表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

1.ようこそ、乙女ゲームの世界へ


「え?あなたもなの?」

「・・・決して同じという訳ではないけど、きっと、同じ世界を生きていたのだと思います」

「同じ、とは?」

「私は、乙女ゲームがどんな内容かは知りませんがきっとアステル様とは同じ時空の世界を生きていたのだと思います。上手く伝わるかわかりませんが、その世界の出来事は光景として頭の中に入っている・・・感じですか?」

「じゃあ、この世界の人間としての記憶の方が強いっていうこと?」

「はい、そうですね」



 とある学園のサロンの個室で、とある貴族の令嬢二人が話し合っていた。ちなみに彼女たちの優秀な侍女たちは隅に控えて空気となっている。


 

「そうなのね・・・。えっと、じゃあ、前世の自分とか周りのことは覚えてないけど知識だけはありますよ、みたいな感じなのよね?ここがどんな世界でこれからどうなるのか知らないのよね?」

「その通りです」

「そっかー。ええ?じゃあ、言っておかないと駄目よね。でも設定が、いやでも私が知ってるんだから私がどうにかすべきよね。だってこれからここで生活してかなきゃいけないんだし、婚約破棄されるにしても円満な方が後の婚活もやりやすいし・・・」


 淑女らしからぬ難しい顔をしながらぶつぶつと何かを呟くアステルと呼ばれた令嬢を、向かい合わせに座っている令嬢が紅茶を飲みながらゆったりと見ている。

 侍女でさえ主の不審な言動に内心焦っているというのに、もう一人の令嬢は普段と同じように心身ともに落ち着いていた。


 その令嬢というのは、エリカ・ヒエマリス侯爵令嬢である。


 この国では公爵家が2つ、侯爵家が4つと決まっており、エリカはヒエマリス侯爵家の長女である。

 そしていまだエリカの前でぶつぶつと呟いている令嬢がアステル・アレンドュシーである。アレンドュシー公爵家の長女であり、この国の第一王子の婚約者だ。


 現在この二人は花盛りな16歳であり、子息令嬢が通う学園のクラスメイトである意味幼なじみとも言える。何故ならばエリカとアステルは数年前までは共に王妃教育を受けており、第一王子の婚約者候補だったからだ。もう一人、王妃教育を受けた侯爵令嬢がいるのだが、彼女は既に19歳で従兄弟の伯爵家に嫁いでいる。

 この3人はプライベートでわざわざ手紙を送り合うほど仲が良い関係ではなかったが悪くもなく、時々行われる茶会では共有するべき話題があれば包み隠さず話す間柄ではあった。6年前に婚約者がアレンドュシー公爵の令嬢に決まり、すぐに侯爵家の令嬢たちにも婚約者が決まった。それを最初で最後だろう私的な手紙という名の報告で連絡したきりの関係であったはずだった。


 学園に入学してもアステルとエリカはクラスメイトとしての交流はあったが、以前と同じように程好い距離感を保っていた。


 しかし、その距離感が縮まったのはつい昨日のことである。

 子息令嬢たちの間でまことしやかに囁かれる噂を思い出しながら、夕方の誰もいないだろう教室へエリカは向かっていた。扉を開けようと手を伸ばした時に、中からぶつぶつと声が聞こえてきた。


『やっぱり本編が始まったわね。さすが乙女ゲームだわ。乙女の萌える要素がたくさん有りすぎる・・・』


 エリカはこの声に聞き覚えがあった。

 それは言わずもがなアステルである。確かこの時間は生徒会室で第一王子の手伝いをしているはずだった。彼女は生徒会では書記という役割に就いていて、それは第一王子が務める生徒会長の補佐の役割も担っているからだ。


『うーん・・・、やっぱり何もしなくても思わなくても進むのかしら?強制力がないともわからないしなー』


 何について言っているのかわからなかったが、その時聞こえた単語をどこかで聞いたことがあるとエリカはふと思った。乙女ゲーム、この世界にそんなものはないしやったことはないけどなんとなくわかる気がする。


『アステル様』

『きゃあーーー!!』


 思考に没頭していたのか、エリカの呼び声に異常に反応したアステルは慌てて教室の入り口を見た。


『え、エリカ様・・・』


 まずい、とアステルが内心焦りまくったことは言うまでもなく、冷や汗も背中を随分と垂れている。

 話を聞かれてたら頭がおかしい人だって思われる・・・。


 3人の中で一番出来の良かった公爵令嬢のなかなか見ることのできない挙動不審ぶりに、珍しげに目を細めたエリカは近付きながら話しかけた。


『先ほどの独り言、申し訳ありませんが聞いてしまいました。けれど、この世界には乙女ゲームなんてものありませんし、今まで聞いたこともありません。でも、何故だか私、知ってる気がします』

