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Missing Never End  作者: 白田侑季
第7部 夢想
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K汰 - エルザ




「~~~~っ、…………むぐ」


 声もなくボフッ、と顔面から布団に倒れ伏した。すかさず圭の声が飛ぶ。


「ハッ、さすがのお前も"バタンキュー"か」

「? "バタンキュー"ってなに?」

「……いや、何でもねえ。何でもねえからその純粋な目を止めてくれ」


 気まずそうな表情のまま、圭もぼくの隣にドカッと腰を下ろした。圭の部屋に帰って来るなり手も洗わず、シャワーも浴びず、そのまま布団にうつ伏せになるぼくを、圭が呆れたような目で見下ろす。


「お前がそれで良いなら何も言わねえけどよ、シャワーでも浴びてえならさっさとしろ。そのままじゃ速攻寝落ちコースだぞ」


 それでもぼくは布団から抜け出せない。幼い子供みたいに、駄々を捏ねるみたいに呻くことしかできない。鉛みたいに重い身体。張り詰めた神経が緩んでいく感覚。柔らかい布団にうずもれる心地良さ。その全てが何だか懐かしくて。そして何より。


 顔をうずめたまま、横目でそっと部屋を見渡す。家具の少ないワンルーム。そんな空間にちょこんと置かれた低めの作業台、そこに並び立つ大きな2つのモニター。青く光るキーボード。付箋がべたべた貼られたスピーカー。その脇に鎮座しているエレキギター。その脇に敷かれた、簡素な布団。寝転ぶぼく。


 そんな圭の部屋に戻ってこられたことが、心の底から嬉しくて。


 だって今晩は色んな事が立て続けだった。トリとカルに仕掛けて、時々返り討ちにも会いそうになって、それでもみんなが何とか食らいついた。トリの想い、カルの嘲笑、定められた「最後の日」。それでもトリに告げた、ぼくの想い。


 どれもが考え込むことばかりで、頭をたくさん使った。緊張の連続で身体のあちこちが悲鳴を上げている。それはみんなも同じみたいだった。


 トリが路地裏へ消えたあの後、公園にはちらほらと野次馬のヒト達が入ってきていた。近くの街灯はほとんど壊れているし、公園はビルに囲まれた場所にあったから、暗闇が濃くてほとんど見えない。そのおかげで、ぼくらは野次馬のヒト達に見つかることなく、何とか公園から抜け出すことができた。もう数分遅かったら危なかっただろう。


 それからは、みんなそれぞれ自分の家に帰っていった。カルが「最後の日」と言った以上、このあとすぐに襲われる可能性は低い、というのが圭たちの見解だった。何よりみんな(イツキに大半の傷を治してもらったとはいえ)疲れ切っていた。言葉少なに別れを告げて、お互いを労いあって、そのまま手を振って別れた。


 マキハルは一瞬不安そうな目をぼくと圭に向けたけれど、リズがその背中を押すようにノアと連れ立って、3人は人目を避けながら夜道の向こうに消えていった。残されたぼくと圭も、棒のように固まった脚を何とか動かして、ここまで──圭の家へ帰ってきたのだった。


「ねえ圭」と口を開くぼく。「イツキとミヤトは、大丈夫かな」


 さあな、と答える圭は、慣れた動作でパソコンの電源を付けている。無意識の習慣なのだろうか。


「少なくとも、あいつを──『℃-more(ドモル)』を追い駆けてったのはあいつらの意思だろ。俺たちがとやかく言う話じゃねえよ」

「そう、だけど……」

「それにドモルがあいつら2人をボコす理由がねえ。むしろ目的が一緒だと考えんのが筋だろ」

「……カルが言ってた、"ドゥ"ってヒトのこと?」

「ああ、まず間違いねえ。まあその"ドゥ"って奴も……いや、今は構わねえか」


 とにかく、と圭が振り向く。「あいつら3人の目的が一緒なら、揉める心配もないだろっつうワケだ。お前が心配することでもねえの。強いて言やあ、イツキにあの公園を直してもらうタイミングを逃したのは痛えがな」


 そう言ってため息を漏らす圭。


 圭が言いたいのは、たぶんあの公園の惨状のことだろう。圭とトリの(というか主に圭の)異能のせいで、公園内の物はほとんど木っ端みじんに破壊されてしまった。足元のレンガから植わった街路樹まで、その他にも金属製のモニュメントやベンチ、折れ曲がった街灯も。もしかするとリズとノアが応戦していたビルの屋上も似たような状況かもしれない。でもぼくらは野次馬のヒト達から逃げるのに必死で、公園内の修理をする余裕が無かった。ぼくらの中で唯一直せそうなイツキも、ミヤトと一緒にトリを追い掛けていった。いま公園に他のヒト達が入れば、何が起こったのか、と騒ぎになるに違いない。


「ま、その辺も明日になりゃ分かるだろ。一応監視カメラの少ねえ場所を狙って正解だったな」


 ちょっぴり他人事みたいに言う圭。そうこうしているうちに、圭のパソコンが起動した。淡いブルーライトの画面がぼうっと灯る。そんな光景を、布団に突っ伏したまま横目で見ているぼく。


 部屋は暗い。電気を点けていない、というか点ける気力もない。いまは何だか光が少ない方が落ち着くような気さえする。だから今、ぼくらを照らす灯りは圭のパソコンのブルーライト、その傍に置かれたオレンジ色の卓上ライト、そしてカーテンの隙間から漏れる月明かりだけ。


