73、休暇の取得と再訪(旅の薬師)
「相良さん」
「あら森野君、イベント諸々お疲れ様。休憩中?」
Tシャツにジーンズという気の抜けた格好の一樹は、デスクワークをしている相良を見つけて呼びかける。ちなみにこの会社の規則は『オフィスカジュアル』である。カジュアルの定義については個人の見解に任せているのだろうと思われる。
タイトスカートからのぞかせる細っそりした脚を組み直し、椅子を回して彼女は一樹を見上げた。
「はい。飯は食いました。……すみません、少し聞きたいことがあるんですけど」
「何かあったの?」
「あったのか無かったのか……相良さんは『渡りの神』の存在を知ってますか?」
「エターナル・ワールドにプレイヤーを送り込む神様って設定のやつよね。プレイヤーは最初のチュートリアルで会話するから、一応皆が知ってる存在だと思うけど」
「プレイ中、その神は運営とやり取りとかします?」
「え? いいえ、それはないと思う。そもそも『渡りの神』はエターナル・ワールドの神じゃないのよ。もしかしたらこの先イベントで登場するかもしれないけど、あの世界では人として降りたエルフの神みたいなのじゃないと、人の前に神は降臨できないとされているから。一応AIはプログラムされているとは思うけど」
「そうですか……」
やや不満げな表情の一樹を見た相良は、パソコンの画面に体を向けるとキーボードを叩いてログを呼び出す。会話内容も残っていないようだ。
「もしかして、会ったの?」
「声だけ聞こえたんです。少しだけ会話をしました」
「録音とかしてる?」
「それが、管理者画面そのものがおかしくなってて……ログ見ても異常はないようでしたし、マシンの不具合ですかね」
「ここまで特殊な不具合なんて聞いたことないわ」
「ですよね」
「あともう一つ、『関係者』って言葉は?」
「何? 運営ってこと?」
「いえ、その神が言ってたんです。『関係者』とか『勇者』とか……」
「うーん、その『渡りの神』を名乗ってた声が言ったのよね? 一応調べてみるけど、なーんかどこかで聞いた気がするような……」
「なんか毎度すみません。ご迷惑かけて」
「何言ってるの。こういうことを解決していくのが運営なんだから」
「じゃあ、よろしくお願いします。あと俺、明日から連休なんで。じゃっ!!」
「はぁ!?」
とんでもない一樹の言葉に、相良は慌ててパソコンの画面から目を引き離す。しかしその時、危機を感じた一樹はさっさと部屋を出ていく。何か叫ぶ声が聞こえたが無視だ。
休暇の申請はだいぶ前に受理されている。もちろん上司である相良にも報告していたのだが、高確率で忘れられているだろうと一樹は予想していた。
イベントが終わりひと段落つくはずだった業務だが、最近増えてきたバグ処理と謎の現象に休みを後にしてくれと言われると思い、ギリギリまで休みのことを話題に出していなかった。
普段の一樹であれば休みの変更をすることもやぶさかではないのだが、いかんせん明日の予定だけは外せない。
「理由を言えばいいんだろうけど……あまり詳しくは言いたくないんだよな……」
やましい理由などではない。ただ単に引越しをするというだけのことである。
アパート暮らしの一樹は、かなり長い間自宅を留守にする生活が続いていた。ならば今寝泊まりしている会社の寮を自宅にしてしまおうという、仕事人間な結論に達したのだ。
現にこの会社の独身社員たちのほとんどが、会社の隣にある寮に住んでいる。ホテルの一部を会社が利用する形となっているため、掃除や洗濯をしなくてもいいというなんとも恵まれた環境に身を置くことになる。
それならば説明すればいいじゃないかと思われるかもしれないが、引越しの日に手伝いに来てくれるのが愛する妹とその友人というところに、なぜか後ろめたい気持ちになる一樹。
「別に、あの子は引越しを手伝ってくれるだけ、だしな」
一樹は社内の廊下を早歩きしながら、独り言にしてはやや大きめな声でブツブツと呟く。スケジュールを確認すれば相良も理由を知るだろうが、なんとなく手伝ってくれる彼女達のことを知られたくないと彼は思った。
「うん、絶対からかわれそうだよな」
休日に女子高生と会う……妹から申し出てくれた事だとはいえ、字面がヤバすぎると一樹は遠い目をする。
マシンの置いてある部屋に入り手早く服を脱ぐと、蛍光ピンク色の液体に身を沈める。
「もう一度、あの場所に行ってみるか……」
閉じていく蓋と一緒に目を閉じ、起動音をBGMに一樹はゲームの世界へと入るのだった。
大方の予想通り『渡りの神』と話したあの場所で、再び同じ現象が起こることはなかった。
旅の薬師である一樹は、運営モードでの解析とNPCとしての鑑定を使ったが、何の情報も得られない。
「ハリズリ、何か感じる?」
「ワゥーン?」
「そういえば俺が一人の時だったか」
「ワウ!」
膝に擦り寄る茶色のモフモフ柴犬モドキをわしわし撫でてやりながら、一樹は何度か地面に手を置いてみる。あの時見えた噴水もなければ、魔法陣のような跡もない。
「タイミングとかもあるのかな」
ブツブツと独り言が止まらない一樹の背後にひとりの女性が立つ。足元で一瞬警戒したようなハリズリだが、彼女の姿にうなり声を引っ込めて尻尾をゆっくりと振った。
「あの時の薬師さん!」
「ん? ああ、変わった魔道具を作る……」
「コ・ト・リ・で・す! もう、名前くらい覚えててくれないと、男として失格だと思うよ」
「ごめんごめん、仕事柄たくさんの人に会うから、つい忘れちゃうんだよね」
「どうせ可愛い女の子のは覚えているんでしょ? まぁいいけど」
「はは、めんぼくない」
情けない声で返す一樹は、目を隠すように垂れている前髪をさらりと搔き上げる。
「うぉ! 美青年! しょうがない許しましょう」
「なんというか、欲望に忠実なんだね」
セミロングの黒髪をゆるく一つにまとめた彼女の服装は、いかにも「技師」といったものだ。薄桃色のツナギと首元にはスカーフを巻いている。ちなみにツナギは職人ギルドで売っているらしい。
コトリは一樹を見て首を傾げ、口を開いた。
「それで?」
「ん?」
「それで? 何か欲しいものでもあるの?」
「んん?」
「私のところに用があったんじゃないの?」
「ああ、そういえば? 用があったような、なかったような……?」
呆れたようにため息を吐いたコトリは、一樹についてくるように促すと道の奥へと歩いていく。
「この先には私の工房しかないよ。ほら、お茶でもご馳走するからついてきて」
行けば思い出すだろうと、一樹はコトリの工房にお邪魔することとなった。
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