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15.俺は、誤解していたのかもしれない。

 差し出された、目の前の聖女が聖力と呼ぶ液体を、手袋を取り去った両手の平で受け止める。それと同時に、なるほどと思った。己の手の平の上に零れてきたそれが、まるで空気中に溶けだすように形を歪ませ始めたから。


 ……あまり強すぎる力で抑えてもいけないようだ。押し潰してしまわない程度に……。


 思いながら、クラキオは自らの手の平に魔力を流す。ひんやりとしたそれが胸の中心に収まった魔核から滲み出て、体内を通り、手の平へと抜けていく。霧散しようとしていた聖力を覆うように意識すれば、聖力は先ほど、リーリアの手の中にあった時のようにその動きを止めた。ほっと、息を吐く。どうやら上手くいったらしい。


 ……と、気を逸らしてはいけないようだ。


 安心して視線をリーリアの方へと向けようとした拍子に、ふるりと手元の聖力が揺れたのを感じて慌てて気を引き締める。確かにこれは、案外と難しい作業だった。

 魔力で聖力を押さえつけるなど、思いつきで口にした割には上手くいったが、元々魔物というのは繊細な作業が苦手な生き物である。まるで液体のような聖力を潰さずに、それでいて逃げ出さない程度の、細かな魔力の制御など、不得手も良いところなのだ。


「リーリア、出来たよ。これで良いかい?」


 魔力の存在を意識したまま、リーリアの方へと視線だけを上向けて声をかける。と、普段、淑女然としてその表情を表に見せないリーリアが、初めて素直に驚いたような顔をした。曖昧な色の光を宿すばかりだった彼女の緑色の目が、大きく見開かれている。

 不思議に思って「どうかした?」と問いかければ、彼女は小さく「あ」と声を零した。取り繕うように視線を彷徨わせ、「大したことではないですわ」と呟く。


「ツォ……、クラキオ様がわたくしの名前を呼んでくださったのが、新鮮だっただけですから……」


 はにかむように、彼女はそう言って笑う。美しい容貌を彩る、そんな年相応のあどけない表情もまた、先程の驚きの表情と同じく、初めて見る彼女の姿だった。

 思わずまじまじと見ていたら、リーリアはぱちりと瞬きをし、不思議そうな表情で「クラキオ様?」と問いかけて来た。慌てて、その顔に笑み浮かべる。「君たち人間からすると、そうかもしれないね」と、いつも通りの調子で続けた。


「俺たち魔物には、本来名前しかないから。名前を呼ぶ方が、違和感がないんだ。俺は父が魔公でこの国と契約していたから、生まれた時から『ツォルン』の名を持っていたけれど、周りの魔物たちは皆名前だけだったからね。俺自身、人間の前に出ない限りは『ツォルン』と呼ばれることはないよ」


 「だから名前の方が呼びやすい」と、クラキオがそう説明すれば、リーリアは納得した様子で「そうなのですね」と言って頷いていた。


「それより、続きをしようか? さっきから、聖力を押し潰してしまいそうで怖くてね」


「そうでしたわね。少しお待ちください」


 はっとしたように言うと、リーリアは聖石の山から適当に一つを手に取り、先ほどと同じように両手にそれを持って、目を閉じる。静かに祈りを捧げるその姿は、音に聞こえた彼女の美しさと相俟って、一種の宗教画のようにさえ見えた。

 ゆっくりと目を開け、開いた手の平の中には、クラキオの手にあるものと同じ、透明な聖力の塊。こちらに顔を向けたリーリアが、「クラキオ様」と呼びかけてきた。


「そちらの聖力を、わたくしの手の中へ。どうなるか分かりませんので、ゆっくりお願いしますわ」


 真剣な表情で言われ、クラキオもまた静かに頷く。リーリアの手の平の上に自らの両手を動かし、水を零すように手を傾けた。意識して魔力で聖力の霧散を抑えつつ、その雫がリーリアの手の平にある聖力の中に溶け込むのをじっと見守る。ぽつりと、クラキオの手の中にあった聖力が、リーリアの手の平へと零れた、その瞬間だった。


