2.クラーク王太子は目標に向かって迷走している
『エインズワース公爵家のセシル・エインズワースはアーネット伯爵家の養女エイミーとただならぬ仲である』
そんな噂が流れ出したのは一体いつだろうか。
二大公爵家の名前を出し、養女であることを強調し、どんな仲なのかは明言していない。
ある生徒に聞けば、『え?副会長として世話係的なことしてるだけですよね?そりゃ、貴族になって間もないから丁寧に教えてるんだなっていうのはわかりますよ。ただならぬと言えば当たってますよね』と言う。
また別の生徒は『エインズワース公爵子息様はお忙しいのです。平民の方が貴族の養女になったのですもの。ご本人も大変でしょうけれどもう少し出方をわきまえた方がよろしいのでは?』という言葉が返ってくるようだ。
勿論、ただならぬ仲という意味は前者の生徒の意味であって後者の生徒が懸念しているような意味ではない。
だがそれを良しとしないのが様々な思惑を持つ貴族である。公爵家や侯爵家と縁続きになりたいかその勢力に属する者、あるいはそれらの家の醜聞を待ち望んでいる者、セシルとエリカの外見に興味のある者、単にゴシップ好きな者。
火のない場所にさえ煙を出そうとする人間は当然のようにクラークの周りにもいる。
「で、実際はどうなんだ?」
「アーネット伯爵令嬢の補佐を頼んだのは殿下でしょう。それに、アーネット伯爵令嬢だけではなく、その従者で生徒でもあるボーナム子爵家の子息にも同時に学園を案内したはずなのですが?」
「そうだったな。一部の人間には、都合良く見えない存在があるらしい」
呆れたようにため息をついたセシルの顔は明らかに迷惑だと物語っていて、学園の生徒会長でこの国の王太子であるクラークは資料を確認しながら珍しく感情を表す様に笑う。
クラークは王と王妃の間に生まれた第一王子であり、幼い頃から勉学において優秀であり、外交にも積極的に関わっているので他国の使節にも好印象を持たれているし、孤児院や街などにも出没して気軽に声をかけてもらえるので自国の国民にも愛されている。
剣の腕については人並みではあるものの、第二王子であるウィリアム王子が騎士団に所属していて将来の騎士団長として注目されており、仲の良い二人であるためいずれは兄弟でこの国を守ってくれるだろうと期待されている。
学園には生徒会が存在しており、学園の規則やイベント、教室の管理などを取り仕切っている。平等とは謳っているもののやはり権力に染まっている学園であり、その生徒会長は代々最高学年で一番権力を持っている者がなっている。
よって、生徒会長はクラークであり、副会長が二大公爵家のエインズワース家の長男であるセシルである。そして、書記はクラークの婚約者で二大公爵家のアレンドュシー家の長女であるアステルだ。重要なポジションである会計は侯爵家の人間だが、一応は平等を謳っているので学年や身分を問わずに風紀や図書などに関しては立候補制で面談を行って決めている。
現在の生徒会は、2週間後に始まる試験の最終日にあるパーティーの予算や飾り付けなどの業者との確認、図書室で生徒から要望のあった本の購入の決定、温室の花の植え替えなどの大小様々な議題に加えて生徒会室の隣にある資料室の膨大な整理整頓に忙しくしていた。
どうやら前の生徒会はだいぶ大雑把な性格の人間が多かったようで、資料があるべき場所になかったり他の所に紛れていたり、そもそもまとめていないので一から確認してまとめ直さないといけないのである。日々の仕事をこなすだけでも時間が過ぎていくというのに、そんな細かくて時間がかかる作業など出来るはずもない。月に一回は1日をそれに費やしてはいるが遅々として進まない。
「あの従兄弟め」
「・・・・・・」
恨みがましく、否、明らかに恨みを含んだ声で呟くクラークを横目にセシルはそっと肩を竦める。
何を隠そう生徒会長の前任者は、クラークの従兄弟である人間だった。従兄弟本人自体は基本的に良い人でクラークも気軽に接することが出来る数少ない人間ではあるのだが、自由奔放な人間なので去年のイベントはその性格を表したものが多かった。
参加する側としては楽しかったが、後片付け側としては面倒の一言以外に無いだろうとも思った。 前任の副会長は日に日に目付きが鋭くなり、卒業式の日には滅多に泣かないと有名だったのに解放されたことに喜びを隠しきれなかったのか号泣していた。
そんな身内の後始末のことなので全く関係ない生徒にボランティアで来てもらうわけにもいかず、去年のイベントが楽しくて生徒会に入りましたと爛々とした目で語る一部のメンバーにも手伝ってもらうわけにもいかず、基本的にはクラークとセシルとアステルが作業している。会計の侯爵子息には、これ以上仕事を割り振っては去年の副会長みたいになるだろうということで時間に余裕があればと言い含めてはいる。
