6皿目 ソバ粉のガレット(1)
【ペットの違法取引に関する調査 報酬:ソバの実、石臼】
ガーデン管理ギルドの掲示板に、一風変わった依頼が貼りだされている。
「ソバの実か……」
ハリスが無精ひげの生えたあごを撫でて呟いた。
これは彼が興味を示した時に無意識にする仕草であることを、リリアナは知っている。
ソバはガーデンに隣接するケイラル国とその北に位置するラシンダ王国との国境付近で栽培されている穀物だ。
報酬がソバの実ということは、その地域からの依頼だろうか。ガーデンからだと馬車で1日半あれば行ける距離だ。
商家の娘としてソバに関する一通りの知識はあるが、実際に見たことも食べたこともない。
どんな味がするんだろう。
リリアナが掲示板を眺めながら考えているうちに、ハリスは受付のエミリーに依頼の詳細を確認していた。
「そうなんです。ケイラル国のマルドという街でペットの違法取引が行われているという情報が寄せられたんです」
エミリーがいつもの穏やかな笑顔を見せる。
コハクのように魔物をペット登録して専用の首輪をはめれば、ガーデンの外に連れ出してもなんら問題はない。
冒険者同士のペットの譲渡も認められている。
ただしガーデンの外でペットの首輪を外すことと、冒険者以外に譲渡することは禁じられている。首輪に関しては、無理に外そうとするとその人の首から上が馬になってしまう呪いがかかる。そしてペットは死んでしまう。ガーデンの外で弱体化が解けて暴れ出すとまずいからだ。
しかし珍しいペットを飼っていると自慢したいのか、禁忌を承知の上でガーデンの魔物をペットとして手元に置きたいと考える貴族が各国にいるようだ。そんな貴族たちの自己顕示欲に目を付けて金儲けする悪徳仲介業者もいる。
ペットの違法取引とは、冒険者同士の取引を装って貴族に魔物を高額で売り渡す行為を指す。
大陸の各国には、犯罪を摘発し治安を維持するための警備組織が存在する。しかしガーデンに関することはガーデン管理ギルドに解決を依頼するのが慣例となっているため、ペットの違法取引もこちらに依頼が来たという訳だ。
「マルドを経由してケイラルからラシンダ王国へガーデンのペットが横流しされているというタレコミがあったんです。それを確認してくる依頼なんですが……」
ここでエミリーが、眉尻を下げて言い淀む。
「テオさんが同行されるのは、いろいろと不都合があるかもしれません」
途中からハリスと並んで話を聞いていたリリアナが、そうでしょうねと首肯する。
テオは直情的な性格だから、潜入捜査は最も向かない。
「そうだなあ……」
ハリスは腕を組んで首をひねっている。
あまり執着心のない彼が未練タラタラの様子を見せるのはとても珍しい。それだけソバの実に興味があるのだろう。
リリアナはそんなハリスのために出来ることはないかと思案して、いいことを思いついた。
「ねえ、先生。テオには特別な修行を与えて留守番してもらえばいいわ!」
リリアナはいま、ハリスとテオとともにガーデンの街の外れにある一軒家で暮らしている。
もともと寝泊まりする場所はバラバラだったのだが、リリアナが借りていた小さな集合住宅はペット禁止のため、コハクと一緒にいたいリリアナがハリスの持ち家に転がり込んだ。
その後すぐ、今度はテオが間借りしていた宿屋で他の客と喧嘩して大暴れしたせいで主人に叩き出され、テオもハリスの家で世話になるしかなくなって共同生活が始まった。
幸いハリスの家は広くて部屋数も多いため、プライバシーを保ちつつ心地よく暮らしている。
一緒に暮らしてみて気付いたのは、ハリスの大いびきと寝起きの悪さだろうか。リリアナが家中に響き渡るハリスのいびきを初めて聞いた時は、大きな獣が侵入してきたのではないかと驚いて飛び起きたほどだった。
「はい、これテオの修行メニューだから」
ギルドの依頼を受けた翌朝、リリアナはテオに封書を渡した。
調査内容と旅費がふたり分しか出ないと説明したのは昨晩のこと。
「留守中に暇を持て余さないように特別な修行を用意しておくから」
ハリスの提案に、テオは気乗りしない様子だった。
しかし、ハリスが独り言のように呟いた言葉を聞くや否や態度を変えた。
「きちんとこなせたら、欲しがっていた砥石をやろうかと思っていたんだが……」
「やってやろうじゃねーか!」
ハリスが出刃包丁を研いでいる様子を興味深げに眺めては、その石を使わせろとせがんでいたテオだ。
それを餌に釣ればおとなしく留守番するだろうと踏んだリリアナの読みは当たった。
ちなみに修行メニューは、食事を自分で作ることのほかに、庭の草むしりや建付けの悪いドアの修理、床磨き、水回りの掃除など、後回しにしてきた家事全般だ。
「いまごろ、修行メニューを見て悔しがってるかも」
馬車に揺られながらリリアナは、テオのその姿を想像してクスクス笑った。