1皿目 魔牛のステーキ(1)
テオは混乱していた。
鼻をくすぐる香ばしい匂いとジュウジュウという何かを焼いている音で、半ば強制的に意識を覚醒させられたのがつい先ほどのこと。
音のする方へ目を向ければ、大きなフライパンの前で壮年の男が胡坐をかき、肉を焼いている。
それはいいとして、問題はその男の横に座って肉を食べている若い女のほうだ。
「おかわり!」
分厚いステーキをペロリと食べると、元気よく空になった皿を男に差し出す。
男は甲斐甲斐しくその皿に焼けたステーキを乗せ、また生肉をフライパンに並べてせっせと焼き続ける。
若い女の体つきはどう見ても華奢で薄っぺらいのに、顔と同じぐらいの大きさのステーキを瞬く間に飲み込んでいくではないか。
しかも苦しそうな様子は微塵もなく、実に満足そうな表情で。
戸惑いながらその様子に目が釘付けになった。
しばらく眺めていると、フライパンから立ち上る煙の向こうでなにかが動いたような気がして、そちらに視線を動かしたテオはさらにギョッとした。
白くて丸いものが生肉を食べている。
よく見ればそれはレオリージャの子供だった。
魔物を傍らに従えて尋常ではない量のステーキを物凄い勢いで飲み込む若い女――さてはコイツ、ヒト型の魔物だな!
人間離れしているのは人間ではないからだと合点がいって混乱が収まると、今度は足元からすうっと薄ら寒くなってしまうテオだった。
女が山積みになっているあの生肉を全て平らげたら、最後は自分が食われる番だ。
その証拠に体のあちこちが痛むし、手足は鉛のように重くて持ち上げることすらできない。起き上がることもままならないほどテオの体力は枯渇しており、怪我も癒えていないままだ。
つまり、行き倒れているテオをここへ運んだ目的は、介抱ではなく捕食に違いないと思い当たったのだ。
ガーデンでは何が起きても不思議ではないし魔物との戦いは全て自己責任だ。
戦士として強さこそが正義であると幼い頃から心に刻み込まれ、自分ならそれが体現できると信じて鍛錬と戦いに明け暮れてきた。
その17年の人生の最期がまさか、体を切り刻まれてこの怪しい魔物に食べられるとは……。
テオが心の中で自嘲して口元を歪めた時、若い女と目が合った。
食事の手を止めてテオの横へやって来ると、彼女はにっこり笑った。
間近で見るエメラルドの目と、炎に照らされ蜂蜜を垂らしたように艶やかに輝く金髪に一瞬目を奪われたテオだったが、その感情の正体が何なのかはわからない。
「目が覚めた?」
捕食する側の余裕の態度に腹が立って、テオは精いっぱい大きな声を出した。
「ひと思いに殺せっ!」
眉間にしわを寄せてしばしテオの顔を覗き込んだ彼女は髪を揺らしながらくるっと振り返ると、相変わらず黙々と肉を焼き続ける男に向かって言った。
「ハリス先生! この子、大丈夫かしら。変なこと言ってるわ」
ハリス先生と呼ばれた男は無精ひげの生えたあごを撫でながら視線をチラっとテオに向ける。
先生ということは、この若い女の師匠だろうか。そのわりに甲斐甲斐しく肉を焼いているのはどういうことだろう。
疲労のためあれこれ思考を巡らす余裕がないまま、テオはただハリスのことをぼうっと眺めている。
ハリスが赤ワインをフライパンに回しかけた。
ジュワ~~ッ!という派手な音の後に、ボッと赤い炎が上がる。
炎が落ち着くのを待ってナイフを取り出すと、ハリスはフライパンの肉を手際よく一口大にカットしていった。
「リリアナ、食べさせてやってくれ」
ハリスの持つフォークには、サイコロ状になったステーキが3つまとめて刺してある。
「はい、あーんして」
フォークを受け取った大食いの若い女――リリアナという名前らしい――は、テオの鼻先にステーキを突き付けた。
ステーキの表面にはほどよく焦げ目がつき、断面はまだ赤みの残るミディアムレアに焼き上がっている。
テオにはこれがなんの肉かすらわからなかったが、とてもいい匂いがする。
肉の匂いに混じってかすかに鼻をくすぐる芳醇な香りが、フランベによる赤ワインのものであるという知識ももちろん持ち合わせていない。
しかしこれは絶対に美味いに違いないと思った。
テオは唾をごくりと飲み込んだ。
それでも口を開けなかったのは、このステーキが明らかに贅沢な食事だったためだ。
テオにとって食事とは生命維持と体の鍛錬を目的として義務的に摂取するものであり、楽しく味わいながら食べるものではない。
美食は堕落の元凶――それは故郷での教えだ。
実際に旅の途中に立ち寄った王都で下っ腹の出ただらしない体型の貴族たちを目の当たりにした時に、あの教えは間違っていなかったと思ったテオだ。
「ねえ、食べないの?」
リリアナにぐいぐいステーキを押し付けられ、テオはますます口を開けてはならないと思った。
さてはコイツ、俺をでっぷり太らせてから食う気だな!?
それなのにテオの腹の虫がグゥ~ッという大合唱を始めてしまった。
「ほらあ、お腹鳴ってるじゃない」
リリアナに笑われ、鳴り続けるお腹を押さえようとしたが、テオの左手は持ち上がらずにわずかに横に動いただけだった。
その左手に何かがコンっと当たる。
この感触ならよく知っている――。
寝かされているテオのすぐ横に、彼の愛用の斧も置いてあったのだ。
「食べたら元気出るわよ」
尚もステーキを押し付けて来るリリアナの真意がわからない。
こんなに無防備に武器を置いているということは、元気になったら逃げてみろということか。
しばし迷ったテオは、誘いに乗ることを決意してステーキにかぶりついた。
咀嚼すればするほどにジューシーな肉汁があふれ、濃厚な肉の旨味が口の中に広がっていく。
鼻から抜ける香辛料の香りに食欲を掻き立てられたテオは、あっという間に3切れを平らげた。
するとまたステーキの刺さったフォークが差し出され、それにも夢中でかぶりついた。