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自分の性別の話

ノンバイナリーとか男女論とか思うこと

作者: 夜空アクエ
掲載日:2026/07/26

 僕が「ノンバイナリー」という言葉を知ったのはいつのことだったのか、記憶が定かではない。直近の記憶では、推しアイドルが「ノンバイナリー」だと、インタビューで公表された時。

 そこで初めて知ったと思っていたのだが、自分がその時に書いていたブログを読み返すと、「ノンバイナリーという言葉をまったく知らないわけではなかった」というようなことが書かれていた。僕にはその記憶がまったくなくて、なにでどういう感じで「知らないわけではなかった」のか、思い出せない。

 なので、推しアイドルが公表された時に知ったものだと考える。

 推しアイドルがノンバイナリーだと公表された時、公表される以前から、「あの人って実は女性なんじゃないのか?」という疑問があった。というか、そういう風に言われていることを匿名掲示板で見てしまっていた。匿名掲示板なんて見てもなんの得にもならない地獄のような場所だと思っているが、まあそれは偏見かもしれない。

 それはさておき、推しがノンバイナリーと知った時、僕の中にあったのは安堵だったように思う。話してくれて、公表してくれて安心した。疑問に感じていたことに答えを出されてスッキリした、という感じもあった。

 推しがそれを公表してもいいと判断されたことが嬉しかった。ファンのことを信頼されているのだなと感じた。

 そして、それと同時に僕は色んな感情を思い出した。自分が過去に男の子になりたかったと思っていたこと。女の子に恋をしてた時期があること。スカートを履くのが嫌だった時期があること。様々な自分の性別に関するアレコレが、脳裏をよぎった。

 推しには、お手紙で何度かそういうことを伝えている。推しはエゴサをたくさんされているようで、伝えていないことまで知られている。

 推しがノンバイナリーだと公表されてから、自分も、できることならノンバイナリーになりたいと思った。

 試しに一人称を「僕」を使うようにしてみたり、男装っぽく見えるような服装をしてみたりした。一人称なんて「私」でも「俺」でも「僕」でも、実際、男女関係なく使われてるんじゃないかと思う。だから一人称はなんでもいいような気もするが、僕は僕がいいなと思った。

 私という一人称はオンナを感じさせられる気がした。俺とか僕とか、いっそ「自分」とかを一人称にするのが、気持ちいいなと思う。

 男装っぽく見えるような服装。髪型をオールバックにして、かっこよく見えるようにした。ウィメンズのブランドのシャツとズボンを着て、かっこいいと思われたかった。

 でも、胸は潰してはいなかったし、本気で男装と思って男装をしていたわけではない。あくまでも、ちょっとパッと見でオトコっぽく見えたらいいな程度のコーデのつもりだった。

 その「かっこいいコーデ」で、推しのライブを見ていた時、僕の方を見て「オトコだと思った」と通りすがりに言われたような声が聞こえた気がした。それはちょっとかなり嬉しいことだなと思った。

 推しアイドルたちは、そんな恰好をした僕のことを見て、「すごいかっこいい!」「イケメン!」と褒めそやしてくれた。ものすごく肯定されたような気がして、心の底からめちゃくちゃ嬉しかった。

 女の子として生きていて、かわいい服を着ることの方が多くて。かわいい服を着ることを自分は楽しんでいると思っていた。いや、楽しんでいる。それはそれで楽しいのは楽しいのではある。

 ロリィタ服に憧れる気持ちを中学生から抱えていて、一時期はスチームパンクにも憧れて、そういう服装をしてみたいと思った。それは自分で選んだ自分の好きなことだから、それは楽しい。

 でも、制服でスカートを履くとか、女性だからメイクをするのはマナーであると押し付けられるとか、そういう社会的なジェンダーの押し付けが大嫌いだ。私はなにかを押し付けられることが心底から嫌なんだ。

