30 夜の海岸
夜も更けて、薪を足すのももう4度目くらい。
うとうととしながら海面近くの空を見ていたフィーアは、ふと目を凝らすようにして夜空を見ていた。
「——どうかしたか?」
「あの、赤い星」
フィーアが指さした方角には、一際輝く赤い星が密集していた。
「——あ?ああ、目立つな」
「あれ、『南海の失われた書架』じゃない?」
聞かれても、ラセルには全く馴染みのない言葉だった。
「南海の——なんだ?」
「星座よ。冬の間に、南西諸島で1カ月だけ見える星座。神々の書物がそこにしまわれているっていう古代神話の元になった星座よね。——わあ……実物を見る日が来るなんて」
フィーアは感動しているらしいが、星座の知識も、それにまつわる神話も全く知らないラセルにとってはなかなか共感できない所だった。
「——まてよ、南西諸島と言ったか?」
「そう。それも、海面ギリギリに現れて、数時間で消えてしまうの。1月にもなると数分しか見れなくってね。南大海ならずっと見れるらしいんだけど——あ」
フィーアも言っていて、気づいたらしい。
ラセルは手近な棒で世界地図を描いた。
「ここが王国のある大陸、それから南西諸島はこの辺り……」
フィーアがその棒を受け取る。
「今の時期は、12月だから……」
先ほどから見えていたその星座はもう半分が地平線に消えている。
「真夜中の30分だけ見れると言うことは……ええと」
フィーアは棒で南西諸島の一部をぐるりと囲った。
「この辺り、かしら」
「ここは……」
ラセルはじっと砂に書かれた地図を睨んだ。
「そんなはずはない。この辺りは南西諸島と言うだけあって、船で行き来できるほどに島々が密集している地域だ。無人島も多いが……島影が四方全てに見当たらないほど離れている場所ではない」
「見えていないだけ、とか……?」
フィーアもここに来るまでは魔道具を知らなかったが、今ではそれで姿を隠したり、声を消したりできることを知っている。よくわからないが見えなくなる魔法だってあるだろうと容易に想像できる。
フィーアの言葉に、ラセルははっとする。
「それだ」
隠遁の魔法を島全体に掛ければ。もしくは、逆に島以外に掛けるか。とにかく大掛かりすぎて人知を超えた規模ではあるが。
「ってことは、とにかく海を出て進めば、すぐに島は見えるって事?」
「この島全体が結界のようなものに守られているのだとしたら……外には出られるのかどうか」
「でも、結界って、要するに魔力よね」
魔力なら、フィーアが歪めることができる。
「いや、それも不確実だ」
出られないだけならいいが、結界に干渉する事で何が起きるのか予測がつかない。
「もう少し調べよう。——それにしても、光明が差した」
ラセルは少し離れた所に置いてあるいかだを見た。
明日からまた作業に取り掛かろう。うまくすれば、もう数日で完成する。
「南西諸島かあ……」
貴族と言うのは、王国を出る際には国王の許可がいる。基本的には公の用事なく外国へ行くことはない。まさか自分が南西諸島へ来ることになるとは思わなかった。
「——ラセルの故郷も近いのかな」
「どうかな。故郷と言っても、5歳の時出たっきりだから。俺を知る奴もいないだろう」
ラセルの言い方はそっけなかった。
それからまた、いつもの無人島生活に戻った。
変わったのは、夜を海岸で過ごし、日中は拠点で交代で眠っているという事くらいだ。
夜の海岸もそれなりに快適で、波の音を聞きながらうとうとするのにも慣れた。
海岸で過ごす方が、食料の調達は簡単になった。
いかだが完成した日。
唐突に、夜の海岸に来訪者があった。
はじめ、その影があまりに自然にそこにあるから、フィーアは見間違いかと思った。
結界魔法の歪みで、また幻覚でも見ているのかと思った。
それくらいいつの間にかそこに浮き出たかのように、自然と影が立っていた。
青白い影は人のような形をしていた。けれどあくまでそれは「影」で、ゆらゆらと揺らめきながら、人の輪郭はあっても青くうっすら発光してどんな顔なのかも判別できないほどだった。
焚火を向かい合って囲んでいるラセルの背後をフィーアは指を指した。
「ゆ、ゆうれい……?」
ラセルはすぐに反応し、フィーアを庇うように移動した。フィーアがその背中にしがみつくと、影はふっと笑ったようにフィーアを見た。
笑った?
敵意はないように見えた。だがとにかく得体が知れない。
ラセルは剣を抜くかどうか迷った。ただの光のようなそれが、実体を持って、果たして切れるのかどうか。
「争いは望まぬ」
影は静かにそう言った。
夜の闇に溶け込むような低く落ち着いた、穏やかな声だった。
青白い影が人の言葉をしゃべる事にまず驚く。
「お前は……」
「我は——ふむ」
影が考えるようにじっと二人を見つめた。
「人が我を何と呼んでいたか……随分昔の事でな」
影がすっと指を立てた。その先には影と同じように青白い輪郭が浮かび上がり、手のひら大の龍の形をする。6つの翼を持ち、尾の先が3つに分かれている。経典で見たことのある古代龍だった。
「——黒龍ヘルニヴァス」
「そう、それだな」
名前を呼ばれた途端、影がくっきりと形を持った。光が消えて、人間のような姿でそこに立つ。
黒く長い髪が腰まで無造作に伸ばされており、爪も目も黒い。男とも女とも分からない中性的な顔立ちで、肌だけは透けるように白く闇の中でも目立つほどだった。そして頭には黒い竜の角が2本生えていた。
「我が手下が勝手をしたな」
「………………」
ラセルはフィーアを背に庇ったまま、緊張を解かなかった。
「手下、とはあの魔物たちの事か」
「奴らは侵入者を、ただ排除しようとしたにすぎぬ」
「お前の命令でか」
「まあ、我が眠りについておる間、島を守れとはしておったが——」
黒龍は興味深そうな目をフィーアに向けた。
「誠に面白い。随分と奇異な能力を持っておるな」
ラセルが警戒を強める。黒龍はまた笑ったようだった。
「案じずとも、去る者は追わぬ」
砂浜に置いてあるいかだを一度見てから、くるりと背を向けた。
「なぜ手下どもがお前たちを襲ったのか、教えてやろう。付いてまいれ」
「いや……俺たちは」
別に知りたくないし、危険な事に首を突っ込みたくない。
ラセルは断ろうと思ったが、いつの間にかすぐ目の前にぽっかりと穴が開いていた。
「人間でも使えるよう、階段も作ってやろう」
黒龍がそう言うだけで、階段が浮かび上がる。
考えたものがそのまま形になるようだった。
つまりこの島は、龍の腹の中も同然という事だろうか。
逆らわない方がいいのかもしれない。
ラセルはフィーアの手を取った。
私も生きているうちに南十字星を見に行きたいな…
いつもありがとうございます!




