七里歩──3
今は亡き青空の祖父は生前、大層な映画マニアで、家のなかに所謂ホームシアターを作っていたほどだ。
ぼくと袖沼姉妹は小さな頃からよくそこで映画を観ていた。近場の劇場なんかよりよほど身近な場所だった。
ぼくがシアタールームで観たなかで最も印象に残った作品は、雨姉が初めて脚本を書いたという自主制作映画だった。
ぼくはあれを観て、自分も映画制作に携わりたいと思ったのだ。
素人の作ったものだから自分にもできそうとか、そういうことでは断じてない。
あの作品は、ぼくと『映画』という媒体を、今まで以上にグッと仲良しにしてくれたのだ。
身近に感じさせてくれた。
それは、作り手からの溢れんばかりの映画への愛を、恥ずかしいほど開けっ広げに感じとることができたから。
ぼくは雨姉の作品が好きだった。
彼女は間違いなく、ぼくにとっての『最高の脚本家』の一人だ。
そして、『最高の映画監督』は──
***
その日の撮影は河川敷で行われた。宇宙人のヒロインと敵性エイリアンとの戦闘シーンがこの場所で行われるのだ。
まずはこの場所の全景を上空から撮る必要があるとのことで、現在は青空が、部の備品であるカメラを搭載したドローンを慣れた手付きで飛ばしているところだ。
現状することのない我々役者二名は、暇そうに突っ立ってる他ない。
水面を眺めながら、ボーっと会話を交わしていると、いつの間にか嫌な方向に話題が流れてしまっていた。
「せんぱいって、昔は脚本書いてたんですよね?」
「……まあ、そうだね」
「何で辞めちゃったんですか?」
向けられた質問はいずれも、答えに窮するものだった。
「さあ、何でだったかな…………」
「知ってると思いますけど、アオせんぱい、七里せんぱいの書いた脚本滅茶苦茶好きですよ? その話するときいつも楽しそうだし。ありゃもうファンですね」
何故かちょっとニヤニヤしながら語る杵築さん。
「ファン、ね。ぼくもある意味では、アイツの作る物のファンだよ」
「やった。両想いじゃないですか」
「何言ってんの?」
「わたしも読んでみたいなぁ。七里せんぱいの脚本」
杵築さんは中空に想いを馳せるような目付きでそんなことを言ってくれる。しかし今のぼくには、彼女の期待に応えることはできない。
「……多分、もう金輪際書くことはないよ」
「勿体ないなぁ。アオせんぱいがあそこまで想ってくれてるのに」
「そうは言っても……色々あるんだよ」
抽象的極まりない言い訳で逃げを試みる。
すると、
「色々あるかぁ……うーんまぁ、そうなんでしょうけどね。創作って、結構大変ですものね」
意外にも物分かりが良い返答がされた。しかし考えてみれば、杵築さんも創作に携わる者の一人なのだと思い直す。少し、彼女の認識能力を軽く見ていたかもしれない。
「……でも、わたしやアオせんぱいみたいに、七里せんぱいの作品を楽しみにしてる観客が、少なくとも二人はいることは、忘れないでくださいね」
それからの撮影も、まあそこまで順調には進まなかった。
敵性エイリアンが杵築さん演じるヒロインに倒されるシーン。鉤爪やら顔だけ出た着ぐるみやらを装着した状態で良い感じに倒れなければならない。これがまた難しい。
「あぁ、もう! ぜんっぜんなってないわ!! じれったいわねぇ! もう、ちょっと退きなさい! わたしがお手本を見せてあげるわ!!」
そう言って、先日と同じようにぼくを押し退ける青空。
「ちょっと──」
「あ、あわわわわわわ……え、え、えと……あっ、あの……あっ、アッアッアッアッアッ……」
「もうこの下り見たよ」
「アッアッアッ…………あわあわあわわわわわ……アッアッアッアッアッ──」
「これ何の時間なの?」
青空はそうやってしばらくあわあわした後、額の汗を拭うと、息をついて言った。
「……ちょっと、休憩にしましょうか」
そして彼女は岸辺に置いてあったクーラーボックスから三ツ矢サイダーを三人分取り出し、各々に配った。
「好きですね、三ツ矢サイダー」
「もうすぐ夏だからね。夏といえばサイダーでしょう?」
そういえば青空は、毎年この季節になると急に炭酸飲料を好んで飲むようになるな……と思い出した。暑苦しい着ぐるみを脱ぎながら。
「それにしても暑いですよね。本当に六月ですか、今?」
「よりによって撮影の日に、こんな気温にならなくても……」
ぼくと杵築さんは喉を越していく爽快な炭酸を味わいながら、それぞれ気温に文句を言う。
対する青空は、暑さに疲れてはいるものの何だかまんざらでもなさそうな様子。
「まあ、良いじゃない。暑い方がインパクトがあって残りやすいものよ」
「何に?」
「思い出に」
「……そんなものかな」