送還失敗個体 俺だけ帰れないんですか!?
ようこそ定命の子らよ。
汝らは勇者として選ばれた——
その声が響いた瞬間、俺はようやく、自分が見知らぬ場所に立っていることを理解した。
真っ白だった。
床も、天井も、壁すら存在するのか分からない。
上下感覚さえ曖昧になるほど、どこまでも白が広がっている。
さっきまで教室にいたはずだ。
六限目の途中、眠気と戦いながら教師の話を聞き流していた記憶がある。
なのに次の瞬間にはこれだ。
周囲にはクラスメイトたち。
みんな状況が理解できていないのか、不安げに辺りを見回している。
そして、その中央。
いかにも“それっぽい”爺さんが立っていた。
長い白髭。
金糸の刺繍が入ったローブ。
無駄にデカい杖。
いや待て。
知的な俺が分析するに——こいつ、神だ。
「察しているだろうが、我は神だ」
メリッ。
……ん?
何か変な音がした。
だが、そんな小さな違和感よりも、今は目の前の状況だ。
なるほどなるほど。
つまりアレか。
俺たちはこれから異世界に転生して、チート能力を授かり、魔王を倒せとかそういう感じか。
理解した。
「この世界は魔王により崩壊の危機にある」
メリメリッ。
ほら来た。
やはり俺には勇者の素質があったのだろう。
中学時代に授業中ずっと妄想していた甲斐がある。
「待ってください!」
突然、鋭い声が響いた。
見ると、クラス委員長が前に出ていた。
真面目で成績優秀、教師受けも良いタイプの女子だ。
「急にそんなこと言われても困ります! 私たちは普通の高校生ですよ!?」
あー、まぁ分かる。
確かに現実で命懸けは嫌だ。
俺もネットとエアコンのない生活は厳しい。
というか、さっきから妙な音しないか?
メリメリって。
なんかこう……壁が破られるみたいな。
「安心しろ。汝らには過酷な世界を生き抜くための力を——」
メリメリメリッ。
今度はハッキリ聞こえた。
しかも近い。
「——授け、ブフェッ!?」
神が吹っ飛んだ。
文字通り、横に。
白髭をなびかせながら数メートル転がっていく。
一瞬、誰も理解できなかった。
そして。
「ギャハハハハハハハハ!!」
耳をつんざくような笑い声が空間に響く。
そこにいた。
いつの間に現れたのか、全裸の男が。
筋肉質な身体。
全身に走る古傷。
血走った赤い目。
そして何より、雰囲気がヤバい。
本能が警鐘を鳴らしていた。
あれはダメなタイプだ。
関わっちゃいけない生物だ。
「ま、待て貴様、なぜここに——ブベァッ!?」
「アイルビィィィバァァァック!!」
男の拳が神の顔面にめり込む。
「死ねクソ神ィィィィ!!」
テンションが終わってる。
男は笑いながら神を殴り続けていた。
拳が叩き込まれるたび、鈍い音が響く。
殴る。
笑う。
殴る。
笑う。
地獄みたいな光景だった。
クラスメイトたちは完全に硬直している。
泣き出す女子までいた。
そりゃそうだ。
異世界転生の導入で神が撲殺されるなんて誰が想像できる。
やがて神の身体が光に変わり始めた。
輪郭が崩れ、砂のように粒子となって消えていく。
断末魔すら途中で途切れた。
静寂。
俺はたぶん、一生忘れない。
あの瞬間のクラスメイトたちの顔を。
「……あ?」
男の視線がこちらを向いた。
ひっ、と誰かが息を呑む。
ヤバい。
絶対ヤバい。
この男、人を殺すことに躊躇がない。
いや多分もう何百人も殺してる。
だが男は意外そうに眉をひそめただけだった。
「あー……あのクソ神に呼ばれた奴らか」
男は頭を掻きながらため息を吐く。
「安心しろ。お前らは元の世界に返してやる」
……なるほど?
どうやら敵対するつもりはないらしい。
まぁ、確かに異世界転生には少し憧れていた。
チート能力。
冒険。
美少女。
俺TUEEEE。
男なら誰でも一度は夢見る。
だが、それはあくまで創作だから面白いのだ。
現実なら話は別。
衛生環境も怪しいし、娯楽も少ないだろう。
ネットもコンビニもない生活とか無理だ。
あと俺は枕が変わると寝られない。
男は何やら低い声で詠唱を始めた。
空気が震える。
周囲に淡い光が集まり始めた。
おお。
これが魔法か。
「感謝しろよ? 《テレポート》」
視界が白く染まった。
身体が浮くような感覚。
次の瞬間。
俺は目を開け——
「……あ?」
目の前に全裸の男がいた。
「え?」
数秒、沈黙。
「待て待て待て待て!! なんで戻ってねぇんだよ!!」
「知りませんよ!! どういうことですか!?」
周囲を見る。
誰もいない。
クラスメイトたちは消えていた。
俺だけが、この白い空間に残されている。
男は露骨に嫌そうな顔をした。
「範囲から漏れたか? いや……」
ぶつぶつ呟きながら俺を見る。
「もしかしてお前、妙に強いのか?」
知らんが?
