元魔術師の彼女
穏やかな昼下がり、俺は広場のベンチに腰掛けていた。彼女はまだこない。時間にタイトな彼女にしては珍しいと思いながら、噴水の向こうで親子がシャーベットを楽しそうに分け合う様子を眺める。
この国にはほんの少し前まで魔術があったそうな。
あった、と過去形なのは魔術は既に失われてしまったからだ。どうにも今まで魔術に使用してきた土地の魔力そのものが失われたという話で、この国だけでなく世界レベルで魔術という力はなくなってしまったらしい。
そうはいっても街の様子はいたってのどかなもので、元々魔術はもちろん魔術師も国有だったのだから当然だ。
お偉いさんは国境の防衛をどうするなどと慌てているが、役人ではあっても下っ端の俺にはあまり現実感のない話である。噴水湧き上がるこの広場はいつもどおりに平穏だ。
「タッツェ!」
聞きなれた声に振り向くと、ローブ姿の彼女が広場の入り口から駆けてきた。
「メアリ」
「ごめんね、遅くなって。待った?」
「全然。久しぶりだな」
言いながらメアリの被るフードを落とすと、紅茶色の髪が露わになる。濃紫の瞳を向けてはにかみ笑うメアリは、可愛い魔術師の女の子だった。
「こちらをどうぞお嬢さん」
「ありがとう」
広場から隣の公園に移動してベンチに座った。たわいのない話がとても楽しい。
「今、職場も大変なんだろ? おつかれさま」
「失業しちゃったわ」
まだ就職してないけど、とメアリが苦笑いした。
魔術師という夢に向かって頑張ってきて、あともう少しのところで、まさか魔術というもの自体がなくなってしまったのだ。きっとずいぶん落胆した筈だ。
「今は職場を片付けてる最中なの」
魔術の使えなくなった現在、当然だが魔術師は全員解雇で、魔術師見習いだった彼女も失業である。
答えてから、メアリは悲しそうに微笑んだ。思わずどきりとする。不謹慎だけど、すごく、可愛かった。
「あのさ、俺たち結婚しない?」
考えるより前に口を突いた。言うつもりのなかった言葉に焦りながらも、「結婚就職みたいな、さ」とおどけた風を装って付け足す。けれども一縷の望みが心の中で煌めいた。怒るのか、冗談でしょと流そうとするか、あるいは。メアリは俺のことが好きだし、幼馴染だからお互いの家族もよく知っている。もちろん、俺はメアリのことがすきだ。
つまり俺は期待していた、メアリは躊躇しつつも頷いてくれるんじゃないかと。だが、メアリは予想を裏切った。
「私、働きたいの」
俺は驚いた。メアリが気まずげに目線を落とす。
「メアリは魔術師になりたいのだと思っていたんだけど、」
魔術師というのはまず第一に適性がないとなれない職種だ。誇りを持ってその職を目指し、しかし職そのものが無くなってしまい魔術師にはなれなくなった。だというのに働きたいのだという。
「それは、俺と結婚するのが嫌ってこと?」
「違うわ!」
俺が眉をひそめて尋ねると俯いていた顔をはね上げてメアリが否定した。
「そうじゃないの、結婚したくないんじゃなくて、働きたいの。魔術師にはなれない、だけど……私は、私の仕事が欲しい」
メアリの言葉にますます混乱した。
「なんで? 家事も子育ても立派な仕事だよ。家政婦はそれでお給料貰ってるんだ、恥じることでもない。もしメアリが魔術師になれない代わりに別の仕事をしたいんだとして、それは家庭の仕事じゃだめなのか?」
言ってはみたものの、メアリはゆるくかぶりを振った。
「べつに、家庭に入ることや、そうやって家庭を支えている女性達を見下してるんじゃないわ。ただ、私が嫌なの。働きたいの。自分の力で生活したいの。だれかに養われるんじゃ、駄目なのよ」
暗い顔のメアリが焦っていることだけは分かる。何事か言わねばと思うがしかし正直、なにが言いたいのか俺には全く分からない。
本来女性が務めるべき職分を蹴ってまで、なぜメアリは外で働くことにこだわるのか?
