8.私は、予想外の出来事が多すぎると思う。
おかしいと思い始めたのは、聖力調査式典よりも前。彼女と話をするために、カイネス侯爵邸へ向かったその日。
体調を崩したと言って、彼女は自分の前に現れなかった。
「申し訳ありません、キースリール殿下。娘、リーリアは先日から体調を崩しておりまして……。代わりに私と、リーリアの兄である息子、カインセントの二人で、お話を伺わせて頂ければと思っております」
迎えられた応接間のソファに腰掛けていたキースリールは、トーキアロンのその言葉に僅かに微笑み、応えながら、内心で深く溜息を吐いていた。会えると、思っていたのに。
ただでさえ私が王城を出ることの出来る機会は少ないから、楽しみにしていたのだが……。まさか、体調を崩していたとは。
会えなくて残念という思いも確かにあったが、そのような時に屋敷を訪問してしまい、申し訳ないという気持ちにもなる。カインセントの年齢を思えば、学園で寮生活をしているはず。そんな彼がこうして屋敷に戻って来ているほど、リーリアの体調が思わしくないということだろうに。
キースリールは少し逡巡した後、次に会う機会に話すという旨を伝え、屋敷を立ち去ることにした。どれほど体調が悪いにしても、彼女はまた元気な顔で自分の前に現れる。それを、キースリールは知っていたから。
そもそも、今回の訪問自体、私が強引に進めたものだからな。だからこそ、こうして駄目になったのかもしれん。そう思えば、仕方のないことだ。
だが、次の機会は違う。毎年行われている、聖力調査式典。キースリールたち王族は毎回それに参列することになっていた。
そして今年は、ダズィル王国の歴史に残る式典になる。
式典が終われば嫌でも話すことになる。私が何を言うこともなく、絶対に。……ああ、どれだけ待ちわびたか! 彼女が、リーリア様が私の婚約者になる、この日を……!
帰りの馬車の中、キースリールは思い、小さく笑った。ダズィル王国の第一王子として生まれてからずっと。いや、生まれるよりも前からずっと。
彼女が眠りについたその時から、ずっと。
「……運命とは、不可思議なものだな」
「……? 何か仰いましたか?」
ぼそりと呟いたキースリールに、向かいの席についていた、部下であるクランシウ伯爵家の子息、リアグランがそう問い掛けてくる。それに「いいや」と短く返して、キースリールはその視線を窓の向こうへと向けた。
聖力調査式典は、例年通り滞りなく進んで行った。式典には社交界に顔を見せるようになった十六の時から毎年参列しているため、今年ですでに四年目になる。特に際立った異常もなく、少女たちの聖力の強さの見極めが進んで行く。
と、見知った顔を見つけて、キースリールは思わずその眉間に皺を寄せた。ルル・ティタリス。茶色の髪の、愛らしい少女。本来ならば彼女は、キースリールにとって意味のある少女だろうけれど。
今の自分にとっては、障害の一つでしかない。
……この時点でそう思うのもまたおかしな話か。すぐに障害になるわけでもない。私がどう対応するかを問われるだけだ。
思い、キースリールは一度深呼吸をして、また聖力式典に向き直った。
少女たちの名が呼ばれ、一人ずつ壇上へと歩いて行く。聖力の量はそれぞれまちまちで。しかし血筋と言うべきか、貴族の令嬢たちは皆、総じて聖力が強い。これもまた、例年通りの話ではあるけれど。
参列したほとんどの少女たちの名前が呼ばれ終わり、予想通り、最後に名を呼ばれたのは、リーリア・アイルという名の美しい少女だった。目を細め、ほう、とキースリールは息を吐く。やはり彼女は、美しかった。キースリールの、記憶の通りに。
もう少しだ。もう少しで手に入る。彼女の婚約者という肩書き。いや、婚約だけで終わらせるつもりはない。以前とは、……前世のキースリールとは違うのだから。
楚々とした足取りで進むリーリアを食い入るように見つめながら、キースリールはその表情を緩めた。あと少し、あと少しと、心の中で念じながら。
「さすが、カイネス侯爵家のご令嬢。今年の最高位聖女は、貴女様ですわ。ここまでの聖力を持つ方は珍しいのですよ」
聞こえてきた声は、リーリアの傍らに立っていた大聖女の物。リーリアを褒めたたえる言葉はしかし、キースリールが予想していた物ではなくて。違和感を覚えて、リーリアの顔を見つめていた目を、彼女の手元に移す。
く、と目を瞠った。
……どういうことだ?
