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「しないから。そんな店じゃないから」

 目が覚めて、枕元のスマートフォンで時刻を確認すると、18時であった。ここで二度寝すると夜中に眠れなくなるので、体を朝型に戻せない―休み明けは15時からの仕事である―。

 寝室から出てみると、西日がリビングを染めていた。部屋の中は片付いていて、菜摘は床に座ってスマートフォンをつついていた。

「あ、おはようございます、貴方様」

 菜摘はスマートフォンをエプロンのポケットにしまい、立ち上がってお辞儀をする。

 野良メイドは夢じゃなかったらしい。

「……おはようさん。部屋、片付けてくれたのか」

「はい。わたくし、腐ってもメイドですから。こちら、捨ててよいものか迷いましたので、テーブルに並べております」

 テーブルの上に並んでいたのは、自動車雑誌のバックナンバー。これはもう読まない。観光地で貰った団扇。これはもう少ししたら使う時期になる。2枚しか残っていないボディシート。これはもう捨てていい。というか蓋のシールが剥がれかけているので、乾燥して使えないだろう。コンビニの割り箸。これは未開封なので使う。クロスワードの雑誌。これは心当たりがない。

「なんでクロスワードの雑誌が」

「わたくしの私物です。暇つぶしにと。せっかくですし、貴方様もどうですか?」

「いや、プレゼントの締め切り過ぎてるじゃねぇか」

 表紙に書いてあるプレゼントの締め切りは二ヵ月前だった。中身を見てみると、ほとんど解き終わっている。解き終わったクロスワードの雑誌ほど存在価値のない雑誌はない。

「捨てろよ」

「そのお言葉を待っていました」

 ひょっとして、この女は物を捨てられない女なのかもしれない。

 菜摘が不要物をゴミ箱に入れ、雑誌のバックナンバーを紐で縛る。その様子を見ながら、ふとゴミ箱に目をやると、煙草の吸殻があった。春斗は煙草を止めている。となると。

「おい、煙草吸ってんじゃねぇよ」

「いえ、ベランダで吸いましたので」

「メイドがベランダで煙草吸うって。メイド好きに殺されかねないぞ」

「まぁまぁ。一本どうですか?」

 菜摘が鞄から缶入りの煙草を取り出す。煙草は去年止めたので断っておく。

「いや、煙草は止めたから」

「煙草を吸うという意思が弱いですね」

「煙草を吸わない意思は強いつもりだけどな。それにしても、缶入りの煙草は初めて見たよ」

「おばあちゃんから、缶入りの煙草は持っておけ、と言われまして」

「そりゃどうしてだ」

「天下を取りたくなったときに、爆弾にできると」

「てめぇのおばあちゃんは過激派か何かかよ」

 物騒な単語が出てきたので、話を広げるのは止めておこう。

「おじいちゃんは中東か東南アジアの山奥か、とにかくその辺りにいるらしいですよ」

「生々しいことを言うな」

「まぁ、冗談ですが」

「笑えない」

 菜摘はポーカーフェイスだ。笑えない冗談に拍車をかけている。

「ところで貴方様、夕食はどうなさいますか?」

 あまり腹は減っていない。それに、今の時間はどの店も混んでいそうだ。

「あー、どうすっかな。そういえば、メイドは昼飯どうしたんだ?」

 菜摘が押し掛けてきたのはちょうど昼時だった。彼女が昼食をとってきたかどうかは謎である。

「貴方様が眠られてからコンビニまでお買い物を。お弁当を食べました」

「……その服で?」

「いえ、さすがに私服に着替えました」

「私服持ってんのかよ」

 菜摘は部屋の隅に置いてあった、畳んであるジャージを取り出した。黒地に金ラインが入っている。菜摘の鞄に入っていた着替えはこれか。

「って、ジャージかよ」

「靴も脱いで、サンダルで」

「ほとんどヤンキーじゃねぇか」

 夜中のコンビニやディスカウントストアにたむろしていそうな服装だ。それで煙草も吸う、と。

「いやぁ、貴方様ほどでは」

 人をヤンキー呼ばわりできる人相ではないかもしれない。

「こやつめ、ハハハ」

「ハハハ」

菜摘は笑いながらジャージを畳んだ。帰ってきてからわざわざ着替えたのか。律儀というか、なんというか。

「じゃあ飯は後でいいか」

「では、それまで何をされますか?」

 普段の夜勤明けの休みは飲みに行ったりドライブに出かけてたりしているが、メイドがいる以上はどちらもやりにくい。

「うーん、録画したやつ消化しながらソシャゲの周回でもするかな」

「そんな、メイドがいるのにソシャゲの周回だなんて……。日本全国のメイドが欲しい人に殺されますよ」

「……かまってほしいのかよ」

「はい」

 即答。メイドとして、それはどうなんだろうか。

「とはいってもなぁ……」

「トランプでもします?」

 菜摘が鞄からトランプを取り出した。

「二人で?」

「七並べでもしましょう」

「二人でやるゲームじゃないと思うんだけどな」

 菜摘は手際よくトランプをシャッフルし、真ん中で二等分した。しょうがないので、やるだけやってみよう。


「……いい加減にスペードの9を出せよ」

「わたくしじゃないですよ」

「お前しかいないんだよ」