中流家庭の子女は年頃になったら嫁ぐ。国推薦かつ特殊職であった魔術師になるのが稀な例外であり、精々が未亡人が貴族の子供の家庭教師になるくらいだ。それも年若い未婚の子女がなったら後家潰しと非難されるにちがいないし、もし働けたとしても雇用先の屋敷に住み込みだから結婚はかなり難しい。
そもそも、中流家庭の子女が外で働く必要なんてないし、求められてもいないのだ。夫に十分な稼ぎがあるのに妻を外で働かせるなんてまともな旦那のすることじゃないし、外聞もある。メアリの両親だって許さないはずだ。
「えっとメアリは、結婚してもいいけど、家庭に入っても働きたい、ってこと?」
「ええ、そうね」
「それは……」
矛盾しているんじゃ、と言いかけて慌ててその言葉を飲み込んだ。メアリはじっと暗い面持ちで俯いている。
でも、メアリがわざわざ枠に外れた生き方を進んで大変な思いをしたがっているように俺にはみえた。中流階級の娘として、同じ階級の男と結婚し、家で旦那を支えながら子どもを産んで育てていけばいい。それをなぜ、メアリは不満に思うのだろう。困惑する俺にメアリが口を開いた。
「分かってるわ。私、我儘よね」
メアリはそこで一旦切ってから、息を吸い込んだ。
「あなたには本当悪いことをしたと思ってる。だから、私」
「ちょっ、ちょっと待った!」
無理矢理ことばを被せると、メアリは物言いたげにチラリを寄越したのち、黙って目を伏せた。これはまずい、と脳裏をよぎる。
このままだとメアリは俺とさよならする気だ。ほんとに俺はそれでいいのだろうか。よくない。普通だろうが変だろうが、この可愛い彼女と別れる気など俺には一ミリもないのだ。
だけどメアリにとって俺は別れてもいいくらいの男だったのかもしれない……。そう思うと、急に冷や汗がわいた。背中がいやに冷たい。
「あー、えっと、、つまり!」
メアリの気を引き留める言葉はなんだ。頭の中を引っ掻き回す。メアリが俺をみている。その目の色の意味がよく分からない。分からないけどしゃべるしかない。
「メアリはさ、俺と一緒になるのは別に嫌じゃないんだよな。俺と結婚するしないに関わらず、要は働ければいい訳だ」
何か言おうとメアリが口を開きかけたが、主導権を渡す訳にはいかない。そのかわいらしい口から恐ろしい言葉が飛び出す前に俺は畳み掛けた。
「外国に行こう! 女でも役人になれる国があるらしい。そこに行ってメアリも俺と一緒に役人になればいいんだ。だから、」
口がからからに渇いて仕方なかった。無理矢理に唾を飲み込む。
「だからさ、俺と」
間が空く。沈黙。会話が途切れるが、メアリに反応はない。失敗したかと俺が焦って言葉が続けようとしたそのとき、メアリはパッ!と顔を上げた。
「タッツェ、あなた最高だわ」
メアリはおそろしく輝いた真顔だった。ギュッと俺の手を掴む。
「でも、外国で外国人が公職にはつけないわ。だからお店を開きましょう」
「……は?」
「私、魔術師見習い中も、低いけどお国からお給料は出てたの。ずっと使わずに貯めてたし、今回の件で退職金がかなり出たわ。公の上級職だから補償は充実してるのよね」
続いた言葉に呆気にとられた。口をあけたままの俺に怒涛の勢いでメアリはしゃべる。その間、俺の手は握り続けられたままだ。
「もちろんそれだけじゃ足りないけど、タッツェも結婚資金ずっと貯めてるわよね。二人合わせれば、お店を借りる頭金と当面の費用にはなる筈よ。それにね、魔術が無くなってこれまでとは防衛線が変わり、それに合わせて国境近くは新しく開発されるじゃない。それで、国境の防衛は今までは魔術師の担当で、私はこれでも内部の人間だったから、開発進みそうな街道がなんとなく分かってるの。でも、この情報が知られてなくて地価が上がってないのは今のうちよ。だから今がチャンスなの。
