不機嫌な妹は婚約者に逢いに行く
その日、ライナは不機嫌だった。
時刻は朝、ガタゴトと揺れる馬車に揺られ、眉間に皺を刻み込んだまま窓から外を睨みつけている。
必死に話しかけたりお菓子などで機嫌を直そうと四苦八苦していた両親だが、ライナは全てを無視して口を噤んでいた。それでも彼女の眩しいばかりの美しさに陰りが見えないのは流石ではあったが。
普段親に反抗することなどないライナが、ここまで不機嫌なのには理由がある。
それは、昨日の夕飯のとき。
ライナはその日も兄のインガルが食事している風景を見つめては元気に鼻血を出していた。その後インガルが部屋に戻るまで部屋で休み、沸き立つ興奮をなんとか収め、インガルが部屋に戻った後席について冷めたスープに口をつけていたときに、既に食べ終わっていた両親が現れて話を始めたのだ。
「ライナ、明日謁見に行くぞ」
「・・・えっけん?」
こてり、と首を傾げる仕草は、彼女が熱を上げている兄にも負けない可愛らしさである。言葉の意味は知っているがいまいち理解出来ていない彼女に、母親が言葉を重ねた。
「ライナ、そろそろ婚約者に会いに行かなければならないでしょ?」
こんやくしゃ、という言葉を聞いて、ああ、と納得した彼女は面倒そうにため息をつく。
そもそもの発端、インガルがテンペスト家に来る原因となったのが、ライナの婚約であった。
この王国は王家と貴族共々ほとんどが世襲制であり、テンペスト家も例に漏れず家督は基本嫡男が継ぐ。テンペスト家は一人娘であり、本来はライナの夫となる人物がテンペスト家の領主として立つ予定であった。家の力がものを言うこの国では、公爵家以上の貴族などほとんどいないので、たとえどの貴族と結婚したとしても、順当に行けば家の力で婿養子をもらえるはずだったのだ。
それが狂ったのは、公爵家以上の存在から婚約の話があったから。
まさに、王家である。
王家には二人の王子がおり、第二王子がライナよりひとつ上の11歳。第二王子といっても、第一王子は妾腹で病弱でもあるため、王位継承権は一番となっている。
もちろん第一王子を王位継承者としようとするドロドログチャグチャな継承権争いがあり、テンペスト家との繋がりを持たせることで第一王位継承者としての地位を確立させようとする大人の黒い部分が存分に含まれているのだが、ライナはそこまで興味もなかったので二つ返事だった。
母親の「お姫様になってみる?」に対して「勝手にすれば?」と。
両親としては、そう簡単に未来を決めるのもどうかと悩みはしたのだが、この子の様子を見ると将来ちゃんとお婿さんを連れてくるのか心配だし、この子の可愛さに引き寄せられた小虫のような婿を迎えるくらいだったら、いっそここで婚約してしまうのもありかもしれない。王家との婚姻は貴族の権力争いにおいてとてつもない力を発揮するため、並の貴族にとってはこの上ない果報だったが、すでに並の貴族では無いので割とどうでもいい。娘が嫌がるなら何かと理由をつけて断ろう、くらいの気持ちだった。
そうして結ばれた王子との婚約によってライナは将来王妃様となってしまうので、後継が必要となる。
そのときに連れてきたのがインガルだ。
彼は元々捨て子で教会の孤児院育ちであったが、その常任離れした可愛さにとある貴族に貰われ、さらにその可愛さに目をつけた貴族に攫われ、さらに悪い貴族に攫われた上とんでもないトラウマを植え付けられそうになったときにテンペスト家現公爵、今の父親に見つけられて助けられた。
当時6歳、大きな大人にビクビクと震える姿は小動物のようであったが、実際40代デブの脂ギッシュなやんごとなきおじ様に軟禁され、発見が数日遅れればきっと語るもおぞましい目にあっていただろうから、その反応も納得である。
若干人間不信になりかけていたインガルを、怖くないよー食べたりしないよー、となんとか宥めて本邸から少し離れた別邸で、優しい年配の侍女さんと優しい年配の従者に世話をさせながら12歳まで育てていた。それは別に後継としてではなく、それなりに恩義を感じてくれているため、いつか娘の従者か騎士にでもしようと考えてのことだったが、想定外の娘の婚約に後継を探す際丁度いいやと連れてきたのだ。