リーリアの手元に置かれた杯には、並々と水が湧き出ていたけれど。
それだけ、だった。
……私は以前、この場にはいなかった。だから、聖力調査でどういうことが起きたのか、詳しいことは分からない。だが、彼女は『奇跡』と呼ばれるはずだったんだ。杯を満たす程度の聖力を持つ聖女ならば、今までに何度も現れたことがあるのだから。
奇跡と呼ばれるほどの、圧倒的な光景がそこに広がるはずだったのだ。だというのに、今キースリールの目の前に広がる景色は、奇跡と言うには程遠くて。
当然、誰も口にはしなかった。彼女を、リーリアを、自分の婚約者にという言葉は。
……どういう、ことだ……。
目の前で、式典は何事もなく終わりを迎えた。大聖女の締めの言葉を受け、立ち上がる父と母の後を、同じように立ち上がり、呆然としたまま二人の後を追った。
「聞きましたか? 殿下。昨日、ツォルン公爵様がアイル嬢を、屋敷に呼び寄せたそうですよ」
牛の月の六日目。聖力調査式典から数えて、五日目の朝。執務室で書類に目を通していたキースリールは、傍らに立っていたリアグランの言葉に驚き、そちらに顔を向ける。亜麻色のさらさらした短い髪と、青い目を持つ、キースリールと同い年の十九歳である彼は、「皆噂していますよ」と、少し面白そうな表情でこちらを見ていた。
「ツォルン公爵様が人間の女性を屋敷に呼び寄せるのは、三十年ぶりだとか。……その三十年前の女性と言うのが、私の叔母であり、王弟妃であるニルヴィナ叔母様なのが複雑ですが……」
僅かに頬を引きつらせながら言うリアグランの気持ちが分からないでもなく、キースリールは「ああ、まあ、な」と曖昧に返事をした。
「まあ、叔母様のことは置いておくとして。ツォルン公爵様が聖力の強い聖女を屋敷に呼び寄せたということは、おそらくアイル嬢を『花嫁』にと思っていらっしゃるのでしょう。アイル嬢は今年の最高位聖女ですし、魔公の花嫁としての条件は満たしておられる。近々、揃って挨拶に来られるかもしれませんね」
「もちろん、国王陛下に、ですが」と、リアグランは少しつまらなそうに言っていて。そんな彼の言葉に、そんなことがあるはずがないと心の中で反論しながら、「そうかもしれないな」と、キースリールは思ってもいない言葉を紡いだ。
……アイル嬢……、リーリア様が魔公の花嫁になど、なるはずがない。彼女は第一王子の、私の婚約者になるのだから。
しかし現時点では、その可能性は五分五分だろうとも思う。彼女の生家、カイネス侯爵家の権力の強さを良く思わない者が多すぎる上に、カイネス侯爵が娘を次期王妃とすることを望んでいないのだから。
奇跡の聖女と呼ばれるほどの聖力を持っていたからこそ、彼女はキースリールの婚約者となった。それは、揺らぎようのない結論である。では、その奇跡と呼ばれるほどの聖力を、彼女が有していなかったら。
自分自身のこととはいえ、一国の未来を左右する問題である。今はまだ、キースリールが余計な口出しをするわけにはいかなかった。
聖力調査式典で、彼女が杯に触れた際の様子は、少しおかしかったように思う。何より、あれほどまで急に杯に水が満ちるはずがない。……もしかしたら意識的に、途中で止めたのか?
何のために。そう思うけれど、彼女の心中を測ることが出来るはずもなく、キースリールはリアグランに促されながら、再び書類に目を通す作業に戻った。
「殿下! やはり噂は本当だったようです! 先ほどツォルン公爵様から登城の申し入れの手紙が届いたとか。三日後にアイル嬢を連れて国王陛下に挨拶に来られるとか。……殿下? 聞いてます?」
その日の夕刻、息抜きに紅茶を口にしていたキースリールは、リアグランがはしゃぎ気味に伝えて来た話に、目を瞠っていた。有り得ないと思っていたことが、起きたから。
リーリア様が、公爵の……、クラキオ様の花嫁に……?
あくまでも形だけのそれだとしても、まずいと思った。魔公の花嫁として、五年もの間共に過ごすというのならば、尚更。なぜなら、彼らは。
「……リアグラン。二人が挨拶に城を訪れた際は、私も共に話を聞くと父上に伝えてくれ」
何が嬉しいのか、年甲斐もなく浮かれているリアグランに静かにそう告げて、キースリールは紅茶のカップをソーサの上に置くと、ぎゅっとその手の平を握りしめた。
誰にも、渡さないと決めたのだ。今度こそは。
この手で、彼女を護るのだと。
先月が五週だったのを忘れており、先週は間に合いませんでした……。
そして今日もぎりぎりアウトでした……。
王子様がちょっとアレな人になってしまったかもしれないすまない。
あと、来週も無理だろうと思いますが、頑張ってはみるはい。
無理だったらすみません。