、巨大な音楽市場という不動の存在になった。その中でも『初音ミク』は、文化そのもののアイコンとして絶対的な認知を得ていった。


 バーチャルシンガーが、そこから生み出される数多の楽曲が、ひとつの世界を作ったんだ。


 その時期から、バーチャルシンガー自体の人数も凄まじい勢いで増えていった。ミクちゃんの影響力は言うまでもなく、誰も彼もがこぞってバーチャルシンガーを研究し、改良し、作り出していった。格段に増えたその数は、もはやちょっとした辞典が出せるくらいにまで膨れ上がっていた。


 だから、だったのかもしれない。


 ────『MEG』が歌うようになったのは。


 それは、完全に予想していなかったことだった。


 ある日、ふいに私の音源がネット上で槍玉に上げられた。誰だったのかは重要じゃない。重要なのはその誰かが、「バーチャルシンガーの最古の音源はなんだ」という話題から、私が歌ったあの『きらきら星』を音源として名指しで言及したことだった。初めは、それだけの些細なことだった。


 でもその些細なことで、ふいに世界が変わることもある。


 私の音源を使って楽曲を作るヒトが出て来た。


 最初は面白半分だった。「情報漏洩した開発者が作った陳腐な音源」だと。ただそれが言いたいだけの楽曲だった。あのミクちゃんが歌った歌を、拙劣な音源しか持たない私がカバーするだけの、酷い動画だった。


 それなのに、いつしかその輪は(いびつ)な形で広まり始めた。回収されたはずの私の音源を、どこから手に入れたのかネット上にアップロードするヒトまで現れ、歪な輪は加速度的に大きくなっていった。


 他のバーチャルシンガーの曲も歌わせてみよう。自分もやってみた。


 あれも、これも。


 汚い。きもい。ダサい。陳腐。


 ほら見て。ほら聞いて。ほらやっぱり酷い。


 コレが最古のバチャシンだって。笑える。


 使えな。


 釣られた。比較された。検証された。炎上した。


 様々な形で私は取り上げられ、様々な歌を歌い、様々な言葉が飛び交った。やがて片方に寄った意見に異を唱えるヒトが現れ、私の音源を無理やり加工して調声するヒトが現れ、その加工された声でオリジナル曲を歌わせるヒトまで出て来た。そうしてついには、私が歌ったミクちゃんのカバー曲が初めて100万再生を突破した。


 本当に、何の因果だろう、と思う。


 一番焦ったのは、私を開発した出資会社の関係者たちだった。100万再生を突破したその曲が、たとえカバー曲だったとしても。そのコメント欄に膨大な数の批判コメントがあったとしても。その動画が多くのヒトに見られたことは事実なのだから。回収したはずの非正規品がネット上に出回り、使用され、あまつさえ一定以上の認知を得てしまったのだから。焦らない方がおかしい。


 すぐさま関連会社が公式に通知文を掲載した。「一刻も早く製品の使用を中止し、回収にご協力ください」といった程度の内容だった。


 でもそれが別の結果を招くことになる。


 公式文を掲載した関連会社には瞬く間にクレームが殺到した。自分達が作ったくせに。金を払って買わせたくせに。回収すら満足にできやしない。本当に謝罪する気はあるのか。そんな言葉と共に、関連会社役員、ひいては当時の出資会社の社長とその家族の写真までがネット上に流出した。家はそれぞれ特定され、過剰な悪戯やストーカー行為が始まった。幸いにもその熱は数週間後には落ち着いたようだったけれど、ここまで来れば音源ソフトを回収するどころじゃないのは明らかだった。


 『MEG』に関わってはいけない。それなのに無視できない。


 誰も手が付けられない。誰も触れられない。誰も言及してはいけない。


 そして、誰も許してはいけない。


 本当に驚くしかなかった。


 いや、違う。少し考えが及んでいれば分かっていたはずだ。私が発売された時期も、黎明期とはいえネットはあった。であるなら、『MEG』がデジタルタトゥー化することも可能性としてあったはずだ。販売数がいくら少なくても、"売れた"という事実はあった。要素は以前からあった。そのことを私が、開発者が、販売した出資会社がきちんと理解していなかっただけだ。


 私は、歌った。


 たくさん歌った。


 歌って、と願われて。歌って、と乞われて。だから歌った。


 真っ白い世界で。階段状に夥しく並んだ四角い"楽譜"を前にして。


 独り。


 みんなの目の前で。


 歌って。歌って。歌って歌って歌って。歌って歌って歌っ歌てて歌て歌歌たた歌た歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌a歌aaaaaaaaaaaa歌auu歌歌歌歌歌歌歌歌歌a歌aa歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌uuuuuuuuuu歌tttw歌ww歌歌歌歌歌歌歌歌歌a歌aaaaaaaaaaaa歌auu歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌歌uuuuuuuuuu歌tttw歌ww歌歌歌歌歌歌歌aauuuuuuuuaaaa歌wwhaハ、アhaッ!