拾った時点では公爵の従者の養子となっていたのだが、親戚筋から誰かを連れてくるのも面倒だし、インガルはビクビクと震える小動物のような愛らしさの割に聡明で武道や剣などの才もあった。
養子にはぴったりだな、といって妻と娘に紹介したのがあの運命の出会いとなったのだ。
「まだ一度も殿下には会っていないだろう。そろそろ陛下にもご挨拶に行かなければな」
「・・・分かりました」
あからさまに面倒だという雰囲気を醸す娘に苦笑しつつ、今のうちにと娘が食事している姿を眺めつつ明日の予定を話す。
「王城までは少し時間がかかるから、明日は朝早くから準備になるな。ドレスはもう準備してあるから、部屋に戻ったら一度確認しなさい」
「今回は特に素敵なのよ。ライナも気に入るといいわね」
ふふふ、と笑顔を深める母親を見ながら、ライナは無言で食事を進める。ライナ自身そこまで服装などに興味関心がないため、反応はゼロだ。
大体、素敵な服というものはお兄様のような、天使に着てもらうのが一番いい。お兄様は男の子だけど、あの美しさだからドレスだろうがなんだろうが似合うに違いない、むしろ布切れ一枚でもお兄様が纏えば最高級の衣服となるだろう。あれ、やはりお兄様が纏えばなんでも最高級になるのだから素敵な服は最早不要なのか・・・?
などと、あらぬ方向へ思考が飛んでいく娘をよそに、両親は話を進めていた。
「王城で謁見したあとは、久々に三人で王都を回ろうか」
「あら、いいですわね。最近はあなたも仕事ばかりだったから、いい気分転換になるでしょうし」
楽しそうに計画を練っている両親の言葉にひっかかりを覚え、ふと両親をみやる。
・・・さんにん?
「・・・三人?」
「ええ、お父様も今回の謁見のために時間を取ってくださったし、久々にお父様とお母様とライナの三人で――」
「お兄様は?」
訝しげに両親を見るライナ。そんなライナに首を傾げつつ母親は言った。
「インガルは今回は一緒には行かないわよ」
「な、なんで?」
「インガルは家に来る前に長子として我が家に入ったことを共に報告したからな。陛下に謁見した時の震え具合は可哀想なくらいだったが」
「ようやく我が家に慣れてくれたことだし、無理やり連れていくのも酷だものね」
人間不信になりかけていたこともあり、なかなかすぐには心を開けないインガルも数日過ごすことでようやくテンペスト家に慣れてきていた。
なれない王都に連れていくよりは、家族が出かけていようと慣れている家にいる方が楽であろうし、先程の夕食の席でも本人がそれを希望していた。ライナはそのとき鼻血を出して部屋で安静にしているよう休ませられたので丁度聞いていなかったのだが。
むしろその判断は当然のことだと思っていた両親だったが、娘のまさかの反応に目を見開く。
「ら、ライナ?」
天使が如き娘は、目を見開き唇をわなわなさせながらとんでもなく禍々しいオーラを振り向いていた。怒りとも絶望ともとれるその表情の真意を探る以前に、あまりにも恐ろしい雰囲気に両親は圧倒される。普段無表情であるがゆえに尚更怖い。
「ねえお父様」
「ど、どうしたんだライナ」
正直娘の剣幕に恐怖を感じていた父親だが、家長として、そして父親としての威厳を保つためにもここでビビっている様子を見せるわけにはいかない。
なんとか上っ面だけ取り繕いつつ、娘に返事をしてうまく落ち着かせる方法を考えていた。
「・・・私、耐えられないわ」
「は?」
突然の告白に間抜けな声が漏れる。しかし、ライナは周りの様子などどうでもいいのか、さらに禍々しいオーラを周囲に拡散しつつ本音を叫んだ。
「お兄様のお姿を数日間見られないなんて!私耐えられない!!!」
普段は王都と領地にある本邸は往復3、4日はかかる行程。しかし、謁見の時間を考慮した無駄のない時間配分と道の混み具合や諸々を考慮した行路を試行錯誤しつつ、2日で領地の本邸へ帰る方法を導き出し実行したこの事件は、のちに鬼姫の行進と呼ばれたのだった。