姐さん
「銀次ぃ、おはようさん」
「おはようございます、姐さん」
ゆっくりと近づいてくるその和服の熟女は、馴れ馴れしく俺に話しかけ、ねっとりと俺の顔を見上げる。
「あんたぁ、あんまり火遊びばっかりしてたらあかんでぇ」
「滅相もないです。昨日はちゃんとうちに帰らしてもらいました」
「あんたのうちやないんと違う?」
「なんで勘ぐらはるんですか。うち言うたら自分のうちです」
「その割りには女っぽい匂いさして」
「香水のことでしたら、すぐ落としてきます」
「いや、ええんよ。あたしが言うたかておかしな話やし。好きにしたらええんとちゃう?」
「香水は自分のです。姐さんが考えたはるようなことはなにもありません」
「せやからええんよ。あたしはそんなに気にしてへんし」
「姐さん」
「もてるのも大変やねぇ」
「違いますて」
「あんたは入りたての頃からなにかと噂になっとったから」
「噂て、どういうことですか」
「いや、ええ子がうちにも来たなぁ、言うて。若い衆からも黄色い声よう聞いたで」
「そんな、恐縮です」
「ええことやないの。うちは一番上のやつも含めていかつい親父ばっかりで、うちもうんざりしとったんよ」
「・・・」
「まあ、その分反感は買うけどなぁ。反感言うたかて、ほとんどは醜い嫉妬みたいなもんや。あんたは真面目やし、連中の方が肝が小さい証拠やね」
「兄さん方はみんなよくしてくれはります」
「表面はなぁ」
「そんなことありません」
「あるがな。鉄かてこの前小言言うとったで」
「鉄兄ぃが!?」
「そや」
「うそや!」
「嘘や。あいつがそんなしょうもない男なわけあれへん」
「姐さん!なんですの?なんで朝一からそんなこと言いますん?」
「あはは、ごめんごめん。いや、ちょっと胸くそ悪かったもんやから、一番最初に会うたやつにからんだろおもて」
「・・・勘弁してください」
「悪かったねぇ。でもちょっとすっきりしたわ」
「どないしはったんですか。朝から、なんかあったんですか?」
「ええ?・・・あんたに話してもなぁ」
「・・・出過ぎた真似言いました」
「ああ、気にせんとき。ちょっと言い方悪かったなぁ。せやったらちょっとだけ話してみよか」
「お役に立てるようがんばります」
「ほんまやで」
「・・・」
「あたしはよう知らんねんけど、巌のあほが朝からぎゃあぎゃあ騒いどるんよ」
「おやっさんが!」
「あのハゲ、あたしにまで怒鳴り散らすもんやから、うっとしいてほったらかしてきたんよ。なんやえらい損が出たみたいやで」
「お金ですか?」
「そやろなぁ」
「・・・」
「新堂んとこの企みやー、言うてたわ。ほんまかどうか知らんけど」
「・・・」
「怒り沈めてきてくれへんか?」
「む、無理です!なんぼなんでも」
「せやから言うたやん」
「・・・すんません」
「最初から期待してへんよ。あたしの苛立ちを解消してもらうんがもともとやったんやから、十分役に立ったがな」
「滅相もありません」
「せやけどあんた、ほんまなんやええ匂いすんなぁ」
「今すぐ落としてきます」
「あたしはええて。他のがなに言うかはわかれへんけど」
「落としてきます」
「そうなん?せやったらもうちょっとちゃんと楽しんどきたいわぁ。ちょおあんた、こっちきてみぃ」
「・・・はい、失礼します」
「なんの香水なん、これ。女物なんやねんねぇ?」
「これは、・・・ぐ!?」
「じっとしいや」
「なにしますん!?」
「なんやろなぁ」
その女は俺のネクタイを引き、あごの下にひんやりした何かを押し当てた。
「ちょっとだけほんまの話しよか」
「待ってください、姐さん!」
「なんやの。言うことききぃや」
「あごの下の、なんですの?」
「なんやと思うんよ」
「ピストルですか」
「物騒な発想やなぁ。流行のiPodかもしれへんやんか」
「そんな!?」
「どんな音鳴るんやろなぁ」
「待ってください!?」
「騒がしいのはもうたくさんなんや。静かにさしたろか?」
「あ、姐さん・・・」
「めんどくさいから最後の答えだけ訊くで」
「・・・」
「あんた、新堂んとこの差し金やろ」
「・・・」
「前から気になっててん。あんたの選んでくる服やらなんやら、なんか新堂んとこの嫁の趣味に似とる。あの女はあんまり好かんけど、なかなかセンスはええからなぁ」
「・・・」
「それ以外なんの確証もあれへんけど、あんたはちょっとできすぎてるところがあるんよ。スマートになんでもかんでもやり過ぎや。男衆は気にしとらへんみたいやけど、あたしは逆にそれがひっかかるんよ」
「・・・」
「嫌な女やろ。人気者の影にはなんかあるんやないかって。素直やないわ」
「・・・」
「結局のところ、どうなん?」
「・・・そんなことありません。姐さんの考えすぎです」
「ほんまに?」
「・・ほんまです」
「せやったら一発だけ打たしてもらってええか?大丈夫、ちょっとケガする程度やから」
「な、なんでですの!?」
「あたしのけじめやんか。ほんまかどうか、それで納得できるんよ」
「ほんまなんですよ、信じてください!」
「せやから、穴が空いたら信用するて。あごに穴空いても、餅でも食うたら塞げるやろ」
「無茶言わんといてください!?」
「ほな、いくで」
「あ、姐さん!?」
カチンッと音が鳴る。俺の頭の中は真っ白になって体中の汗が引いた。
「・・・」
「・・・」
「・・・あっはっはっは!びびっとる!あーおもしろ!」
女はひたすらカラカラと笑った。
「・・・」
「さっき言うたやん、からんだろって。せやけどこんなに引っかかると思えへんかったわ。あー、おなかいた」
「・・・姐さん」
「朝からいたずらが過ぎてもたわ。ごめんなぁ銀次。今度iPod買うたるわなぁ。一番新しいやつ」
「・・ありがとうございます」
「ほなこれからもまた遊んだってな。今日は堪忍やで」
「はい・・・」
女は持っていたものをさらりと着物の袖に収め、ゆっくりと俺とすれ違う。
「せやけど、銀次ぃ」
「・・・はい」
曲がり角に女の姿が隠れ、声だけが俺に届く。
「火遊びには気ぃつけなあかんで」
その女はまた、カラカラと笑った。