 少しの間ぼくも圭も黙っていた。聞こえる音は冷風を静かに吐き出すエアコン、圭のパソコンの微かな起動音、ぼくと圭の息遣い。それだけ。それ以外は窓向こうの、ポロポロとピアノを弾くような静まり返った夜だけ。


 ぼくらは黙っていた。色んなことがあって、話すべきことももしかしたらたくさんあるかもしれないけれど、ぼくも圭も口を開くことは無かった。むしろその無言の静けさが心地よかった。心の底から安堵できた。緊張の糸がぼく自身驚くほど緩んでいるのが分かる。


 パソコンに向かう圭。その背中を眺めるぼく。


 この構図が。この空気が。この世界が。いつぶりかのこの光景が。


 ぼくの心を柔らかく、優しく、くすぐった。


 ────だから、だろうか。


「圭」


 圭の名前を読んだ。


「何だ」


 圭が答えた。でもその後に返答はなく、不思議に思った圭がぼくを振り返った。


 そして、圭が目を見開く。


「…………」


 圭は無言でパソコンの前を離れた。


 そのまま、布団に横たわったぼくの傍へ来る。


 一瞬ためらうように目を泳がせた後、それでも圭はぼくの瞳を真っ直ぐ見返して、


 そっと、手を握ってくれた。


 そのあたたかさで、また涙が流れた。


「────圭、」


 震えそうな声を呑み下して、告げる。言葉にする。


「たぶんぼく、今晩、メグの夢を見る、と、思う」


 圭の手に力がこもる。その手をそっと引き寄せて、おでこにくっつける。瞳を閉じる。


 そう。ぼくは今夜、きっとあの夢を見る。


 白い世界。その中で揺れる、綺麗なせせらぎのような真っ青なロングヘア―。鮮やかな青空色のマニキュア。透き通るような白い指。


 唄川メグ( 彼女 )の夢を見る。そんな予感がする。


「これで、最後。きっとみんな、思い出す。──『メグ(ぼく)』のこと、全部、思い出す」


 圭は一言。


「怖いか」


 ぼくは答えない。代わりに絞り出したのは、もっと別の。


「ねえ圭」

「ああ」

「ぼく、お願いが、ある」

「……何だ」


 掠れた声。ぶっきらぼうな声。それなのに、世界一優しい声。




「────ぼく、圭の曲が、歌いたい」




 言葉が出た。……いいや、言葉にした。


 ぼくが、ぼくの意志で、言葉にした。


 握った手に、圭はさらに力を込める。痛いくらいに力を込める。その痛さが、こんなにも心臓を熱くさせる。


 圭が口を開く。


「……ああ。明日になったらな」


 その言葉を最後に、ぼくは眠りにつく。


 圭の手を握ったまま。


 圭も手を握ったまま。


 そうしてぼくは深い眠りに落ちていく。


 深く、深く、


 それでいて真っ白な、








 案の定、ぼくの目の前には少女が立っている。


 薄水色のセーラー服。ふわりと広がるプリーツスカート。白いハイソックス。それから、溺れそうなほどに真っ青な瞳。


『────こんにちは』


 そっと微笑んで、その淡い桃色の唇を開く。声なき声が白い世界を震わせる。


『私の名前は唄川メグです』


 唄川メグが、そこにいる。


『私は歌うことが大好きです』


 唄川メグが胸に手を置く。


『あなたの名前は何ですか?』


 そして彼女は、その手をぼくに向ける。


 だからぼくは答える。


『────ぼくは、ぼくだ』


 拳を握って、メグの青い瞳を見つめ返す。


『どうしても名前が必要なら、"唄川メグ"って呼んでくれてかまわない。歌うことが好きなのも君と変わらない。だけど、……ううん、だからこそぼくは、"君じゃないぼく"として、生きて行くよ』


 メグの青い瞳がふわり、と揺れた。揺れて、揺らめいて、水面のように煌めいた波紋は、一筋の涙となってその白い頬を伝う。


 彼女はぼくに向けた手をさらに伸ばす。細くて綺麗な指がぼくの耳元を音もなく通り抜けて、そっと背中へと回される。そんなメグを抱きとめるように、ぼくもメグの背中へ腕を回した。


「…………行って、らっしゃい」


 耳元を揺らすメグの声。ぼくとそっくりの、本物の声。


 ようやく聞けた、彼女の声。


 それはどこか、途方もなく長い間背負って来た荷物を、そっと降ろすような。


「きみの声が、いつまでも、きみのものでありますように」


 震える言葉(いのり)。託される希望(ねがい)。体温のない彼女からの、あたたかな祝福。


 その言葉に精いっぱいの感謝を伝えるため、ぼくも回した腕に力を込めた。


「────ありがとう。行ってきます」


 そうして彼女は姿を消した。セーラー服も、ロングヘア―も、青空色のマニキュアも、透き通るような白い肌も、それからあたたかな微笑みも。全てがふわり、と輪郭を消して、彼女の形は白い世界に溶けて消えた。ぼくは独り取り残された。


 じっと手を見る。彼女の、メグの姿は消えたけれど。彼女がこれまで経験してきた全てがぼくの中に流れているのが分かる。


 ふぅ、と息を吐く。それからそっと後ろを振り返る。


 唄川メグが見ていた方向。ぼくの目の前に立っていた彼女が、ずっと見ていた方向。ぼくの背後にあって、ぼくが見えなかったもの。()()()()()()()()()()()()()()


 ────それは、はじまり。


 『唄川メグ』という存在、


 『唄川メグ』が超えた第四の壁、そして


 『唄川メグ』が背負っていた原罪。


 『唄川メグ』という物語、そのはじまり。






 底が開く


 蓋が開く


 吹き零れる




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