9皿目 霧の中のトルティーヤ(1)
それは、ハリスの家を訪ねてきた旧友の頼み事からはじまった。
いつものようにガーデンでの冒険を終えて帰宅し、くつろいでいたある夜のこと。ノックが聞こえてハリスがドアを開けると、ハリスと同年代と思しき男性が立っていた。
「チャーリー! 久しぶりだな。急にどうした? とりあえず中に入れ」
ハリスが破顔しながら出迎える。
その様子から察するに、どうやら昔なじみのようだ。膝の上で丸くなるコハクを撫でていたリリアナは立ち上がってお茶の用意を始めた。
「こいつはチャーリー。昔、パーティーを組んでいた仲間だ。そして、こっちがテオで、リリアナだ」
リリアナが手際よくティーセットを並べ4人でテーブルを囲んで座ると、ハリスが互いのことを紹介する。
一通りの挨拶を済ませて紅茶を一口飲んだチャーリーが、いきなり両手をテーブルについて深く頭を下げた。
いったい何事かと驚くハリスたちに、チャーリーが切羽詰まったような声で告げる。
「ハリス、おまえに頼みがある。行方不明になった仲間の冒険者カード探しを手伝ってもらいたいんだ」
チャーリーの話によれば、先日湿地帯エリアでパーティーメンバーのジョセフがはぐれてしまったらしい。
湿地帯といえば、深い霧の立ち込める迷子が多発する難易度の高いエリアだ。
チャーリーたちが湿地帯に行くのは初めてではなく、何度か訪れた経験があるため油断していたかもしれないとのことだ。その日は【オオナマズの肝の収集】という依頼で湿地帯エリアに行き、拠点から沼を目指している途中で姿を消したという。
オオナマズの肝は滋養強壮と美肌効果が高く、これを原料としたサプリメントが貴族の婦人の間で流行の兆しをみせているらしい。
リリアナはまだ湿地帯エリアに入ったことがない。オオナマズは凶暴な魔物ではないが、環境の悪条件が討伐の難易度を高めているという話だけは聞いている。
「今日、あいつの指輪だけが戻ってきた……」
チャーリーの苦し気に絞り出すような声にリリアナたちは息を呑んだ。
ガーデンへの入場の際に着用が義務付けられている指輪は、3日経てば強制送還される機能がついている。指輪さえはめておけば、迷子になっても死体になっても3日経てば戻ってこられるわけだ。
それが「指輪だけ」だった場合、その指輪をはめていた冒険者の体がなくなったことを意味している。
魔物に食べられたり、跡形もなく溶かされたり焼かれたり……つまり、命を落としている可能性が極めて高い。
「酷なことを聞くようだが、指輪に手はついてなかったのか?」
ハリスが険しい顔で問うと、チャーリーは弱弱しく首を横に振る。
「指輪だけだ」
もしも指輪とともに指が戻ってきたのなら、指がちぎれただけで生きている望みもあるのだが、指輪だけとなるとやはり……。
ジョセフはもう生きていないだろう――全員が同じことを考え、重々しい空気が漂った。
「せめて、冒険者カードだけでも探してやりたいんだ。それをあいつの家族に届けたい」
チャーリーがうなだれている。
ガーデン内で冒険者が行方不明になる話はたまに耳にする。命を落としていることもあれば、迷子になっていただけで生還することもあるし、中には家出や夜逃げのような形で自ら行方をくらます者もいる。
ガーデンではどんなことが起きても自己責任だ。行方不明者が出た時に管理ギルドが捜索依頼を出すのは、規約違反に該当する可能性が高い場合のみ。
今回のジョセフのようなケースで別のパーティーに捜査協力を依頼したい時は、こうやって個別に頭を下げて回らないといけない。
「わかった、協力しよう」
ハリスが力強く頷いた。テオとリリアナもそれに続く。
「ありがとう! 助かるぜ」
チャーリーは顔を上げ、泣き出しそうな顔で笑った。
はぐれた時の状況やジョセフの容姿を詳しく聞き、さっそく明日、湿地帯エリアに行くことになった。
******
「いいか、霧の中で迷子になって自分がどこにいるかわからなくなったら、むやみに移動しないことだ。常に声をかけあうことも大事だ」
湿地帯エリア初体験のリリアナとテオの顔を交互に見ながらハリスが心得を語って聞かせる。
昨夜からこれで何度目だろうか。
テオはいい加減うんざりといった顔をしているが、それだけ危険なのだろうとリリアナは気を引き締める。
チャーリーのパーティーと合流して一緒に湿地帯エリアまで移動し、拠点から先はそれぞれ分かれて捜索することになった。
ジョセフがはぐれたのは拠点からそう遠くない位置だったようだ。
濃い霧に包まれたと思ったらすぐ近くにいるはずのジョセフの気配が消え、名前を呼んでも返事がなかったという。
ハリスとコハクを先頭に、そのすぐ後ろをリリアナとテオが並んで歩く。いまのところ霧はほとんどかかっておらず、捜索活動に適した状況だ。
湿度が高く、蒸し暑い湿気がまとわりついてくるような不快感がある。
地面は踏みしめると水分のにじむ緑色の苔に一面覆われている。リリアナはその足元に視線を落とし、なにか手掛かりはないかと探しながら歩いた。
テオが無言のままリリアナの手を握ってきた。
驚いて顔を上げるリリアナとは目を合わさないまま、テオがフイッと横を向く。
「下ばっかり見てたら迷子になるだろ」
「ありがと」
リリアナは一瞬微笑んで、テオにだけ聞こえるようにそう言った。