闇は過去を繋ぐ
その日の夕食は、昼間に採ったキノコと、川で捕った魚を葉に包んで蒸し焼きにしたものだった。
蛍の指示でそこらへんに落ちている石と泥を使って作ったかまどは、なかなか上出来だったらしく、夕食の魚はしっかり中まで火が通っていた。
ちなみに火は、愛が持ってきていたハンドバッグの中にあったライターから。
ほっくりと柔らかい湯気を上げた魚はとても美味しくて、愛は「こんなはずじゃなかったのになあ」などと思いつつも、魚に伸びる手が止まらない。
もぐもぐと頬張る愛の頭に、ふと疑問を感じた。
隣に座り、食べる愛を見ているらしい蛍にその疑問を投げかける。
「……ねえ、蛍」
「ん?」
「あの洞とかミカンが生ってるとことかがあるなんて、どうして知っていたの?」
蛍は物を食べたり飲んだりしない。睡眠もとらない。
なのに朝のミカンらしき果物の在りかといい、キノコが生えていた場所といい、魚がいる場所といい、本来蛍には不必要なものではないのかと思ったからだ。
首を傾げつつも食べる愛に、蛍が言い渡した言葉は愕然とするものだった。
「ああ。ここ、昔クマがいたんだよ。あの洞使ってたのもこの果物を餌にしてたのも、そのクマ」
「クマ!?」
「俺も見るのはじめてだったから、ちょっと興味が湧いてしばらく観察してたんだ」
魚を落としそうになるくらい驚いた。
たとえ動物園でしかクマを見たことがない愛だって、クマが雑食で何でも食べる動物だとは知っている。
その捕食対象に人間も含まれている、ということも知っている。
ぶるりと震えた愛の様子に、蛍は肩を竦める。
「『昔』っていったろ。今はもういないよ」
「えっ…ほ、ほほ本当…?」
「本当、本当。嘘つく理由がない」
「よ、よかった…」
「ほら、冷める前にとっとと食べなよ」
「うん」
確認のためにもう一度「本当に本当に本当よね?」と愛が聞けば、「しつこい!」と蛍に一蹴されてしまった。
蛍はちょっと怒りっぽいところが玉に瑕だなどと思いつつ、愛はようやく視線を膝の上に乗っている魚に戻す。
ほこほことまだ湯気が上がっているあたり、冷めきってはいないようだ。
串に見立てた頑丈な枝に刺さった魚を持ち上げて、あーんと口を開く。
しっかり咀嚼してから飲み込む。
白身な割にはとても脂が乗っていて、癖はなく非常に美味しい。
一緒に蒸したキノコも美味しいんだよなあ、なんて頬張りながらさっきの話を思い出せば、そこでまた新たな疑問が湧いてきた。
蛍が言っていた。
ここには昔クマがいた、と。
……蛍のいう『昔』とは、いつのことなんだろう。
けれど蛍に直接聞くのは躊躇われた。
たぶん蛍のいう『昔』という時間は、蛍がこの土地にいるという時間に直結するからだ。
一体どれくらいの時間をここで過ごしたか知らないが、彼が着ている服を見る限り数年やそこらではないのだろう。
とても昨日会ったばかりの人間が聞くべき話ではない。
けれどそんな愛の様子を、蛍が察知したらしい。
「……聞きたい?」
「え?」
「俺の『昔』話」
「いや、あの……」
「いいよ、話しても。どうせ愛には話すつもりだったからね」
心中を覗かれたのかと愛の声は震えたが、蛍の口調はいつも通りどこか飄々としている。
表情も愛は思い切り動揺してしまっているが、きっと蛍はいつもと変わらないのだろう。もっとも狐の面のせいで常時表情は知れないが。
つ、と蛍が夜空を仰ぐ。
まるで昔の生者だった頃の想いを探り出しているかのようだった。
夜空を背景にした蛍は、なんだかとても儚い。
きっと死者と生者の違いなのだろう。
揺らぐ輪郭は不安定で、まるで弱い炎のようだ。
一しきり仰いでいた蛍が、やがてその視線を地面に落とす。
一体彼が何を思い出していたのかは知れない。
「もうだいぶ忘れちゃってたなあ……」
「えっ、そう、なの…?」
「そりゃあね、3百…、いや4百年は前の話だもん」
「………」
「ま、聞いたこと、愛に後悔してもらうから」
覚悟して聞いてよね、と前置きをした蛍はゆっくりと話し出す。