「……まぁいい。もう一回やる」
男は再び詠唱を始めた。
先ほどよりも強い光が集まっていく。
「魔法を強めてっと……感謝しろよ? 《テレポート》」
再び光。
そして——
「やぁ」
「なんっでだよッ!!」
景色は一ミリも変わっていなかった。
男はついに眉間を押さえ始めた。
「あーもう……ちょっと見せろ」
次の瞬間。
男の目が赤く光った。
鋭い光。
まるで獣の眼光みたいだった。
おお。
かっけぇ。
もしかして鑑定スキルとかか?
「違ぇよ。魔力を見てるだけだ」
どうやら声に出ていたらしい。
しかし魔力を見る目か。
いいなそれ。
男はしばらく俺を観察していたが、やがて納得したように頷いた。
「なるほどな」
嫌な予感しかしない。
「すまん。お前、元の世界に返すの無理だわ」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
叫び声が白い空間に虚しく響き渡る。
「嘘でしょぉぉぉ!? そんなことあります!? え、どうするんですか俺!? このままずっとこの空間で過ごすんですか!?」
嫌なんだが!?
何もないじゃんここ!
白い!
広い!
終わり!
たったそれだけだ。
絶対無理だ。
一日いたら発狂する自信がある。
というか今ですら若干気が狂いそうなのに。
男はそんな俺を見ながら、ケラケラ笑っていた。
「いや、元の世界に戻すのは無理だが、異世界に落とすことならできるぞ」
「……へ?」
男は軽い調子で続ける。
「穴開けて落とすだけだからな。送還より遥かに楽だ」
おお。
おお!?
希望見えてきた!
「まぁ、その場合」
男はニヤリと笑った。
「普通に死にそうだが」
「ヤバいじゃないですか!?」
即答だった。
「ギャハハハハハ!!」
笑ってやがる!
「人事だと思ってこの変態全裸野郎がぁぁぁぁ!!」
「ウケる」
こいつ絶対性格悪い。
というかなんなんだコイツ。
神を撲殺するし全裸だし人の人生で遊ぶし。
許せねぇ。
この変態野郎、人の生き死にがかかってるのに適当に答えやがって。
いつか絶対ぶっ殺して——
「あ?」
男の目が細まった。
「迷宮の最下層に落とすぞ。いいのか?」
「すいません」
秒で謝った。
怖い。
この人マジでやるタイプだ。
男は鼻で笑う。
「まぁ許してやるよ。最下層は勘弁してやる」
男は面倒臭そうに肩を回した。
「俺も時間ねぇんだ。さっさと送るぞ」
その足元に、赤黒い光の輪が浮かび上がる。
おお……。
魔法陣だ。
本物だ。
ちょっとテンション上がるな。
「……あの、初期装備とかは?」
異世界転移と言えば重要だろそこ。
剣とか。
チートアイテムとか。
せめて服とか。
しかし男は呆れたようにため息を吐いた。
「俺は神じゃねぇんだ。あるわけねぇだろ」
「そすか」
使えねぇぇぇぇ。
「あと」
男がニヤリと笑う。
嫌な予感しかしない。
「俺、心読めるからな」
「え?」
「お前、迷宮中層行き決定だ。頑張れよ」
「待って待って待って!! 嘘でしょ!? すいません! 謝るんでぇぇぇ!!」
「だめだ」
即答。
次の瞬間。
俺の足元の空間が、バキリと割れた。
「うぉぁぁぁぁぁぁ!?」
身体が宙に投げ出される。
落ちる。
下は真っ暗だった。
風圧が全身を叩く。
「変態クソ野郎ぉぉぉ!! いつかぶっ殺してやるぅぅぅぅ!!」
遥か上から男の爆笑が聞こえた。
「頑張れよぉぉぉ!! ギャハハハハハハ!!」
マジで覚えてろよあの野郎!!
◇
どれだけ落ちただろうか。
ふと、身体が軽くなる。
次の瞬間。
「——ぶべっ!?」
俺は石畳の上に顔面から突っ込んだ。
痛ぇ!!
鼻が!
鼻が終わった!!
「いっっったぁ……」
涙目になりながら顔を上げる。
そこに広がっていたのは——街だった。
石造りの建物。
見たこともない文字の看板。
剣を腰に下げた冒険者っぽい男。
耳の長い美人。
露店から漂う謎の匂い。
異世界だ。
マジで異世界だ。
「……あれ?」
俺は周囲を見回す。
迷宮は?
モンスターは?
中層は?
普通に街なんだが?
「…………」
まさか。
ひらり、と紙切れが頭の上に落ちてきた。
嫌な予感しかしない。
拾い上げる。
そこには乱雑な字で一言。
『嘘だよバァカ』
「…………」
ビキッ。
額に青筋が浮かぶ。
べりっと、紙を破り捨てた。
「死ねぇぇぇぇぇぇぇッ!!」