 スペードの手札が渋滞している。すると、菜摘はおもむろにスマートフォンで写真を撮った。

「何してんだ」

「SNSに投稿を」

 菜摘は投稿を終え、画面を見せてきた。短文投稿サイトだ。そこに七並べの写真と共に入力されていたのは。

『あ~ん、ご主人様のイジワル~~(涙目の絵文字)』

「殴っていいか」

「コンプライアンス的にNGです」

「っていうか、なんだそのアカウント」

「見習いメイドなっちゃんです」

「野良メイドじゃねぇのかよ」

「そんなふざけた単語、初見の方には通じませんよ」

「そうだな。全くその通りだ」

「ああ、初めて褒めていただけましたわ」

 春斗としては皮肉のつもりだったのだが、菜摘には通じなかったようだ。

「そのアカウントはどうなんだ? フォロワーの数とか」

「800そこらですね」

「結構フォロワーいるんだな。メイドの肩書きは強いわ」

 見習いメイドなっちゃんがベランダで煙草を吸うようなメイドだと知ったら、その800ちょいのフォロワーはどう思うのだろうか。

 七並べを続けるのも嫌になってきたので、手札を放り出す。

「次はババ抜きでもします?」

「それも二人でやるのしんどいな……」

 とはいえ、何もしないのも暇である。菜摘はトランプを集めて、またシャッフルを始めた。


 ババ抜きを何回かやったが、結局菜摘には勝てなかった。表情が全く変わらない。彼女は強かった。

 時刻は20時ほど。そろそろ食事にしよう。

「さて、そろそろ飯行くか」

「外食ですか?」

「食材、何もねぇからな」

 春斗の部屋にある食材といえば、買い置きしている袋ラーメンと冷凍うどん、それと米ぐらいだ。

「わたくしは?」

「いいよ、ラーメンぐらい奢ってやる」

「ありがとうございます。ご相伴にあずかります」

「ただ、服は着替えろ」

「えー」

「えーじゃねぇ」

 メイド服を来た女とラーメン屋とか、そんな奇妙な店外デートみたいな目では見られたくない。まぁ、ジャージも大概な気もするが。

 菜摘はジャージを持って、風呂場に向かった。

「覗いちゃ嫌ですよ。いくらメイド相手とはいえ」

「誰が覗くか」

 菜摘が着替えている間、春斗も部屋着から適当な服装に着替える。しばらくして、菜摘が出てきた。目つきの悪さに加え、黒地に金ラインの入ったジャージ。これで金髪のプリン髪なら、できるだけ目を合わせたくない感じの外見になる。

「……予想以上にヤンキーだな」

「お褒め頂き光栄です」

「褒めてない、褒めてないから。そういう趣味は持ってない」

 いわゆるヤンキーものは嫌いではないが、好きでもない。部屋と車の鍵を持って、靴を履く。菜摘もついてきた。さすがにキャラクターもののサンダルではなく、ベルト付きのソフトなサンダルだ。

 車の鍵を開けて、乗り込む。就職してすぐに買った白いスポーツセダンだ。走行距離も増えてきているが、気に入っている相棒である。

「久々に見ましたね、このクルマ」

「まぁな。この型もだいぶ古くなってきたしな」

 15年落ちになる―春斗は5年落ちの中古を買った―ので、街中ではほとんど見かけなくなった。エンジンをかける。BGMは適当な洋楽だ。とりあえず、近所だと知り合いに出くわす可能性があるので、隣町のラーメン屋にしよう。大体20分ほどだ。

「女の子とどういったラーメン屋に行くかで、その人のセンスが問われるといいます」

「マジか、聞いたことなかったわ」

「はい。今考えましたので」

「殴っていいか」

「コンプライアンス的にNGですよ」

 まぁ、初デートの食事というのはセンスが問われるというのは間違っていないだろう。これはデートではないが。

 それに、ラーメンは個人個人の好みの差が大きいジャンルなので、お気に入りの店が他人に気に入られるかはちょっと気になる。とりあえず、チャーシューが売りのラーメン屋に。気に入っている店だ。

「ラーメン“は”奢っていただけるんですよね?」

「まぁな。セットは考えさせてくれ」

 店内は空いていたので、テーブル席に案内される。頼むものは大体決まっているので、メニューは見ないで菜摘に渡した。

「……決まりました」

「早いな」

 店員を呼ぶ。

「えー、ラーメンの唐揚げセットで。ネギ多めの麺硬め」

「ダブルチャーシューメンで。麺硬めでお願いします」

「……」

 ここで一番高い単品を、というか普通のラーメンと唐揚げセットよりも高いやつだ。このメイドは遠慮ということを知らないらしい。

「以上でよろしいですか?」

「……以上で」

 店員が注文を復唱して厨房に戻ったので、気持ちを落ち着けるために水を飲む。

「セットは考えさせてくれ、と仰いましたよね?」

「まぁな……。せいぜいチャーシューメンぐらいと思ってたよ。というかダブルチャーシューメンは俺も食ったことないし」

「せっかくですから」

「何がせっかくなんだ」

 少しして、ラーメンが出てきた。そして、菜摘のダブルチャーシューメンも。バラとモモ、2種類のチャーシューがどんぶり一面に敷き詰められていて麺が見えない。それに比べて普通のラーメンの貧相なこと。

