3.アステル・アレンドュシーは乙女ゲームが大好きな転生者である
アステル・アレンドュシーは転生者である。
この世界が、前世で一番最初にプレイして乙女ゲームにハマるきっかけとなったゲームだと気付いたのは、学園の入学式の日だった。当時の生徒会長であるクラークの従兄弟の挨拶を聞いた時にふと思い出した。え?まさかどうして私が・・・?と事実は小説よりも奇なりなんてことわざがあることは知っているが、まさか本当に自分の身に降りかかるなんて微塵も思っていない。しかも悪役令嬢なんて面倒な立ち位置のキャラに生まれ変わってるなんて。どうせならモブになって物語がどう動くのか傍観したかった。というか、何かしらの衝撃があるものだと思ってたけど案外あっさり思い出せたし受け入れられた。
思い出せる限りのストーリーを整理したところで、アステルとしてどう行動するのかは決断するのは早かった。
現状は特別大きな行動は何もしない。強いて言うなら、クラークと距離を置こう。前世は思い出しているけど勿論アステルとしての記憶だってあり、婚約者に決まってからは少しずつながらも心惹かれていたことは事実なのだから。今ならまだ歯止めが利くし、覚悟も出来る。恋は盲目にならないように冷静な判断だって出来る。
それに一番最初にプレイした乙女ゲームということで思い出深く、どうせなら物語通りに進んでほしい。今生のヒロインが誰を選ぶのか知らないがクラークを選ぶというのなら応援する。
けど、悪役としての活躍は期待しないでほしい。私にだって前世で辿り着けなかった”結婚”という目標があるのだから。貴族令嬢としていくら高い地位にいたとしても、学園で糾弾されるような汚点が付いてしまえばまともな結婚は難しい。ゲームではあるけれどこれは現実なのだから。そう、だからもし断罪されるようなことがあれば無実の証拠は完璧に集めておかなければならない。それに謂れのない罪でその後の長い人生がどんなものか決まるのでそこだけは譲れない。
乙女ゲームでは当たり前のようにヒロイン視点から始まり、母親の葬式をした後に伯爵当主がヒロインに話しかける。当初は疑ってはいたものの、当主が父親の形見と同じペンダントを持っていたことで信じ、伯爵家の養女となることに決める。学園に編入するまでの貴族令嬢としての教育、ここで同じ伯爵家の再従兄弟とは先に出会い、ここでは好感度を上げる選択肢ではなくてこの世界観に関する説明を聞くことができる。2周目以降はここまでのシーンはスキップすることができる。そして、学園に編入する日から本編が始まる。
この時、ヒロインは15歳、アステルは17歳。
17歳までのアステルたちの描写がなかったので、クラークルートでの『婚約者と良い関係を築けていれば良かったのだけどね』との一言であまり良い関係ではないと決めつけていたけれどそうではない。だが事実でもある。特別悪くもなければ良くもない。政略的な婚約者としてはまあまあ良い方で、普通の婚約者としては互いの歩み寄りが足りなかったと言えるだろう。
そこらが描かれていないのは、やはりあのゲームの主人公はヒロインであり、ヒロインが恋をして幸せになるためのゲームだったので仕方ないだろう。乙女ゲームに多少のご都合主義が働いていることは暗黙の了解、と個人的には思っている。
クラークからもただの婚約者としか見られていないようなので、こちらから少し距離を置いても気付かないだろうと思って入学した時から余計な接触は控えている。パーティーでは必ず2回は踊るものの、その間にアステルを想っているなどの言葉はないし、休日にデートに誘われたこともない。
何故2回なのかという疑問はあるが、これくらいのパフォーマンスは必要という考えなのだろう。
学園に入ってから年上と同い年の攻略対象たちを確認し、16歳になって年下の攻略対象とヒロインの再従兄弟は確認した。さすがというかなんというか、かっこいいのだ。ただこの一言に尽きる。
17歳になり、そろそろヒロインが編入してくるという時になってふと考える。転生者の小説ではヒロインも転生者で悪役令嬢を貶めるという話もあったことを。
思い出深いゲームの世界でヒロインが悪者になるなんてことはあってほしくはないが、そう考えるとアステルはいいとしても他の婚約者たちは罠に嵌められる可能性がある。自分だけがこの先の展開の可能性を知っているけれど教えるのは難しい。それとなく注意はしておきたいけれど、全ての令嬢と仲が良いわけではないので一部になってしまう。
どうしようと考えたところで、ヒロインがどんな出方をしてくるのか、それを見極めてから決めよう。本当に虐めを行う令嬢だって少なからずいるはずで、だからこそ陥れられるという結末があるのだから。
この時に最初に思い浮かんだ令嬢が、同じ王妃教育を受けたエリカ・ヒエマリス侯爵令嬢である。同い年で、アステルと同じ公爵家のセシルと婚約した令嬢。このセシルは攻略対象であり、ルートに入った際の悪役令嬢はエリカになる。