『・・・・え?』

『アステル様、久しぶりに情報共有をしませんか?』


 まるでいたずらを思い付いたかのようなエリカの言葉を聞いてアステルがぱっと目を輝かせた時に廊下からパタパタと走る音が聞こえ、彼女たちの侍女がそれぞれ迎えに来た。そこで明日もう一度よく話そうということで、翌日にサロンの個室でという約束を交わした。

 この学園のサロンは生徒達が自由に使用できるものとその奥の方に予約制の個室がある。数年前までは王族関係専用の個室だったらしいが、今は予約さえすれば誰でも使用できるようにしてある。しかし、やはり名残はあるようで一般の生徒たちは個室は遠慮して使わず、また普通のサロンでも十分なために今でも個室を使うのは王族関係が多い。


 講義が終わり、他の令嬢からの誘いを断って2人は分かれてその個室に入っていった。



「・・・なるほど。アステル様と私は悪役令嬢というですのね?」

「ええ、まあ、そんなとこなのかしらね?でも私は設定とは違って、何もする気は無いわ。さすがにね、庶民としての記憶があってあの王妃教育を受けた後じゃねぇ・・・」


 遠い目をしてふっと微笑む次期王妃アステル。

 第一王子であり、王太子であるクラーク殿下の正式な婚約者となってしまった為にアステルはこの6年の間でより完璧になった。皆から求められる王太子の婚約者の存在として。


「全く自由がない訳じゃないけれど、平民とも一貴族の令嬢としても、自由の幅が違うでしょう?ずっと微笑んでなきゃいけないのに、その外用の微笑みが不気味だとかもっと本音で話し合いたかったとかそんなふざけたこと言われても困るって言うかだったらあんたももう少し歩み寄れよとか王子様に頭の抜けた発言とかできないだろとか思ってないから、ね?」


 万人を助ける女神のように慈愛に満ちた微笑みを浮かべるアステル。


「大変ですね」

「他人事みたいに」

「他人事ですよ。私、あのお方に微塵も興味ありませんから」


 大胆なカミングアウトにさすがのアステルも驚きを隠せずにぽかんとエリカを凝視する。

 この国の王太子に微塵ほども興味が無いとは。数年前までは婚約者候補であり、結婚する可能性だって少なくなかったはずなのに。それに一応あの3人で競っていたのだ。どの家が王太子の婚約者となって権威を物に出来るか。情報共有するぐらいには仲は悪くなかったが、なるべく気に入られるようにと親からは言われていたし、本人を目の前にそういう発言や態度もしていた。


「アステル様はいつから記憶があるのですか?」


 不思議に思っていると、最初からあまり表情の変わらないエリカに聞かれる。


「学園の入学式の時よ」

「その乙女ゲームではアステル様は王太子様がお好きみたいですけれど、実際のアステル様はそれまでお好きだったのですか?最後に会ったのは・・・王妃様に呼ばれたお茶会でしたけど、それまでのアステル様は王太子妃の座に執着するほどの感情ではなかったように見えました」

「そうね・・・。好き好き好きすき・・・・好きと言えば好き・・・・?」

「それは・・・、恋慕ですか?」


 曖昧な答えに恋をしているという雰囲気を感じないことにエリカは苦笑する。

 案の定、アステルは困ったように笑った。


「いや、憧れ、だったのかな。だって、良くも悪くも王子様だったでしょう?物語の中の王子様が本当にいた、って思ってたのよね。まあ、それがあのお方の外用のお顔だということを徐々に気付いて、そんな頃に婚約者に決まったから、まあ仕方ないか、という具合かしら」

「上がったとは言えない熱だけれど入学式までは平行線だったと」

「そうね。強制力というものがあって、もしヒロインと殿下が惹かれ合って私が悪役になってしまうとしたら、これから毎日お腹が痛くて仕方ないわ」

「まだ編入してきたばかりだからわかりませんね」


 この間編入してきた一つ年下の伯爵令嬢は元は平民の立場である。母親と共に暮らしていたが、その母親が病で亡くなり、伯父に引き取られて伯爵家の養女になったという。その伯父は、令嬢が幼い頃に亡くなった父親の兄であり、父親は侍女だった母親と恋に落ちた結果、駆け落ちして身を潜めながら3人で生きてきたらしい。兄の伯爵は一人身になった姪を引き取り、今からでも淑女教育をさせようと学園に編入させたという経緯である。


 ちなみにこれが乙女ゲームの設定であり、アステルとエリカの持つ情報から照らし合わせてもそのままの事情である可能性が高い。

 伯爵は弟を可愛がっており、身分差故に結婚を反対していたが本人は弟を奪った母親に対して悪い感情は持っておらず、姪のこともたいそう可愛がっているらしい。当主の奥方もこの兄弟と幼馴染のために父親に似ている姪を可愛がっているとか。

