分かたれた道
蛍と手を繋ぐのは、これで何度目か。
蛍の手は愛より少し小さい。
つい「蛍は手ぇ小さいね」と言ってみたら、「そりゃ享年11歳だもん、俺」と返ってきた。
享年11歳といえば実際は10歳なわけで、愛より1回りも年下だ。
なのにとても10歳とは思えないなあと、愛が苦笑する。
すれているところとか、とくにね。
ぎゅっと蛍の手を握れば、包まれているような安心感にほっとする。
すっぽりと収まるくらいなのに、とても大きく感じるのはどうしてだろう。
思わず愛の口元に笑みが浮かぶが、けれどそれは一瞬で気鬱さに俯く。
たまらず嘆息すれば、愛の手を取って先を進んでいた蛍が振り返ってきた。
「そんな顔したってダメだよ。帰るって約束したでしょ」
「………したけどさぁ。でもやっぱり…」
「ダメったらダメ」
「ぶー!」
「愛、その顔ブサイク過ぎて超笑える」
「サッ、サイテー!」
「そうだよ、俺は最低なの。だから愛をここから追い出すの」
そのすぐさまに「ほら行くよ」と、愛に背を向けて蛍は進み出す。
愛の返事など聞きたくないといわんばかりのその背中に、ただついていくしかなかった。
なんであんな言い方するのかなあ。
ゆらゆらと浮遊して進む蛍の背を見遣る。そしてまた嘆息。
蛍はたまに、ああいう相手が答えに詰まるような言い方をする。
そうして詰まった隙に相手をうまく動かすのだから、本当にタチが悪い。
実際昨日の晩、蛍に上手く乗せられた愛も、今こうして彼に手を引かれている。
この森を出て、人里に帰るために。
そう、愛はこれから人の世に戻る。もう一度人として生きていくために。
そこまで考えて、ふと愛の頭に疑問が浮かんできた。
ぴたりと足を止めた愛に気が付き、蛍は振り返ってきた。
蛍の狐の面をまっすぐ見つめて、愛は口を開く。
「ねえ、蛍」
「なに?」
「蛍はこれからどうするの?」
「『どうするの』って……、ここにいるよ、ずっと」
蛍は首を傾げる。
「『ずっと』ってどれくらい?」
「んー…、呪いが解けるまで、だね」
「じゃあ、どうやったら呪いは解けるの?」
「さあ?」
「『さあ?』って……」
あっけらかんとした蛍に、愛は泣きそうになる。
どうして蛍は、自分のことに対してこんなにも他人事なんだろう。
そして他人には世話を焼く癖に、どうしてもっと自分には親身にならないのかと少し腹立たしくもある。
ぐっと唇を噛んで蛍を見据えたら、彼は困ったように肩をすくめた。
「本来解除法はさ、恨み呪った瞬間と同時に自分の中で定義付けられるんだ」
「定義…?」
「ん――…なんていえばいいかなあ」
うーんと蛍が首を捻って考える。
蛍にしてはその呪いを自身にかけた経験から、呪いと解除はこういうものだと無条件にわかるのだが、当然愛には伝わりにくい。
「……たとえば、愛が俺に呪いをかけるとして、呪う原因は俺の口の悪さだということにしよう」
「うん」
「んで呪うと同時に『もし俺がもっと優しかったら』って無意識にでもなんでもいいからそう強く願い望んだら、それが解除法になるんだ」
「……うー」
「さすが愛、要領が悪い」
「う、うるさいなあっ」
「まあ呪いを解く方法は、本人しか知らない。と思ってくれればいいかな」
ついでに自分の場合はこの面がその呪いの媒体にもなってるから、これが取れたときが呪いの解除のときになるんだけど…、と続けた蛍だったが、愛の表情を見る限りやっぱり分かっていないらしくて、もういいやと嘆息した。
けれどまだ愛は納得のいっていないような顔をしている。
うんうんとしばらく唸ってから、愛は首を傾げる。
「…じゃあ、蛍はどうして自分で解除しないの? その話通りなら、解除できるんでしょ?」
「普通ならそうだね。でも俺、死んでからの記憶は50年前からしかないんだ」
「えっ? なんで?」
「ずっと意識がなかったんだよ。50年前にふと意識が戻るまで、怒り狂って発狂してたから」
思わぬ蛍の言葉に愛は息を飲む。
けれど蛍本人はけろりとして、さらに言い放った。
「だから解除法は知らない。これで、納得してくれた?」
色を失いつつも頷いた愛の手をもう一度握った蛍は、今度こそ振り向かずに進み出だした。
半ば呆然としながらも、蛍に手を引かれれば愛もつられるように歩き出すしかない。
蒼白な愛を気遣っているのか、蛍の進みはずいぶんとゆっくりなものだった。
前を行く蛍の背を、震えるような思いで見つめる。
彼の背は、年相応で愛よりもよっぽど小さく細かった。
それでもあの背は、ぞっとするかのような闇を抱えているのだと痛感した。
それこそ蛍が言った通り、憎しみと恨みで4百年以上も発狂していたほどに。
彼は言った、解除法を知らないと。
それはつまり、永遠に蛍はこのままだということになる。
今まで縛られた5百年どこの話ではないだろう。
これからも蛍はその闇を、一人抱えていくのだろうか。