第5話 始まりと出会い(5)
恐慌の熱が急速に冷めていく頭脳で、ボクは淡々と機械のプログラムのように、この状況からの脱出を模索し始めていた。
花野を引きずるツタはこの場にいる全員の力を合わせても、どうにか対処できるものには思えない。かといって、あのウツボカズラの化け物を倒すというのも困難を極めるだろう。ここまで考えが及んで、ボクの脳裏にある一案がかすめる。
花野を見捨て、後ろの二人を頼りに逃げる。
これは、『仕方のない犠牲』だ。
正直な所、この案を責める者はそう多くないだろう。だが、ボクは微かに恐怖を覚えた。目の前の化け物に対してではない。冷徹にこの一案を考え出し、冷静に受け止めている自分が、ボクの中に存在していることに対してだ。
躊躇いを覚える自分と、冷徹に逃走を進言するもう一人の自分。
両方のボクがせめぎ合い、その葛藤がボクの思考を混乱に陥れる。
「伏せろ!」
レンと呼ばれた弓使いの少年がそう叫んだ直後、咄嗟に伏せたボクの頭上を、一本の矢が鋭く風を切って、化け物の胴体に突き刺さった。矢じりが刺さった所から、赤みがかった粉のようなものが飛び散った。
最初は飛び出た血かと思ったが、それにしてはどうも化け物の様子がおかしい。痛がっているというより、まるで赤みがかった粉のようなものを、必死に体から払おうとしているかのようだった。
「逃げるぞ!」
化け物の異変に目を奪われていたボクは、後ろから襟首を掴まれて倒れそうになったが、そのお陰で、花野が触手の拘束を解かれ、逃げだそうとしているのに気が付いた。
今なら躊躇いが足を止めることもない。ボクは花野の手を引っ張り、その場を急いで走り去った。
あれからどのくらい走っただろうか。少なくとも、実際に走った時間は数分程度だろうし、距離もそれ相応の長さに過ぎないのだろう。
だが、この森で目覚めてからというもの一般常識からかけ離れた出来事に立て続けに遭っているからか、まるで数年間もの間、森の中を彷徨っているかのような錯覚さえ覚え始めていた。
年季の入った吊り橋を渡り、やや開けた場所まで来た。
「ここまで逃げたら、もう大丈夫よ」
と、ローブの少女が肩で息をしながらそう言って、ようやく全員が立ち止まった。一番体力のありそうなレンも、汗の滲んだ肌を手で拭っていた。
花野にいたっては地面に突っ伏して嘔吐した。無理もない話だった。あれだけのことがあった後に、慣れない土地を移動すれば、体調に良いはずがない。
そして、ここでボクは自分の体にある異変が起きているのに気が付いた。他の三人と同じ距離を走っているのにも関わらず、疲労感を殆ど感じていなかった。
「流石ね。曲がりなりにも召還されただけはあるわ」
息が整った様子のローブの少女は、ボクを見ながら、落ち着いた口調で淡々とそう口にすると、一瞬だけレンと目を合わせ、憂鬱そうに表情を暗くした。
「私の名前はローザ。どれだけの付き合いになるか分からないけれど、よろしくね」
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