75、引っ越しとサンドイッチ
「よし、不要なものは処理したし、お宝も泣く泣く処理をしたから大丈夫、と」
久しぶりに自宅のアパートに帰ってきた一樹が徹夜で行ったことは、不要なものを処理することだった。
中でも男性として潤いを求めて購入したお宝については、朝イチで回収業者に引き取ってもらうという徹底ぶりである。昼前には妹の愛梨と、その友人の美優が引越しの手伝いという名目で遊びに来てしまうからだ。
いや、きっと真面目な美優は手伝ってくれるだろう。問題は愛梨である。
「アイツ……俺がここに引っ越す時にもやりやがったからな。お宝探し……」
あの時の悲劇は繰り返すまいと一樹は寝ずに頑張った。彼の努力は、きっと報われるだろう。
しばらく仮眠でもとろうと一樹がソファーで横になったと同時に、ドアホンが鳴り響く。
「お兄ちゃーん! 遊び……じゃない、手伝いにきたよー!」
「……おぉ」
予定より三時間も早く来たかと苦笑しながら、一樹はふらつきながらドアを開けてやる。愛梨の後ろには申し訳なさそうな表情の美優もいる。
「すみません、朝早くから押しかけてしまって」
「いいよいいよ。どうせ愛梨が無理言ったんだろ? ごめんな妹に付き合ってもらっちゃって」
「ご迷惑じゃなければよかったです」
ホッとしたように微笑む美優の愛らしさに思わず見惚れそうになった一樹は、頭を軽く振って愛梨の方を見る。
「全くお前は、早すぎるぞ」
「早い方がいいと思って!」
「何がいいのかは分からないけど、荷物はあらかたまとめたから掃除を頼むよ」
「えー!! 荷物まとめちゃったの!?」
「大体想像はつくけど、お前が期待しているものは持ってないからな?」
さっきすれ違ったトラックか……などとブツブツ言っている妹に、実は危機一髪だったのかと一樹は震える。
あらかじめ用意した雑巾や洗剤を愛梨に渡して、早速掃除をするよう促す。完璧に綺麗にする必要はないが、一樹にとってそれなりに愛着ある部屋だったため軽く掃除をしておきたかったのだ。
「昼はどうする? ピザでもとるか?」
「……あの、もし良ければお昼ご飯作ってきたんですけど」
「へ?」
おずおずと申し出る美優の言葉に、思わず間の抜けた声を出してしまう一樹。
「すみません! た、大層なものではなくて、サンドイッチとかそういう簡単なものでして、お、お口に合わなかったら申し訳ないのですが!」
「絶対に口に合う! だから! 絶対に食べる!」
なぜか顔を真っ赤にしている美優が持っているバスケットを後ろに隠そうとするのを見て、一樹は素早く取り上げる。電光石火とはこのことであろうか。
実際に一樹は、ゲーム内でミユの作った菓子を食べて美味いと感じていた。彼女の職業は料理人ではないため、あの菓子はリアルのスキルが反映されて出来たものだろうと予想できている。
職業補正ありで作るものはすべて同じ出来栄えになるのだが、補正がないと微妙に味や食感が変わったりする。『エターナル・ワールド』で職人として大成しているプレイヤーは、補正を使わず物を作り出すことができる者が多い。
補正なしだからこそ、某女性プレイヤーのように「そろばん付き自動計算機」などという意味不明な魔導具が出来たりするのだ。
「すみません。こんなので学校で助けてもらったお礼になるか分かりませんが」
「充分すぎる……あ、いや……」
不安げな美優の様子に一樹は言いかけたことを飲み込み、ニヤリと悪い笑みを浮かべる。
「うーん、お礼がこれだけじゃ足りないから、また作ってくれる?」
「ふぁ!?」
「なーんて……」
「また、作ります、ね」
冗談として終わらせようとした一樹に、頬を染めたまま美優はふわりと嬉しそうな笑顔で返した。思わず口元を手で押さえて彼女に背を向ける。
「やべ、マジで天使」
「お兄ちゃん……バカなの?」
呆れたような愛梨の言葉に、耳まで赤くした一樹は何ひとつ反論できないのだった。
ほとんどの家具や家電をリサイクルショップに引き渡し、必要な洋服類のみを会社へと送る。
会社のビルに隣接しているホテルの一角が寮であり、家電や家具だけでなく寝具や生活必需品のほとんどが設置されているため、服など身につけるもの以外は必要ないのだ。
「タオルも用意されているんですか?」
「アメニティもホテルみたいに置いてあるし、仕事に出て部屋に戻ればベッドメイキングもされている状態になっているよ。部屋の中に入って欲しくない時は専用の札をかけておくんだ」
「ホテル住まいとか、羨ましい……」
「もちろん、食費とか諸々は給料から天引きされるぞ」
「さすが大手企業ですね」
高校生から見れば、一樹のようなサラリーマンになりたてでも「大人」に見えるものである。キラキラとした美優の視線にいささか居心地の悪さを感じた一樹は、彼女のお手製サンドイッチを一口食べて驚く。
「うわ、これすごく美味いな。粒マスタード?」
「この卵サンド、マヨネーズ少なめなのが好きー」
「ジンジャーレモネード作ってきたんですけど、飲みます?」
「飲む!」
「私も!」
すっかり森野兄妹の胃袋をつかんだ美優は、笑顔で世話を焼いている。何もない部屋のため床に座っている状態の三人だが、美優と愛梨はピクニックみたいだと楽しそうにしていた。
「早く来てくれたおかげで午前中にほとんど終わったな。今日はこれからどうするんだ?」
「もちろん、この後は美優と『エタワル』するよ」
「イベントに参加すると変わった情報が入ってくるので、また次も参加できるようレベル上げしようかと思ってます」
「へぇ、変わった情報か」
兄がゲーム『エターナル・ワールド』がらみで行方不明になっていると思っている美優は、とにかく情報を集めるという行動をとっているようだ。
なるほどと頷いてジンジャーレモネードを堪能する一樹に、愛梨はニヤニヤしながら言う。
「ちなみに今回のは素材を集めるってイベントだったんだけど、王都の赤毛のギルマスとイケメンマッチョ王子が親密な仲とかいう噂が流れてたよー」
「ブッフォ!!」
妹からのメンタル破壊攻撃に兄はあえなく撃沈する。咽せている己の背を撫でてくれる美優の優しさに、心の中で男泣きする一樹だった。
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