「……っ!」


「うわっ」


 ぶわっ、と唐突に起こった突風にクラキオは思わず目を眇めた。二つの聖力が触れあった瞬間、青白く発光し、急な風を引き起こしたのである。

 風は一気に吹き上がったかと思うと、すぐにその勢いを弱め、何事もなかったかのように静まり返ったけれど。覗き込んだリーリアの手元には、何も残ってはいなかった。

 ふぅ、と小さく息を吐くのが聞こえてクラキオは視線を上げる。リーリアは、やはり、と言うように表情を暗くしていた。


「こうして聖力その物の状態で混ぜ合わせてもダメなのね……。やっぱり、無理なのかしら」


 溜息交じりの声音はしょんぼりと落ち込んでいて。しかしクラキオは、リーリアのようには思わなかった。もう一度、先ほどリーリアが言っていたことについて考える。聖石を加工する方法、二つを同時に加工する方法、二つを合わせる方法。その中でもクラキオが気になっていたのは、聖石を加工するというその初歩的な作業の一部だった。


「ねえ、リーリア。聞いても良いかい?」


 肩を落とすリーリアに、クラキオはそう問い掛ける。リーリアはいつもの張り付けたような笑みを暗い色に染めながら、「何でしょう?」と応えた。


「君はさっき、聖石が大きい時は削って霧散させるって言っていたけれど、それは何故? 俺たち魔物からすると、とてももったいないことをしていると思うんだけど。余剰分の聖力を、君自身に取り込んだりは出来ないの?」


 至極当然ともいえる問い掛けに、リーリアはそれは出来ないのだと答えた。彼女の持つ聖力が、他の聖女の聖力を拒絶しているようだと。なるほどと、それに頷きながら思う。

 どうやら、自分の考えはそれほど間違ってはいないらしい。


「リーリア。君は無理かもしれないと言っていたけれど、俺は出来ると思うよ。聖石を、一つに溶け合わせることが」


「……え?」


 にっこりと微笑んで言えば、リーリアは不思議そうな表情をその綺麗な顔に浮かべる。彼女のそんな素の表情を見ることが少し楽しくて、思わずふふ、と笑っていた。


「まず一つ目に、君はさっき、聖石が小さい時は自分の聖力を付加させているって言っていたよね? 君の言う、溶け合わせるという状態ではないけれど、君の聖力を付加させることが出来るということは、二つ分の聖力を持つ聖石を作ることは出来るということじゃないかな」


 一つの聖石に、もう一つ分の聖石が持つ聖力を付加させれば良いのだから。リーリアははっとしたように目を瞠り、「確かに、そうですわ……」と感心したように呟いていた。


「そして、もう一つ。君の言葉を聞いていて思ったのだけど、聖力というのは元々、他の聖女の持つ聖力を受け付けない性質なんじゃないかな。聖石の甘さは一つ一つ違うって、赤の魔核を持つ魔物に聞いたことがある。それぞれの聖女に性格があるように、聖力にも個性があるのかもしれない。だからこそ、他の聖女の聖石に、表面的に付加させることは出来ても、完全に溶け合わせることは不可能なのかもしれないね」


 だが、それはあくまでも他の聖女の聖石の場合である。

 ではもし、それが同じ聖女の聖石であったならば。

 そこまで言えば、リーリアはまたはっとしたように目を開き、こちらを見た。「クラキオ様の仰る通りですわ……!」と、先程までの暗い表情はどこへやら、嬉しそうにその涼やかな緑色の目を輝かせながら。


「わたくしの聖石に宿った聖力でしたら、わたくしの中にまた戻すことが出来ますもの! わたくしの聖石同士ならば、もしかしたら……!」


 言いながら、リーリアは淑女らしからぬ俊敏さで立ち上がり、その場を後にしようとして。「お嬢様」という、静かな声にその動きを止めた。


「公爵様とのお話し中、お声かけして大変申し訳ございません。発言してもよろしいでしょうか?」


 リーリアの背後に控えていた彼女の侍女は、深々と礼をした後、リーリアにそう声をかけた。リーリアはちらりとこちらを見遣る。発言の許可を求めているのだろう。クラキオが頷けば、リーリアは「ナール、良いわよ」と、穏やかな声音で告げた。