『ええ、大切な婚約者が他の令嬢を気にしているのですもの。嫉妬くらいいたしますわ。身の程を弁えてもらおうという言動に何かご意見でも?』
と、断罪のシーンで優雅に微笑みながら、何かご意見でも?というセリフで急に低く冷たい声になった婚約者だ。急激な温度の差に驚いてそのシーンを凝視してしまったのでよく覚えている。エリカはちゃんとセシルを好きだったんだな、とこの時は思っていた。
学園に入って久しぶりに会ったエリカは、数年前までと変わらず穏やかな笑みを浮かべながら基本的にはみんなの聞き役に徹しており、時折的確な意見を述べる冷静沈着な令嬢である。
パーティーでは、セシルとはファーストダンスを踊るだけなのでもしや婚約者との関係は上手くいってないのでは、とセシルの設定を思い出してエリカも苦労してるんだなあと納得した。セシルとの仲を聞いても『セシル様には本当に優しくしていただいております』とその笑みは変わらない。幾度かその場面を見ていて、なんか見たことあるなーと気付いたら王妃教育でエリカが浮かべていた笑みだったのでこの子も読めないなと思ったのだ。
そう、アステルは決めつけていた。
エリカはセシルを恋愛感情として好きなのだと。
根は悪くない子なのだ。もし嫌がらせや虐めをするようであれば、きちんと諫めなければならない。話せばきっと理解してくれる。最も、アステルから見たエリカは安易にそんなことをする人間には見えなかったが。恋は病、恋は盲目なのだと誰かが言っていた。
ヒロインが編入すると同時に従者として子爵家の次男も編入してきた。二人で事務室に行って、次は職員室に挨拶するという所で選択肢が出る。
中庭を通るか食堂の前を通るか、そこでまず最初のルート選択だ。
授業があったので侍女に確認させた所、二人は中庭を選んだらしい。
あ、やばい。と思ったのは言うまでもない。
次は全ルート共通シーンで、生徒会副会長であるセシルが2人に学園を案内する。数ヵ月貴族としての教育を受けてはいるがまだまだ庶民の感覚が抜けきれないヒロインは、優しく説明してくれるセシルにちょっとした憧れを抱き、色んな質問をしてわかりやすく表情を変えてしまう。
勿論その時はセシルは外用の態度だから優しくて当たり前なのだが、その場面を見ている生粋の令嬢たちはただでさえ元平民という立場なのにセシルの優しさにつけあがってと悪意を向ける。
セシルが二人を案内する所は実際に見てはいないが、次の日から所々でヒロインに対する悪意ある噂を耳にするため虐めはやはりあるらしい。
様々な悪意が広がってこの前聞いた噂が、『エインズワース公爵家のセシル・エインズワースはアーネット伯爵の養女エイミーとただらなぬ仲である』である。
うわあ・・・ここまでゲームに忠実なのかと恐ろしく感じたが、それとなくイベントのある時間を見計らって隠れていると共通ルートでのイベントは起こり、やはりかっこいい貴公子が取り繕っているとわかっていても貴公子の態度を取っているのだからキュンキュンしてしまう。
やっぱり乙女ゲームってすごい!
と感動していたところで、生徒会室でクラークと二人きりで仕事をしていた時に聞いた言葉で肝を冷やした。
『そう言えば、この前編入してきた伯爵令嬢と会ったよ。少し話す機会があったんだけど、やっぱり色んな立場の人間の話を聞くのは面白いね。とても勉強になったよ』
その時を思い出したのか楽しそうに笑ったクラークを見て、急速にアステルの心冷えていった。良かったですね、と返した言葉と共に似合った笑みが返せていたのかは覚えていない。
その時に実感した。
クラークが自分の前から消えるかもしれないということを。
覚悟は出来ていると思っていても、この数年間はずっと目の前にいて好意を寄せていた相手にエスコートをしてもらってダンスも踊ってもらって時折プレゼントも贈ってもらって。
いつの間にかクラークと結婚するのだと驕っていたのかもしれない。
もう一度、整理しておかないと。
授業が終わった後に令嬢の誘いを断って他の生徒がいなくなるのを待っていた。侍女が迎えに来たが用事があるからとまた後で迎えに来るようにさせてこれからのことについて考えていて。
「まさかエリカ様もだったなんて」
すでにパーティーが始まり、王太子とその婚約者のダンスを皮切りにパートナーたちは踊り始めた。今回もクラークとは2回踊っただけで、彼は他の令嬢の手を取った。しばらく他の令息と踊ったアステルは疲れたからと言って早めに壁際に移動した。
アステルはクラークから贈られた金色のドレスに身を包み、いつの間にか隣にいたクラークと並んで全生徒が見渡せる位置に立っている。まだ全員集まりきっていないので生徒はそれぞれ話に花を咲かせているので壇上にはあまり注目もなく、クラークも友人たちと話している。
少し距離を置いて会場を見渡す。
エリカを探すと、壁際で婚約者のセシルと珍しく話していた。その様子をアステルはさりげなく観察する。