 社会の押し付けでヘアカラーをできないのも嫌だった。いやそれは今は関係ない話題か。

 とにかく、女らしくしろとか、女性だからとか、そういう押し付けが嫌で嫌でたまらなく嫌だった。

 女にすね毛が生えていてなにが悪いのか。人間なんだからすね毛くらい生えている。女だから剃れだの、あまつさえ女にすね毛なんてありえないだのとのたまう輩は去ってほしい。

 なんなら脇だって毛を剃っていないし、腕にも指にも毛は生えているし、髭だってうっすら生えている。それらを全部、処理するのが当たり前という社会の空気。それが息苦しくてたまらない。

 もちろん、外見はキレイな方がいいとは思う。でも、すね毛も腋毛も腕毛だって服を着れば隠れるんだから問題なくないですか。指毛はさすがにカバーしきれないからまあ指くらいは剃るか……とは思う。

 っていうかすねどころか太ももまで毛が生えている。太ももの毛まで剃らなくてはいけないのか。毛を剃るということがどれだけの重労働なのかわかっているのかと言いたくなってしまう。

 いや、そんなことも本当はどうでもよくて。よくないけど。

 私が嫌なのは、社会からのジェンダーロールの押し付けなんだろうなと思う。社会に求められる「オンナ」が自分とはかけ離れすぎているように感じる。自分はオンナでいたくない。

 オンナでいたくないというなら、じゃあオトコになりたいのか、というと、それも違う気もする。

 そもそも現代の技術で完全に性転換をすることはできない。いや、手術をして、戸籍の性別欄を変えることができるというのは知っている。

 でも、見せかけだけの手術をしたところで、オトコとしてオンナと子供を作ることはできないじゃないか?

 と、ここまで文章を打っていて、もしかしたら自分のその認識が間違っているかもしれないと思いグーグル検索を開いた。卵子凍結……? 何かそういう手段はあるらしい。

 自分は別に子供は欲しいとは思っていない。自分は発達障害、ASDなので、子供を持つべきではないと思っている。子供なんてまともに育てることが自分にはできないと思っている。自分ひとりのことすらままならないのに、子供の人生なんて背負えるわけがないだろう。

 だから子供が作れる作れないはさして問題ではないのだが、手術でオトコの見た目を手に入れたとしても、トイレやお風呂、そういうものはどうするんだろうなという心配がある。まあ銭湯や温泉など誤解の生じそうな場所は避けていくしかないんだろうなと思う。それは別にいい、元からそんなに好きではない。

 トイレは……本当にどっち……? いや、見た目が男性になったなら男性でいいとは思う。男性の見た目で女性トイレに入っていいわけがない。でも、女性だった時期のある人間が男性トイレに入っていいのかとも思ってしまう。

 今は性別によらないだれでもトイレという存在もあるにはあるが、まだまだ普及しきってはいない。

 そして、僕は今もうけっこうな年齢の大人ではある。今まで人生、数十年、オンナとして生きていた。今更オトコになることが、本当に幸せなのかという疑問もある。

 オトコになりたいわけではない、と思う。かといって、オンナでいたいとも思えない。

 オンナでもオトコでも、どちらでもないものになれるなら、それがベストだと思う。だから、僕はノンバイナリーになりたい。と、今はそう思っている。

 性別のことに限らず、人生って生きていく内に考えが変わることはままあることだ。だから、今はそういう風に思っていても、この先の人生で生きていって変わることもあるだろう。

 やっぱり女として生きていく方がいいや、と思うのか、やっぱり男になりたい、と思うのかはわからないけど。

 今のところ、まとまったお金ができれば胸の切除手術はしたいと思っている。でも、胸を切除するだけにしたいと思っている。そういうことができるのか把握していないけど。

 オトコになる手術をしたいわけじゃない。ただ、胸って邪魔だと思う。

 胸はお洋服のラインにけっこうな影響が出る。胸を潰すシャツの存在は知っている。胸を潰せばいいだけだとも思う。でも、そもそも自分の体に膨らんだ胸があることが嫌なのだ。

 生理が来るたびに、否が応でも自分はオンナなんだと思い知らされる。だからできれば子宮も取り除いてしまいたい。子供なんて欲しくないのに、生理なんて来るのは理不尽だと思う。