 ナールと呼ばれたリーリアの侍女は、リーリアの言葉に、「あちらをご覧ください」と言ってある方向をその手で指し示す。

 つられたように、示された方へと視線を向ければ、そこにあったのは備え付けの置時計。「まあ」と、リーリアが驚いたように小さく声を上げた。


「もうこんな時間だったのね。わたくしったら、気付かなかったわ……。ありがとう、ナール」


「いえ、既定の時間にお伝え出来ず、申し訳ありません」


 再度深々と頭を下げるナールに、リーリアは苦笑を混ぜながら、「貴女のせいではないわ」と声をかけていた。

 一体どうしたのだろうと、一人状況を把握できないクラキオはそんな二人の間で視線を彷徨わせる。リーリアは先ほどまでのはつらつとした表情をいつも通りの笑みに隠し、こちらを向き直った。「申し訳ありません、クラキオ様」と、今度は彼女がクラキオに頭を下げた。


「休憩時間が終わりましたので、わたくしはそろそろ仕事に戻らせて頂きますわ。クラキオ様はいかがされますか?」


 ことりと首を傾げて彼女は問いかけてくる。金色の長い髪がさらりと揺れた。

 一方、あまりに急な申し出に驚き、クラキオはぱちりと瞬きをした。ついで、「やってみないの?」と反対に問いかける。先ほどまでの彼女を見ていれば、誰もがそう思うはずだ。すぐにでも実験の続きを行おうとしていたのに、急に仕事に戻ると言い始めたのだから。

 そんな疑問が顔に浮かんでいたのだろうか、リーリアは少し困ったように笑って、「もちろん、今すぐにでもやってみたいと思いますわ」と、口を開いた。


「ですが、実験はわたくしがやってみたくてやっているだけのこと。いわば休憩中のお遊びです。わたくしはあくまで、『魔公の花嫁』という役職を頂いて、この場で過ごさせて頂いていますから。その『花嫁』に与えられた、たった一つの仕事ですもの。きちんとこなさないわけには参りませんわ」


 「優先順位を間違えてはいけませんもの」と言って、彼女はふわりと品良く笑った。社交界にデビューしたばかりの十六歳という年齢でありながら、『ダズィル王国の金の薔薇』と呼ばれるに相応しい、鮮やかな笑み。

 どうやら自分は、少しこの少女を誤解していたかもしれないと、ふと思う。この少女を、あくまでも貴族の令嬢としてしか見ていなかったけれど。


 聖石の可能性を見出したことと言い、仕事に対する向きあい方と言い、甘やかされて育ってきた今までの『花嫁』とは話が違うようだ。


 さすがは、カイネス侯爵家の令嬢と言うべきか。そう感心しながら、くすりとクラキオは笑みを浮かべた。

 やはり自分は、良い拾いものをしたらしい。


「君がそう言うならば、俺も仕事に戻るよ。桁違いに強いとはいえ、聖力は失われていく物だから。無理はせずに、ちゃんと休んで」


 そう告げれば、リーリアはまた先ほどと同じ柔らかい笑みを浮かべて「お気遣い頂きありがとうございます」と頷いていて。知らず目元を和ませて、クラキオは彼女の頭をぽすりと撫でると、踵を返した。

 挨拶や拒絶のためではなく、自らの意志で女性に触れたのは随分と久しぶりかもしれないと、そんなことを思った。

今日はちゃんと木曜日に更新できました!

何と言うか、恋愛小説を書いているはずなのに、段々とこう横道に逸れて行くんだが。

君たちはそれで良いのかねって思いながら書いてます。

次回も再来週の木曜日を目指して頑張りたい! な!

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