 ということで、この伯爵令嬢は両親も仲が良かったために心根優しく育ってきたわけである。それが学園に入った途端に、次から次へと出くわす上位貴族の子息たちに絡まれて他の生粋の令嬢たちから疎まれ、虐められ、初めて周囲を嫌悪で埋められる中で果敢に立ち向かう姿を子息たちに見守られ、ふとしたきっかけから子息たちの心を癒し、互いの好感度を上げていき、最後にはルートに入ったいずれかの子息と結婚するというストーリーだ。

 ちなみにヤンデレの設定や逆ハーレムエンドはなく、対象年齢12歳以上の健全な普通のゲームである。ならばどうして婚約者のいる相手が攻略対象にいるのかと不思議に思うが、恋にスパイスをかけようとした結果なのだろうと無理矢理納得させておく。


「確かそれぞれのキャラクターとの出会いのイベントは既に終わってるはずよ。だって、殿下が珍しい人に会ったってヒロインのことを仰ってたもの。私も侍女に確認させたし、殿下と会ったということは、中庭を通ったはずだからクラーク殿下、エインズワース公爵家とアディントン伯爵家の子息、そしてヒロインの従者になったボーナム子爵家の次男のルートに入るわ」

「他のルートがあるのですか?」

「もし食堂に行っていたら、ヒューズ侯爵家とジェフリー伯爵家の子息、アラン先生のルートに入ることができるわ。一人しか攻略できないけどこういう転生物ってヒロインも転生者の可能性が否定できないのよね」

「私達が実際に転生してますものね」

「ヒロインの頭がイカれてたら私達は婚約破棄されちゃうわね」


 物騒な言葉とは合わない、しかし先程とは違った清々しい満面の笑みである。

 アステルの内心が表れていることに気付いてエリカは小さくため息をついた。


「喜びますか?」

「そりゃそうよ。王妃からは逃れられるし、ちゃんと準備さえしておけば大丈夫だもの。ゲームであっても現実だからちゃんと準備しておけば死ぬことはないだろうし、国外追放とか社交界追放とか領地に隠れる最後だから大丈夫、なはず」

「結構辛くないですか?」

「ふふっ。私の心はそんなに柔じゃないのよ、エリカ・ヒエマリス様。それにエリカ様も気を付けておかないといけないのよ」


 共通ルートでは婚約者と仲良くなるヒロインの姿を見て少し苦言を言い、個別ルートに入ると自ら手を下したり、周りの人間に虐めを指示することになる。その際、攻略対象者のヒロインへの好感度が一定以上であればハッピーエンドになるのでその後の処罰が決まった婚約破棄を告げられる。一定以上でなくても個別ルートに入っていたら悪役令嬢なる婚約者がヒロインを虐めていることに変わりはないので嫌われて婚約破棄される。

 全ルートで共通するのは、この婚約が政略であって気持ちが伴っていないということが前提である。なのに虐めるのは女性として婚約者としてのプライドが問題、ということになっている。


「アステル様はどんな準備をされるのですか?」

「とりあえず、イベントがある時は証人が残るようにしておく、とか?何があるかわからないから。まあ、実際にはヒロインのこれからの行動によって決めようかなと」

「他のご令嬢の方々に忠告などはなさいますか?」

「そうね、ヒロインが過度に接するようならそれとなく言いましょう。私たち淑女は他家との婚姻が務めなのに、それができなくなるまで追い詰められるのを黙って見ているわけにはいかないもの」

「では、またいつか集まりますか?」

「そうしてくれたら助かるわ。情報が多いに越したことはないし、一応ヒロインが誰を選ぶのか気になるから。うっかりルート飛び越して死ぬのも嫌だし」


 そういうことで何か情報が入った際には侍女を通じて連絡をすることに決まった。

 では帰ろうということで立ち上がった時にふとアステルは思い出す。このエリカ侯爵令嬢は婚約者の公爵子息をどう思っているのだろう。


 王妃教育を受けている時からエリカ嬢の感情は分かりにくかった。もう一人のコルベール侯爵令嬢は3人での茶会の時は表情豊かでよく話す人だったが、エリカ嬢はあまり自分のことを話そうとしない。話の流れで言葉少なにこぼすだけですぐに他の人に話題を持っていく。


 公爵子息ルートのことも最後まで話したけれどエリカ嬢がヒロインに嫉妬したという様子は一応見られない。そもそも、公爵子息自体をどう思っているのだろうか。前世で読んだことのある物語では、悪役令嬢が実は婚約者のことを好きではなくて婚約破棄を望んでいたという話もあるのだ。


「エリカ様はセシル様のことをどう思っているの?」


 珍しくきょとんとした表情でアステルをじっと見つめた。と思ったら、王妃様からも絶賛された女性でもうっかり見惚れる美しい笑みが浮かべられた。


「私の大切な婚約者ですわ」




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