「おいしいですよこれ。チャーシューが凄く柔らかいです」

 菜摘の声色は上機嫌だ。確かにここの豚バラチャーシューは美味しい。

「気に入ってもらって何よりだよ」

 肉を食べるメイドと、麺をすする主人。主従逆転しているような絵面だ。少しして、唐揚げとライスも出てきた。

「一枚どうですか? はい、あーん」

「しないから。そんな店じゃないから」

 とはいえ、せっかくなのでもらっておく。ちょうどライスが出てきたので、茶碗の上に乗せてもらう。

「代わりに唐揚げ一個もらいますね」

「なんて大型トレードだよ」

 7:3ぐらいの割合で損している気がする。まぁ、ここの唐揚げは美味しいので、食べさせてやってもいいだろう。小皿に乗せてやる。

「おいしいですね、これも。やっぱりセットで頼むべきでした」

「それにはさすがにNOを突き付ける」

 ラーメンと唐揚げセット、980円。

 ダブルチャーシューメン、1180円。


 帰ってきてみると、なんだかどっと疲れた。クッションに体を預けていると、メイド服に着替えた菜摘が出てきた。

「改めまして、ごちそうさまでした。コーヒーでも飲みます?」

 インスタントのコーヒーなら多少残っている。が、眠気が襲ってきている今、飲むものではない。

「遠慮しとく。もう寝るし」

「さっき起きられたばっかりなのに?」

「昼間、クソ疲れたからな」

 油洩れの修理もだが、メイドとのやり取りも疲れたポイントだ。昼間の仮眠ではその疲れは取れなかった。ここで起きていると翌日が台無しになる。

「そうですか」

「適当にテレビでも見てたらどうだ?」

 菜摘はテレビの電源を入れると、番組表を開いた。

「今日は何もやってないですねぇ」

「そうだな。何もやってねぇ」

 適当なチャンネルに合わせる。ゆるいバラエティ番組。

「……貴方様」

「どうした?」

「わたくし、感謝しております」

 背筋を伸ばして正座している菜摘を見て、春斗も体を起こした。

「どうした、急に」

「主人を失ったメイドに、こうも優しくしていただいて。野良メイド冥利に尽きますわ」

 急にそんなことを言われると、なんだか恥ずかしい。

「ああ、そいつはありがとさん」

「本日は誠にありがとうございました」

 菜摘が三つ指をついて礼をした。こんなこともできるんだな。菜摘のうなじを見ながら、なぜか感心する春斗であった。


 翌朝。

 目が覚めた春斗は、枕元のスマートフォンで時刻を確認する。9時11分。10時間は寝ていたようだ。頭がすっきりしている。いい目覚めだ。

 寝室を出て、リビングに向かう。リビングは片付いているが、もぬけの殻だった。菜摘が寝ていたであろう座椅子も背もたれが起こされていて、その横にはタオルケットが畳んであった。

 キッチンも、浴室も、トイレにも人の気配はない。

 菜摘は消えていた。

「……やっぱり、妖怪か何かだったのか?」

 野良メイドという妖怪は実在したのかもしれない。冷蔵庫を開けて、麦茶を飲む。

 すると、玄関の扉が開いた。

「あら。おはようございます、貴方様」

 そこには、ジャージ姿の菜摘がいた。手には近所のパン屋の袋がある。

「消えなかったのか」

「……何の話です? ひょっとして寝ぼけられてます?」

 菜摘はサンダルを脱いで、パン屋の袋からクロワッサンと明太フランスを取り出した。

「朝食がありませんでしたので。どちらになさいます?」

「……妖怪と思ったんだけどなぁ」

 明太フランスを受け取って、麦茶と一緒に食べる。菜摘もクロワッサンを食べだした。

「野良お姉さんや野良妹は妖怪かもしれませんけど、野良メイドはここにいますよ」

「いてほしくねぇけどな」

「またまた。押しかけメイドとか、殿方が一度は憧れる単語でしょう?」

「野良メイドじゃなくて普通のメイドならな」

 菜摘は一足先に食事を終えると、ケトルの電源を入れた。

「コーヒー、飲みます?」

「飲む。あ、うちにはブラックしかないからな」

「砂糖もフレッシュもないんですか?」

「俺はブラックしか飲まないから」

「うわ、カッコつけてるやつですよ」

 菜摘はぶつくさ言いながらも、インスタントのコーヒーを淹れる。

「わたくしもいただきますね」

「好きにしてくれ」

 爽やかな朝。どこにでもいそうな、特徴の薄い男は、メイドと一緒にコーヒーを飲んだ。

ここまで短編投稿分です。

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