 思い返せば小さい頃、小学生の頃から、男女のどちらかを選ぶことが嫌だった。男女どちらでもないものになれるならなりたいと思っていた。

 同世代の女子は身に覚えがある人も多いのではないかと思うが、一時期プロフィールに「生物学上は女」と書いていた。いや、同じ世代を生きていた女子の多くは、こんな悩みを抱えていなくても、そういう風に書くのが流行りだったからそう書いていたと思う。

 でも、自分は本当に「生物学上は女だけど女だとは扱われたくない」というような気持ちで「生物学上は女」を使っていた。と、思う。昔のことだからハッキリとは覚えていないけど。

 自分はよく自分のことを「成人済みキッズ」と表現している。少年マンガや女児アニメ、いわゆるキッズ向けコンテンツが大好きだから。でも、それももしかしたら、男女を選びたくないからなのかな、とも思う。

 大人になったら、男女どちらかを選ばなくちゃいけないと思っていた。思っているのかも。子供だったら、子供のままだったら、男女関係なく遊べると思っていた。男女関係なく友達になれると思っていた。思っている?

 子供って、性別に関係なくはしゃげると、思いたい。

 でも、それは、自分が男女二元論に囚われているんじゃないかなと思う。男女二元論に囚われているから、どちらかにならなくちゃいけないと思う。どちらかになる必要はないのに。

 どちらかになる必要って、ないんだろうと思いたい。どちらでもない、を選べるなら、どちらでもない存在になりたい。

 でも、いわゆるマンガのアンケート、ゲームのアンケートなどでは、マーケティングとして性別というものが重要なんだろうと思うから、そういう時は生まれの性別である女を選ぶしかないと思っている。

 自分が生まれた時の性別って自分で選べないのに、自分で選んだことかのように社会から押し付けられることが、理不尽だと思ってしまう。ゲームみたいにパッと切り替えられたらいいと思う。

 自分の理想としては、ゲームみたいに変えたくなったら変えられるのがいい。でも、それはそれで社会が混乱しそうだとは思う。トイレとかお風呂とか。

 いや、そもそも性別に関してはゲームの世界でも、一度選択したら変えられないパターンも多いような気もする。性別までパッと変えられるゲームって、そんなにないような、いや、僕はゲームに関しては女児向けアーケード以外は専門外なのでよくわからないけど。

 女児向けアーケードゲームが好き。もう十年以上ずっと女児向けアーケードゲームで遊び続けている。そういう時は、自分の生まれの性別が女でよかったと思う。男性が女児向けアーケードゲームをやるのは、少しリスクがあるような気がしてしまう。そういう偏見もなくなればいいなとは思うけど、それはまた別の話。

 社会から女らしさを押し付けられることは嫌でも、自分で選んだ女児向けアーケードゲームやロリィタ服など、自分が好きで選んでる女の子らしい趣味に関しては、喜んで心の底から自分でやっていると思う。かわいい服を着ている時にかわいいって褒められるのは嬉しい。

 でも、「いい女だな」って褒められるのは、少し嫌だ。女だなという扱いはされたくないと思ってしまう。どうしようもなく自分は女なのに。

 けど、だから、でも。オンナでいたくないなと、思う。オンナでいることが、苦痛だ。

 かわいいって言われるよりイケメンって言われる方が嬉しい。男前って言われたい。

 男装っぽいコーデで推しアイドルに会いに行った時、「男前」だと言われた。それってちょうどいい言葉だなと思った。僕はオトコになりたいんじゃなくて、男前になりたいんじゃないかと思った。

 男前になりたい。イケメンになりたい。「イケメン」と言われた時もかなり嬉しかった。単純に「かっこいい」って言われるのも嬉しいけど、「イケメン」と「男前」が特に嬉しかった。

