袖沼雨空──3
ヒカリの葬式で彼女が死んだことを実感すると、悲しみよりも虚しさが先立った。
式の間じゅう、ヒカリの最後のメッセージについて考えていた。
式が終わるとわたしは、虚しさのなかに強引に希望を見いだしながら、思いきって学生時代の他の映画仲間に声をかけた。『大学時代に作りかけだったあの映画を、一緒に完成させないか』と。
「ばかじゃないの? 今さら。わたしだって暇じゃないのよ」
何人かに声をかけても同じような返答ばかりで、相手にもされなかった。心には虚しさだけが残った。わたしは胸に空いた空洞に追いたてられるように帰宅すると、いくつかの変装用の衣装と機材を用意し、さらには撮影場所もどうにか確保して、その日のうちに映画作りを一人で再開した。
一人で何役も演じ、ほぼ定点のカメラアングルで酷い出来の自主制作映画は完成した。
撮影が終わるとわたしは完成品を振り返ることなく、別の作品の脚本を書き始めた。かつての創作への楽しさはどこかに消えてしまったようだった。
わたしの中には呪いのように、ヒカリからの最後のメッセージが木霊していて、それに突き動かされていた。
ヒカリは何者かになりたくて、何者にもなれずに死んだ。わたしはそんな死に方したくなかった。
社会で否定され続ける日々の中、きっとわたしだって心の底ではずっと思っていた。誰かに認められたい──どうせなら、自分がやりたいことで。
わたしは親友の死で、自分が面白い映画を作りたかったことを思い出した。作る楽しさと好きな気持ちは忘れてしまっていたが、それでも良かった。
何としても、何者かになってやる。
わたしは仕事を辞めてから、次々に、自分の書いた脚本を色々なコンペに応募した。
その結果、わたしはどうにか脚本家になり、映像作品を作る人間の一員になっていた。
嬉しさは薄かった。デビューなんてただの通過点にすぎないと知っていた。
実際、その後も道は険しかった。評価は上がらず、ネットなどで自分の作品を調べてみても批判の嵐──
数をこなすことでどうにか飯にありつけているような現状だ。
仕事として脚本を定着させていくうちに、わたしは映画制作を楽しそうに行う妹を恨めしく思うようになった。
──わたしにとっては仕事なのに。
──子どもの遊びじゃないのよ?
わたしは妹と顔を会わせる度、彼女の創作に対する姿勢を非難し、バカにし、蔑むようになった。
創作とは違い、そちらは結構楽しかった。