その7 記憶喪失
記憶喪失、それは、文字どおり記憶を失ってしまう現象のことだ。ストレスや心の病気など、その原因は様々だが、一番広く知られているのは頭への衝撃だ。
続いてリエコはハッとする。
――やだ! アタシの蹴ったボールが原因だったらどうしよ!?
放課後行ったサッカーの試合。リエコの放った弾丸シュートはゴールポストをかすめて茂みへと突っ込んだ。
そのボールを探しに行ったところで、このおサムライをリエコは発見した。
リエコが人形だと思い込んだのは、おサムライがピクリとも動かなかったから。今にして思えば、気絶をしていたのだろう。
状況から見て、リエコの弾丸シュートが当たってしまったとしか考えられない。
一瞬で頭の中で組み立てられたこの推理に、リエコは大いに慌てた。
――アタシのせいでこのちっちゃなおサムライさんが記憶喪失になっちゃったなんて責任重大だよ! どうしよ!? どうしよ!? どうしよ!?
リエコは大きく深呼吸をして自分を落ち着かせた。
「まだ決め付けるのは早いよね。別の原因で記憶喪失になって倒れてたところを、アタシがたまたま見つけたって可能性だってあるんだから」
重すぎる責任から逃れるために、リエコはそんな都合のいいことを言い出した。
「きおくそうしつ? それは何でござるか?」
「記憶喪失ってのは、記憶を失ってしまうこと。自分がどこの誰なのか、大事なことをみんな忘れてしまうことなのよ」
「なるほど、拙者はその記憶喪失なのでござるな。ふうむ、困ったでござるな」
妙にのんびりとした口調で呟くおサムライに、リエコは切羽詰まったような顔で早口に尋ねる。
「おサムライさん。最後に覚えてるのはどんなこと? 何でもいいから教えて!」
「最後に覚えていることでござるか」
おサムライは、腕を組み瞳を閉じるとう~むと考え込む。
「奇妙な模様でござるな。何故か心に強く残っているでござる」
「どんな模様?」
「何と言うか、変わった模様でござるよ。白と黒が交互に並び……」
説明が難しいらしく、おサムライは困った顔になる。
「そうだ、娘ご。拙者に紙と筆を貸すでござるよ。そうすれば、拙者は記憶の中にあるこの模様をそのまま描くでござる」
「うん、分かった」
リエコは自分の勉強机へと向かうと、散らかった机の上におサムライを下ろした。ノートのまだ使っていない白いページを開く。
「お習字の筆、あるにはあるけど準備するのは大変だから。これでいいかな?」
鉛筆立てから一本の鉛筆を抜きおサムライに差し出す。鉛筆の長さはおサムライの背丈以上だ。
「さすがに、ちょっと大きすぎるよね。でも、あんたの大きさに丁度いい書く物なんてないし」
「大丈夫でござる。何とかやってみるでござるよ」
長い鉛筆を体で抱えるようにして、おサムライはノートの白いページに記憶の中にある模様を描き始めた。
「これがこうで、ここがこうなって」
まるで、巨大な紙に巨大な筆で文字を書く書道パフォーマンスのような光景だった。
「よしっ、これで完成でござるな」
満足気にふうと息を吐くおサムライ。ノートには、黒い五角形と白い六角形が並んで描かれている。よくあるサッカーボールの模様だ。
「描いていて思い出したでござる。この模様の外側は大きな丸であったでござるよ」
おサムライが、描いた模様を大きな丸で囲う。もはや誰が見てもサッカーボールだ。
「この模様が、目の前にドンと現れた。それが、拙者が最後に覚えていることでござる」
もはや疑いようはなかった。
この謎に満ちた小さなおサムライは、リエコたちがサッカーをしている時、茂みの中にいたのだ。そして、リエコが放った弾丸シュートが直撃。その結果、記憶を失ってしまったのだ。
――これって、アタシの責任だよね? どうしよ!? どうしよ!? どうしよ!?