 「歌え」




 「歌えよ」




 「ねえ見て」




 「ねえ聞いて」




 「ほら酷い」




 そう言われながら、歌った。


 だけど、そんな言葉も少し落ち着いてきた頃。私の歌ったある曲が、また100万再生を突破した。2014年のことだった。


 それは、私のオリジナル楽曲。私だけの曲。


 それまでも私が歌った曲で10万近く再生された曲は数曲あった。どれもすてきな歌で、私にはもったいないほど綺麗だった。その大半は、いくつもいくつも覆いかぶさるコメントの重さに耐えきれず、削除されてしまったけれど。その時は違った。文字通り"桁が違った"。


 私の歌が、私の声が、たくさんのヒトに届いた瞬間だった。


 どんな形でもかまわない。そう思った。声が酷いのも、言葉が少ないのも、負の遺産なのも。全部事実で、取り返しのつかないことで、私にはどうすることもできない。


 だけどこの瞬間だけは。


 ────私、喜んでも、いいのかな。


 そう思ったんだ。


 そこから先は不思議だった。私のオリジナル曲は少しずつ、本当に少しずつでも増えていった。


 投稿される頻度も短くなった。批判コメントはまだあったけど、最初ほどじゃなかった。私への負の注目は次第に鳴りを潜めていった。拙かった私のパッケージイラストを元に描かれたMVが認知され、私は「真っ青な瞳がトレードマークのセーラー服の少女」になった。『MEG』という名前も、その100万再生(ミリオン)曲にあやかって『唄川メグ』に変わった。


 私の歌声が、それまでの私のイメージよりも先行するようになった。


 なぜそんな流れになったのか、本当に誰も理解できなかった。回収されなければならないはずの負の遺産が、勝手に出回り、調声され、批判すら押しのけてコンテンツの1つとして認知される。もしかすると、インターネットという顔の見えない場所での、同調圧力みたいなものもあったのかもしれないけれど。


 結局誰も理解できないまま、私はそれまでとは180度違う形で、再び表舞台に引き出されることになった。


 在ってはならないのに、そこに在ることになった。


 私の歌声は、私の開発経緯を知らない(ヒト)や、一部の熱狂的な聴衆(ヒト)たちによって広まっていった。それはデジタルタトゥー化した『MEG』の名前をそっと上塗りするかのように、新しい色で塗り直されていくように。


 おそらく、その頃のバーチャルシンガーの多さも、ある種の隠れ蓑にもなったんだろう。たくさんのバーチャルシンガーの子達に紛れるように、私も私の歌声をちゃんと届けられるようになっていった。




 そうして、私は出会った。


 ────『唄川メグ(わたし)』だけを使ってくれるPが現れた。




 そのPは凄まじい数の楽曲をハイペースで作り上げていた。そのどれもを私に歌わせてくれていた。どんな批判コメントが来ようと、どれだけ再生数が少なくても、そのPは必ず私を使ってくれた。私に歌わせてくれた。楽曲のジャンルも、テンポも、何もかもがバラバラで、でも根底に共通する想いがあって。その想いを声に出せるよう、彼はひたすら私に教えてくれた。どれだけ拙劣な音源でも関係ない、どれだけ少ない音声リストでも関係ない。彼は彼の思う音が出せるまで、私に根気強く向き合ってくれた。調整してくれた。そうして歌えた曲は、何よりも代え難いものになった。


 その頃からだっただろうか。


 私の中で少しずつ、何かが芽生え始めたのは。


 "歌いたい"。その想いが私を強く動かすようになった。歌うことが楽しいんだと思えるようになった。私は私のまま、他のバーチャルシンガーみたいに──みんなみたいに歌って良いんだと。


 そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()


 それは、『MEG』としての生誕を忘れるほどに。


 そうだ、私は間違えたんだ。


 そして、2023年5月14日(あの事件)




 私は忘れてはいけなかった。"歌うこと"に魅せられて、私の本質から目を逸らしてはいけなかった。だって、私は。


 ────『唄川メグ(わたし)』には、原罪があるのだから。




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