8 水を確保せよ
「どうぞ」
そう言って差し出されたココナッツの実だったが、その重たい実をどうすればいいのかフィーアは分からなかった。
ぼさぼさの皮の着いた大きな実は、斬られたところもまだまだ硬い皮で覆われている。果たして果肉なのか皮なのかも分からない。
そこに、何やら穴が開いている。さっきラセルがナイフでこじ開けていたところだ。
「これを……えっと……?」
「中に果汁が入っています。飲んでください」
フィーアは穴に恐る恐る口をつけ、実を傾けてみた。
中からは甘ったるい、蜜のような水が出てきた。
実はとても喉が渇いていたので、美味しく感じる。——ただ、ものすごく甘い。
ごくごくと何口か飲んで、思わず渋い顔になったほどだった。
「——はい」
「全部飲んでください」
半分くらい飲んで渡したのに、ラセルはそれを押し返した。
「え、でもラセルだって、喉が渇いたでしょう?」
「私は訓練しているので、まだ平気です」
「喉が乾かない訓練ってどうするの」
「いいから飲んでください。水源を探しに行きます」
「駄目よ。ラセルの方が体が大きいんだから、私より飲まないといけないはずよ?」
譲らない、と言うような強い口調に、ラセルは短い溜息を吐いた。フィーアからさっとココナッツを受け取ると、一口口に含む。そしてまたそれをフィーアに返した。
「頂きました」
「え、今飲んだ?ふりじゃなくて?」
「飲みました」
「そんな、濡らしただけじゃない……?」
「十分です」
そう言ってラセルはごそごそと鞄を漁った。
「実は、ここに水を精製する魔道具があります」
「まあ!」
だったらそれを使えばいいじゃないか。
「ただ、海水から真水を精製するには魔力が非常に多くなります」
魔道具の出力を上げるという事は、それだけフィーアの影響を受けやすくなる、という事だ。かなり離れないと難しい。
「なので、できれば湧水を探したいんです」
通常、湧水であれば煮沸や濾過をして飲料水にする。清潔に慣れているフィーアにはそれでも心配なくらいだった。だから、水をきれいにする程度に魔道具を使えれば安全に水が飲めると踏んでいる。
真水を浄化するくらいなら、少し離れたくらいで使えるだろう。
「湧水ってどうやって探すの?」
「水は土の下にあるので、それが出て来る場所——谷を探します。あとは、水を必要とする種類の植物の下」
ラセルは丁寧に教えてくれる。
「実は少し目星をつけています」
「えっ、探索で?」
「濡れた岩があったので、その周辺を探してみようかと」
ラセルが手際よく鞄に荷物を積み込んでいった。
フィーアが収穫したものも上手に仕分けして詰めて行ってくれる。
鞄はパンパンになったけどちゃんと入った。くるくると綺麗に収納して詰め込んでいく作業はまるで魔法のようだけど、フィーアの横でやったから違うのだろう。
「飲んだら行きましょう」
「あ、ええ」
ラセルは待ってくれていたが、フィーアは急いで手のココナッツを飲み干した。
密林を2人で少しずつ歩く。それは予想以上に大変だった。
まず、道の起伏が激しい。いや、道とも言えない植物の密集地だ。上ったと思ったら下るし、気を抜くと崖になっているし。そこをラセルが慎重に踏んで小さな道を作って先導してくれる。
密集しているから視界も悪いし、湿気もあるから足元がぬかるむ。
10分も経たないうちに、空気は重く、汗がどんどん流れて行った。
さっき水分を取っていなかったら倒れていたかもしれない。だからラセルが心配になったが、後ろから見る限り、ラセルの足取りには全く疲れが見えなかった。
「休みますか」
時々ラセルが振り返って尋ねてくれる。その顔も涼しい顔だ。
「なんの、これ、しき……」
はあはあとフィーアが呟いているのを聞いて、やや呆れ顔に変わった。
一体どこでそんな言葉を覚えてくるんだ。という顔だ。
そう思いながらも、杖にちょうど良さそうな棒を拾って渡してくれた。それをつきながら歩くと少し楽になる。
「すごいわ。ご老人が杖を突いているのを見て、あんな細いもの、本当に役に立っているのかしらって思っていたけど……これは、楽ね」
「喋らない方がいいですよ」
ラセルがそっけないので、フィーアは口をとがらせながらも黙った。
とはいえ、それほど歩かなくても、どうやら目的地にたどり着いたらしい。
「——よく辿り着いたわね」
赤黒い岩がせり立っている少し開けたところに出て、ラセルが止まった。岩からは確かにぽたぽたと雫が垂れている音がする。下の方なので岩の雫の先は見えない。
四方八方、密林の中は同じ景色に思うのに。
「目印が」
ラセルはそう言って来た道を指したが、フィーアにはよくわからなかった。木の皮が少しめくれているような、いないような。
「ここで待っていて下さい」
ラセルは器用にあちこちの枝を掴みながら、ざざざ、と降りて行った。
岩を覆っている落ち葉をのけたり、軽く地面を掘ったりしているようだ。そのうち一か所に目星をつけたようで、持っていた剣の柄を何度か振り下ろす。
ごとっ、と重い音がして岩の一部が転がった。するとぽたぽたと垂れていた雫が、ちょろちょろという水に変わる。
「——まあ、すごいわラセル!」
まるで岩が水道のようだ。ラセルが水を生み出したようだった。
ラセルは水の流れる先まで降りて行って、足場を確認する。かなりぬかるんでいるが、岩場なので立つことができる。水たまりにはなっていないから、岩の隙間からまた地下水脈へ流れていくようだった。
手に取ってみると、ひんやりと冷たい水の感触がする。頭からかぶると、生き返るようだった。
「ねえ、そっちに行ってもいい!?」
フィーアが叫んでいる。
「ぼーぞ」
上を向いて口を開けて直接水を流し込む。特に苦みもなく、むしろ甘さすら感じるようなすっきりとした水の味だった。
それだけ確かめてから、ラセルはフィーアに手を伸ばした。ずぶ濡れの状態だが、元々汗で相当濡れていたから、見た目は変わらないだろう。
負担がないようにフィーアをさっと抱えて、水の側まで下ろした。
羨ましそうにそのまま近寄ってくるフィーアに念を押す。
「触ってもいいですが、飲まないでください」
「えっ!ラセルは飲んでたじゃない。私も上向いてアーってしたいわ」
「駄目です。おなかを壊します」
フィーアはぎゅっと眉を寄せて何とも言えない顔になった。が、大人しく手ですくって顔や手足を洗うだけにしていた。
屋敷にいた時よりは随分と聞きわけが良くなっている。