(5)
「それで? この鍋をどうするんだ?」
アルノーが怪訝な顔で聞いてくる。
水、アカニンジン、アルミラージの肉、香辛料を入れた鍋を魔導コンロの火にかけたところまでは、調理でよくある工程だが、いつもと違うのは水を少なめにしていることだ。
そしてリリアナが蓋をしっかり押さえるようアルノーに頼んだというわけだ。
リリアナは、数刻前にハリスに聞いた鍋の中の圧力を高めれば一気に加熱できることを得意げに説明する。
「それ、大丈夫なのか?」
「大丈夫よ!」
きっと上手くいくはずだわ!
火にかけた鍋の中をギューッと圧迫する。
そのイメージを膨らませながら重力魔法を少しずつ強めていく。
最初はなにも変化がなかったが、途中から鍋がガタガタ揺れ始めた。
コハクが怖がって洞穴の最奥へと逃げて様子をうかがっている。
「おい! これほんとに大丈夫なのか?」
アルノーが両手でしっかり蓋を押さえながらも慌てている。
「大丈夫だから、しっかり押さえていてってば」
これ以上強くかけないほうがいいと判断してここで魔法をやめ、火も止めた。
しかし、鍋はガタガタ暴れたままだ。
「まだしっかり押さえ続けていてね」
ハリスは魔法を止めた途端に蓋が飛んだと言っていたから、ここで気を抜いてはいけない。鍋の中で暴れまわっているのはおそらく水蒸気だ。
行き場のない膨らんだ水蒸気が蓋を押し上げようとしているということは……。
「おいぃぃっ! 俺もう限界だっつーの!」
「うるさいわねえ。大丈夫よ、しゃべれるならまだ余裕でしょ!」
「リリアナちゃん、さっきから『大丈夫』しか言ってないけど……これいつまで押さえればっ……いいんだよ」
アルノーは顔を真っ赤にして必死の形相だ。
水蒸気を冷やせばいいんだわ!
おあつらえむきに、外には雪がたくさんある。
「ねえ、このままこのお鍋を外に運ぶから。その間、絶対に手を放さないでね?」
アルノーは返事をする余裕もなくなったようで、素早く二回頷いた。
「いくわよ、せーの!」
両手鍋の持ち手をリリアナが持ち、アルノーが蓋を押さえたまま一緒に立ち上がって洞穴の入り口まで持っていくと、凍り付いた雪に下ろした。
ジュ~~ッ!と音を立てて周りの雪が溶けていく。
ようやく鍋がおとなしくなって蓋を押し上げる感覚もなくなったようだ。
アルノーがおそるおそる手を放しても、蓋は飛ばなかった。
リリアナが蓋を開けてみると、ブワッと香り豊かな湯気が立ち上ったものの中身が吹きこぼれることはなく、スープが完成している。
「「あ~、よかった~~っ!」」
ふたり同時に力が抜けたように尻もちをついた。
洞穴の入り口に喚起のための隙間を少しあけてレジャーシートを張り、さっそくアルミラージの圧力スープを食べてみることにした。
アカニンジンはフォークを刺すとなんの抵抗もなくスッと通るほどやわらかくなっている。口に入れると、とろりと崩れた。しかも驚いたことに、辛さよりも甘みを強く感じる。
大きめに切ったアルミラージの肉も、フォークの背で押すと繊維に沿って簡単にほろりと崩れた。
しっとりやわらかい上に味もよくしみこんでいて、アルミラージの旨味を強く感じる。噛むたびに口の中で深みのある味わいの肉汁が広がり、リリアナは口から大量の湯気を吐き出しながら、遭難中であることを忘れて夢中で食べた。
ハリスが作ったスープと具材と味付けは同じだが、こちらはまるでとろ火でゆっくり時間をかけて煮込んだような出来栄えだ。
ハリスの言っていたことは本当だったと頷きながら食べるリリアナの正面では、アルノーもスープにありついている。
「すっげー美味いのはいいとしてリリアナちゃんってさ、いつもあんな危険な方法で料理してんのか?」
「してないわよ、怒られるもの。これは初めて試してみた方法だったの」
あっけらかんと言ってみせると、アルノーはスープの皿を落としそうになっていた。
「はあっ!? さんざん大丈夫って言ってたのに、初めてってなんだよ。いまさらゾッとしてきたんだけど」
「結果オーライってやつよ。だいたいねえ、わたしのことを雪崩に巻き込んでおきながら、これぐらいでビビらないでくれる?」
これであおいこだと胸を張るリリアナの横に、アルミラージの生肉を食べ終えたコハクが寄り添ってきた。
食事を終えて体が温まり、モフモフのやわらかい毛を撫でているうちに眠気に襲われるリリアナだ。
外はもう真っ暗だから、ここで夜を明かすことになるだろう。
今日は色々なことがありすぎた。魔力もたくさん使ってしまった。あと2日このまま過ごす可能性を考えると、体力も魔力も無駄遣いしてはならない。
リリアナはマジックポーチからシュラフを取り出してアルノーに渡した。
雪山エリアへ入る時の必需品だ。あいにくひとり分しかないが。
「わたしはコハクがいるから大丈夫よ。それに、ランタンも灯し続けないといけないし、これで寝てちょうだい」
魔導ランタンは光を灯すだけなら魔力は不要で誰でも使える魔道具だ。
これに微量の火魔法を流せば発熱効果が加わり、簡易型の暖房器具となる。難点は、効果を維持するためにはずっと魔力を流し続けなければならないことだろうか。
するとアルノーは少し困ったような顔でフッと笑った。
「リリアナちゃんはお人好しだな。疲れてるんだろ、俺だって多少の魔力はあるからランタンを維持することはできる。美味いもん食って魔力も気力も満タンだから俺がやる」
それでもせめてシュラフは使ってくれと押し付けて、リリアナはアルノーの申し出に甘えることにした。
「途中で交代するから起こしてね」
実際クタクタだったリリアナは、コハクに抱き着くようにして横になりモフモフに顔をうずめるとすぐにスースーと気持ちよさそうに寝息を立てたのだった。
リリアナは全く気付いていなかった。
アルノーが隙だらけのリリアナの命を狙っていたことに――。