身近に、しかも違うルートでの悪役令嬢のエリカが転生者だったと知った時は驚きもしたけれど同時に安堵した。思い出した記憶に差異はあるが、同じような存在が、仲間がいるのだと思うとうれしくて焦っていた気持ちを落ち着かせることが出来た。その日はもう帰らなければいけなかった為に翌日にエリカと話すことができ、自分のするべきことを再確認することが出来た。ルートのことも何も隠さずにエリカに話せて情報収集も手伝ってくれることになり、今のところは順調だ。
ヒロインにも特に怪しい動きはなく、セシルが補佐として時々話をしているけれどそれは2人に対してであり、油断出来ない噂があるものの攻略対象に過剰に接触もしていない。
このパーティーでは選択肢がある。
ヒロインは再従兄弟にエスコートされて会場に着き、ファーストダンスも再従兄弟と踊る。その後は従者と壁際でパーティーの様子を見て、その次の行動を選ぶことができる。従者とダンスをするか、慣れない場に酔って熱を冷ますために一人でテラスに行くか、お腹がすいたと料理を取りに行くという3つの選択肢だ。
今までの様子だと従者と共にいることが多いのでそのルートに入るのかもしれない。ちなみにゲームでは、クラークとセシルの好感度が同じ場合は従者のルートに強制的に入るようになっている。
しかし、このパーティーでの選択肢で共通ルートは終わり、次からは個別ルートに入るのでここでどの選択をするのか気を付けなければいけない。
ヒロインが料理を取りに行く選択をした場合に悪役令嬢としてのアステルが本格的に登場する。料理が置かれている場所に行くと、クラークがいてヒロインは従者と3人で話すことになる。そこにアステルはクラークを呼びに行き、アステルとヒロインが初めて出会い、お互いを認識する。もちろん、アステルは何があってもここを動かないけれど。
「アステル様」
突然かけられた声に、思考の海に沈んでいたアステルは驚きつつも外には出さず、微笑みながら振り返った。
「エリカ様」
「今、驚いてましたね?」
「おほほ、少し考え事を」
心なしか呆れたような顔をしているエリカから視線を反らし、ちらりとヒロインを見る。
その視線の先を追ったエリカは、警戒されてますねと他人事のように呟いた。すぐに目線を元に戻してアステルの隣に立って辺りを見渡す。
この国で上から数える方が早い力を持つ貴族の令嬢が珍しく二人並んだことに気付いた他の令嬢令息たちに緊張の糸が張った。アステル様とエリカ様が2人だけで話している。何を話してるんだ?お二人だけなんて珍しいわ。何かしら?あの事ではなくて?あの事?ほら、編入してきた方のことよ。だって、あの噂があるでしょう?殿下の婚約者はアステル様で、セシル様の婚約者はエリカ様なのよ。
ひそひそと話しているつもりでも聞かせるかのような声量で話している人もいるので、アステルとエリカの二人にも勿論聞こえている。2人は最初の会話だけで後は口も開いていないのだが、どうやら一部の方々には良からぬ会話をしているように聞こえるらしい。幻聴が聞こえるのであれば是非病院に行った方がいいと思うのだが、そんなことは口にしない。
そんな生徒たちが二人に注目すると同時にヒロインにもその視線は向けられていた。あからさまな目は向けてはいないがアステルたちも会場全体を見渡しながら気にしていた。
そして、そんな好意的でない視線を感じ取ったのだろう。同じく壁際で従者と話していたヒロインが手にしていたグラスを飲み干してテーブルに置き、動いた。
「・・・・・・あ」
何処へ足が向けられたのか。
一目瞭然だった。
思わず目を見開いて驚き声が漏れて、それを隠すように慌てて俯く。
深く息を吸い、自分の心を落ち着かせる。
この選択で決定するわけではない。これまでのイベントをクリアして一番好感度が高い攻略対象のルートに進むのだ。しかし共通ルートの最後の選択だからこそ攻略しようとしている対象を選ぶことが多い。元に前世のアステルがそうであり、それまでの選択では好感度が1つ上がるとしたら、この選択では好感度が2つ上がる仕組みになっていた。3人の好感度が平行線を辿っていたら、この選択で個別ルートが決まる。
会場を見渡して目的の人物を探す。何とか止められないか。ヒロインがいる場所へ行くのを阻止すればいい。そうすれば、個別ルートへは━━━。
「エリカ様っ」
テラスへと向かうセシルの姿を見つけ青ざめる。距離が遠いから止められないし、大声を上げるなんてもっての他だ。そんな注目を集めるようなことは更なる憶測を呼ぶようなもので、公爵令嬢で殿下の婚約者としての姿として出来るものではなかった。
だから横にいるエリカを、どうするの!?という意味を込めて振り向いた。
エリカもセシルの姿を捉えていた。
ヒロインと従者がいるテラスへ向かう自分の婚約者の姿を。
そしてやはり、美しく微笑んでいるのだ。
その微笑みを初めて見ただろう令息たちが惚けて見とれている。
「怖いな」
ふと聞こえてきた声に後ろを振り向けば、いつの間にかクラークが立っていた。
エリカの微笑みを見たクラークの表情は頬が軽くひきつっている。