「まあ、お前の態度から見ても恋をしているようには見えないな。周囲の陰口があからさまで若干苛立っていたのはわかったけどな」
「だったら分かりきったことを聞かないでください」
「お前は大体の人間に然程の興味も湧かないからな」
遊び相手兼側近候補、力ある二大公爵家とは良好であるべしとしてセシル・エインズワースとクラークが引き合わされたのは、婚約者候補が決まった8歳の時である。
その時にはクラークは第一王子としての役割は理解して行動していたし、エインズワース家の権力もどれほどのものか分かっていた。それに同じ年頃の人間にそんな風に引き合わされることが初めてで国王である父親から自分と似ていると言われたことも含め、どんな人間なのか少し期待していた。
クラークの推測として、セシル・エインズワースは公爵家としての立場を理解して行動し、外面は完璧でその為の努力を怠らない人間だろうと思っていた。素の自分が不器用であることを知っており、勉学に関しては努力でなんとかなるが剣術に関しては人並みの才しかないことをもう解っていた。人は粗を探したるもので、それ以外を完璧に修得しなければいけなかったのである。
クラークは、言葉少ない父親からの言葉をそんな風に受け止めていた。
『セシル・エインズワースと申します』
果たしてその見解は全くの的外れであることは会った瞬間からなんとなくわかった。
クラークの根本の言動の理由として、父親である国王が治める国に愛着があっていずれ自分自身が守るべきものであるという思いがある。
一方のセシルには、国への愛着そして公爵家への愛着すら感じられなかった。似ていると言えば似てはいた。外用の態度に違和感を感じないくらいに優秀さと子供らしさがあったこと、その中で公爵家にとって最善の策を取ること、何を考えているのか読まさせないこと。同族だと思った瞬間に気付いたのは、異なる点だ。
セシルが彼の父親へと向いた視線は一瞬だったが、何の感情も宿してはいなかった。その日1日をセシルと過ごしたが、会話の中でセシルから公爵家家族の話をすることもなかった。仲が悪いのだろうかとの憶測は時を経て真実だとわかり、セシルはこれを仲が悪いのではなくて興味が無いのだと表現した。
セシルとの付き合いはその後も問題なく進み、お互いに思考回路が似ていることも相まって気兼ねない態度を取れる親友になった。セシルは眉を顰めるが少なくともクラークは本心から親友だと思っている。それなりに付き合いのある子息はいるし、面白いなと思う人間もいたけれどやはりセシルが一番接しやすい。
11歳のある日、そろそろ婚約者を決めろと国王から言われた時にクラークはセシルを婚約者候補との茶会に初めて連れ立った。
セシルと同じ公爵家のアステル、四大侯爵家のエリカとシルビアの3人は全員が王妃教育をきちんと受け、多少の差はあるものの優秀であり、誰を選んでも良いと母親である王妃からは言われていた。気に入った人はいないのかとの問いには答えず、クラークはセシルの反応を見てみようと思ったのだ。自分と同じで女性には優しく当たり障りなく接し、考えも似ているのだから参考にできる意見を得ることができれば、と思って。
その結果、セシルからは何も得ることは無かった。アレンドュシー公爵家から王族に嫁いだ前例が最近無かったことから二大公爵家の力関係を平等にするためにもアステルに決めた。
以降、アステルとは政略ではありながらも特に悪くはない関係を築けていると思っている。しかし、お互いに外用の態度を続けていることも理解している。クラークとしては学園に入学して接する機会も多くなって今までより少しは近付けるかと思っていたが、逆に一歩引かれてタイミングを見計らっているのが最近の悩みの一つである。
そんなことはさておき、セシルとエリカが婚約した時にクラークはセシルにこんな質問をした。
『エリカ嬢は好きになれそうか?』
それはその婚約が2人の意思ではなく、同じく政略的なものであり、当時のクラークもアステルに対して同じ気持ちを抱いていたからだ。
相変わらず表情の変わることのない公爵令息は、ふと考えるように目線を下げて口元に手を充てた。時折、王城で見かけるこの仕草が侍女たちを虜にしていることをクラークは知っている。
『・・・私にお似合いの婚約者だと思います』
その意味をどう捉えたらいいのか。
クラークは今も考えることがある。