タッツェ、新しい街道の宿場町で、私と一緒にお店を開きましょう」
言い切ったメアリは妙に黒光りする瞳で俺を見た。俺はというと、初めて聞くことを早口に喋られたので理解が追いついていない。だけど、正直なことを言うと…………大分ひいた。元魔術師見習いと下級官吏の若造ーーどちらも素人だ、ノウハウなんてありゃしないーーがまともに商売できるのだろうか。
メアリもいま思い付いた話なのだろう、今がチャンスと言ってはいたが、どれくらい信用していいものなのだろうか。遠方の郊外で金はかかりそうだし困難は多そうだ。両親に援助を頼もうにも、そもそも身分にあった働きかたではないので、実行したら最後親には縁を切られそうだ。しかも自分の夢ではなく他人の夢についてゆくなんて、ためらわないやつの方がおかしい。
でも、と思う。メアリを手放してまで続けるほど今の職に執着があるわけでもない。失敗したって一興だ。新しい土地には新しい楽しさがあるに違いないし、それがメアリと一緒なら尚更だ。それに人生なんて一度きりなのだ、メアリの夢を一緒に叶えてみるのもいいんじゃないだろうか。
キラキラというよりもギラギラという感じの視線でつき刺してくるメアリにおののきつつも、俺は頷いた。
「分かった。俺メアリで一緒に店を開こうぜ」
きっとなんとかなる筈さ、と心の中で念じてみる。
俺の答えに濃紫の瞳を見開いたあと、
ニコッ!と笑ったメアリはめちゃくちゃ可愛かった。
***
「反対されてもないのに駆け落ちしたって、当時のおまえら随分と噂になってたんだぜ」
数年ぶりに訪ねてきた友人がビール片手に昼飯を食いながら、俺ににやにや笑ってきた。
「うるっせえな、ごちゃごちゃ言ってねえでとっとと飯食って風呂入って部屋に戻りやがれ」
狭いカウンターに居座りからかってくる昔馴染みを厨房から俺がどやす。
「ちょっとあんた、お客さんになんて態度よ!」
給仕していたメアリから喝が入った。ビビる俺に周りの客がどっと笑う。
「ごめんなさいねぇ、この人いつもこんなだから」と俺の嫁さんは勝手に謝ってから、ついでとばかりに俺の悪口をべらべらしゃべる。なにがツボなのかケラケラ笑う旧友に、けっ!とへそを曲げ、料理作りに俺は戻った。
勢いで外国に出たものの、メアリが計画し交渉して借りた土地の、国につながる街道にて民宿を二人で始めた。そんなわけで頭が上がらず、叱られればすごすごと引き下がる訳である。
対してメアリはかなりの強気になった。悪酔いして管を巻くおっさんには尻を蹴り上げ、冗談がツボに入れば口元を隠さず笑うし、めでたいことがあった客には一緒に喜んでつまみをサービスする。陽気に店を切り盛りする姿はまごうことなき豪胆なかみさんで、俺はメアリをもうお嬢さんとは呼べない。
勿論、ここにくるまで楽しいだけではなかった。仕事に生活にと慣れるのは結構大変だったし、宿屋も軌道にのるまでにかなりの金を使ってしまった。結局二人の貯蓄だけでは足りず、今はローン返済中だ。そんなこんなで手に入れた小さな宿屋を営む生活では、以前だったら味わえなかった楽しさもあれば、便利な都市暮らしが恋しくなるときもある。
それでも、厨房の中で楽しそうに動き回るメアリをみると、あのときあの選択をしてよかったと思う。やっぱこいつがすきだなあ。
からりと笑うメアリを見るたび、俺は幸せをかみしめるのだ。
改題前:俺の結婚したい元魔術師の彼女は働きたいという