 かわいい恰好をしている時に、かわいいって言われるのは嬉しい、と思っていた、はずだった。

 つい先日、かわいい恰好で推しに会いに行って「かわいい」と言われた時、なんか違うかも、と思ってしまった。なんだか少し、複雑だった。心が折れたような、折れるまではいかないまでも、違和感のような。

 推しに「かわいい」って言われるのは、嬉しいはずだった。でも、なんだか、その言葉に、「かわいい女の子」という意味まで含まれているように感じたのかもしれない。だから、嫌だったのかもしれない。

 「かわいい」は今や女子でも男子でも関係なく使われる言葉だ。かわいいと言われるのはいいと思う。でもそこに「女の子」という文脈が乗ってしまうと嫌になるのかもしれない。

 オンナ扱い、されたくないのかも。でもそんなことを言っても、推しにとっては私はかわいい女の子なんだろう。今更そこを覆すのは、難しいのかなとも思う。

 推しは配信で以前に自分が自炊してるとコメントすると「調理女子いいね~」と言われた時があった。「調理女子」……なんともまあ、なんと言えばいいものか。推しに悪意はないとはわかっている。悪意なんてものはない。自分もこの書き方だと誤解を招くかもしれないが、推しを責めたいわけではない。

 ただ、なんか、なぁ、と思ってしまうだけではある。女子だから調理をしているわけではない。自炊をする必要があるからしているだけなのに、調理女子と言われる、そのことが嫌なのではある。

 女子、と扱われたくない。女の子でいたくはない。でも女の子でいられてよかったと思う時もある。

 結局は、自分で選べず周りから押し付けられることが嫌なのかなとは思う。押し付けられたことではなく、自分で選んだものなら、かわいいスカートだって愛せるのだ。

 メイクをするのは嫌だ。マナーとして押し付けられるメイクには抗いたい。でも、メイクをすることで顔がキレイに見えるようになるなら、それはしたいかもとは思う。

 ちょっと前に、推しに、「メイクしないの?」と言われたことがある。それはオンナだからとかではなくて、メイクしたら似合いそうなのに、という善意だった。でもオンナじゃなかったらメイクしないのなんて言われないだろそもそも、とはちょっと思う。

 それはさておき、推しにそう言われたから、メイクをしてみようかとアイシャドウを買った。他にもコスメをいくつか買った。最近はそれを試している。

 でも、自分でキレイにできているとは思えないし、楽しくできているのかはわからない。とりあえずアイシャドウを目立つように塗っていればどうにかなっていると思っている。

 そもそも自分はコロナがまだ落ち着いてはいないと思っているからマスク生活を続けているし、というか、マスクをしていないと落ち着けなくなっているからマスクを外せない。だからメイクをすると言ってもリップは塗らないし、ほぼほぼマスクで隠れる部分も多い。だからアイシャドウだけきっちりやっていればいいやという思考になる。

 それでメイクを楽しめるわけがないとも思う。いや、アイシャドウだけでも楽しくメイクはできなくはないかもしれないが……。

 皇子ロリィタというものを着てみたい。王子様になりたい。そう思う時もある。

 髪型のバリエーションを増やしたいけど、ヘアカラーは社会的に許されなくてできないから、ウィッグを試してみようかなと思うことはある。メンズっぽく見えるウィッグがいい。でもそれはコスプレの範疇になってしまうのではないかとも思う。

 髪型もゲームみたいにパッと切り替えられたら、ものすごく楽ですごくいいのにな、と思う。坊主にだって一瞬で切り替えられてロングヘアーに一瞬で切り替えられる、そういうのが理想。

 現実はゲームみたいにはいかない。それはそう。

 自分がこういうことを言っておきながら、実際、オンナとして生きていくことを選んでいるのは、結局、周りの目が怖いからだと思う。周りの目を気にしすぎている。自分はそうやって生きてきてしまった。