傍目から見れば確かに美男美女でお似合いではあるが、そういう意味での”お似合い”ではないことぐらいはわかる。
また、今ではアステルを選んで良かったと思っているが、当時は本当に3人の誰でも良かった。内情を言えば、包み隠さず情報共有するぐらいなので3人共があまり王妃の地位に興味が無いことも知っていた。
アステルは公爵家の力を平等にするという理由と共に彼女の声音がクラークはなんとなく好きだったから選んだ。シルビアは、あからさまな態度には出さなかったが当時から伯爵家の従兄弟を想っていたのか、2人だけの対面では選んでくれるなという雰囲気を醸し出していて密かに除外していた。
そして、エリカに関してはセシルを伴った茶会までは何も思っていなかった。だがクラークはセシルを3人に紹介した時に見たのだ。一瞬表情を無くしたエリカが少し俯いて満面の笑みを浮かべた瞬間を。その笑みが本物だと、その時だけはわかった。
だからセシルがエリカと婚約したと聞いた時はエリカたっての望みなのかと誤解したが、当主本人たちの決定だと聞いた時はおやと思ったのだ。てっきりエリカは、セシルをあの時気に入って侯爵にそれを望んだのだと。
セシルに時々、婚約者との仲はどうかと聞いているがこちらにも政略的な意味を越えての発展は見られないし、いつもチェックしているわけではないが夜会で見るエリカはセシルと二人でいてもあの笑みを浮かべる時はない。
では、エリカ嬢のあの時の笑みはどういう意味だったのだろうか。
セシルは何を思って”お似合い”だと言ったのか。
それをセシルに直接聞かないのは、セシルと過ごしてきた時間の中からあまり触れてほしくない話題だと理解しているからだ。
「殿下こそアレンドュシー公爵令嬢とはどうなのですか?」
「・・・分かりきったことを聞くな」
「子供じみた意地を張ってないで素直に愛の言葉なるものを囁いてみてはいかがですか?殿下は頑張っているつもりでも残念ながら全く伝わっておりませんし、聞いているこちらもわかりませんね」
先程も言ったように、セシルからの事実がここ最近のクラークの悩み事だ。
今年でクラークとセシルはこの学園を卒業する。卒業するとクラークはアステルと結婚することになっているのだが、哀しいかな。クラークは未だに自分の正直な気持ちをアステルに伝えることが出来ないでいた。それは勿論、婚約の正直な理由もである。
数年前セシルにこの事を話した際には『まあ色んな性癖な方がいらっしゃいますから』と多くの貴族令嬢を虜にしている笑みを浮かべて少しずつ後ずさりながら『申し訳ありませんが本日はこれで失礼いたします』と執務室の扉が静かに閉まった。その態度に微妙に傷付いて怖じ気づいているとかそんなことじゃない。
そもそもアステルからははっきりわかるほどのものではなくても、クラークに対して好意を抱いているとは微かに感じていた。二人で会うたびにアステル自身を好きになっていき、学園に入ってからはほぼ会えなかったのでアステルが入学したら更に交流を深めて好意を伝えていこうと決心したのに半年ぶりに再会する待ち望んだ婚約者は。
『お久しぶりですわ。クラーク殿下』
逢瀬で見せてくれた可愛らしいはにかんだ笑みではなく、王妃教育を受けて作り上げた達観したような笑みを張り付けて挨拶をされた。
何故だ?半年前は普通だったのに!
クラークに対して一歩引いた態度を取るアステルに動揺し、上がっていた気合いは急降下し、いつの間にかクラーク自身も一歩引いた言動をするようになった。私事に関する話はせず、ほとんどが事務的な話のみである。
それとなく調べてもアステルの周囲で変わったことはなく、好いた男が出来て密かに手紙を交わしているなどということもない。クラークにも距離を置かれるような言動をした心当たりがないために困惑ばかりが先を行く。わからないなりに距離を縮めようと頑張ってはいるのだが、なにしろ何が琴線に触れるかわからないので言葉を慎重に選び過ぎている自覚はある。これまで開催されたパーティーでは勇気を出して2回は踊っているのだが、考えすぎだろうか、義務的に踊っているように見えて2回で心が折れる。本当は同じ相手と踊ってもマナー違反とされない3回は連続で踊りたい。
婚約者という関係のはずなのに、今までよりも更に他人行儀な関係になって2年。
セシルに相談しても『殿下みたいな方をヘタレと言うのだとわかりました』と至極真面目に答えるだけなので当てに出来ない。
せめて卒業するまでにはこの距離をどうにかしたい。
それがクラークの今の目標である。
「そう言えば、サロンの個室でアステルとエリカ嬢が会っていたそうだが何か知らないか?」
「いえ、知りませんね」