 たまに男装っぽいコーデで出掛ける時も、周りの目がすごく怖い。周りからなにか言われやしないかと、すごく怖い。

 でも、推しが「かっこいい」と肯定してくれるから、息ができる。生きていける。そういう恰好をしてもいいんだと思える。

 推しにはお手紙で気持ちを伝えている。考えすぎだと、心配性なんだと言われた。確かにそうだと思う。自分は周りを気にしすぎていて、考えすぎていて、心配しすぎている。

 何を心配しているのか、と言われると、人を傷つけることが怖いし、人に傷つけられることも怖すぎる。人を傷つけたり傷ついたりするくらいなら、一人でいればいいと思ってしまう。

 でも、それでは幸せにはなれないのかもしれない。

 自分はよく、他人と自分を比べてしまって落ち込むことが多い。自分はダメな人間で、この世界に存在していてはいけないんだと思う。

 それは、性別がどっちつかずだからだとか、そういうことだけではないけど、そういうところも含めて、自分は世界に存在を許されていないと思う。

 発達障害だからとか、ASDだから、うつ病だからということもある。私はASDとうつ病で障害者手帳を持っている人間だ。

 それによる生きづらさ、息苦しさもあるんだろう。それは思う。

 障害者を支援する施設に通って色々しているが、生きづらさ、息苦しさを根底から拭えてはいないと感じてしまう。人の性格って、変えようと思えば変えられるものらしい。

 でも、僕はそういうことを学んだつもりになっても、性格を変えることをできていない。

 お手紙を読んだ推しには、少しずつ前向きになっていると言われた。そうなのかな。推しがそう思うなら、そうだったらいいなと思う。

 少しずつでも、前向きに、人生を楽しむことができたらいいなと思う。自分を好きになれたらいいなと思う。

 私は自分のことが嫌いだ。自分の体が嫌いだ。どうしようもなくオンナである自分の体が嫌いだ。

 でも、それだけじゃない。自分の心も嫌いだ。どうしようもなく弱くて、臆病で、周りの目を気にしてばかりで自分の本心を後回しにしてすり潰してしまう、自分の心が嫌いだ。

 自分の本音を押しつぶすことをずっとしてきたから、心がひしゃげて歪んでいる。自分の本音が見えなくなっている。

 僕はいわゆるアダルトチルドレンなんだと思う。あるいは愛着障害。かもしれない。

 とにかく、人の愛情を無条件に信じることができなくて、受け止められなくて、歪んでいるのだ。

 人の愛情をしっかり受け止められるようになりたい。そのためには、まず自分を愛せるようにならなくちゃいけない。

 自分はちょっと、考えすぎなんだと思う。考えすぎて、考えすぎているから、行動に移せなくなっている。行動をしなくちゃいけない。そうは思っても、何からどうすればいいのかわからない、なんて思ってしまう。

 できることをやればいい。そう思う。できることってなんだろう? わからない。

 わからなくても、やりたいことを、選んでいくしかないんだと思う。自分の本音を大事にして、自分を愛せるように、自分を好きになれるように。そう思って生きていくしかない。

 自分を愛するということ、考えたい。いや、考えることではないのかもしれない。そういうのって、深く考えるようなことじゃなくて、ただ素直に、わがままに、自分はこれでいい、これがいいと選ぶだけでいいのかもしれない。

 でも、僕にはそれがとてつもなく難しく感じる。人生って、多分もっと自由でわがままでいい。

 自分が好きなものを、好きなように、好きに、選べばいい。それだけのことが、難しく感じてしまう。

 考えすぎているから。心配しすぎているから。不安に囚われているから。

 なんか……人生って、自分の好きに、生きるべきなんだよな……。

 言葉がまとまっていない気もするけど、今回はこれで終わりにしたい。これを「エッセイ」として世に出すことは果たして正しいのか、という疑問もある。こういうのはブログに書くだけにするべきかもしれない。

 でも、エッセイとして残しておきたかった。だからこうして書いている。

 このエッセイシリーズは、まだ続くかもしれないし、これで終わりかもしれない。どうせまだまだ悩むとも思う。また書きたくなったら書くし、書きたいとならなかったら書かない。

 これからも、多分、私は、考えすぎながら生きていくけど、考えすぎないで行動に移せたらいいなと、思う。


〈了〉

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