27 解毒
「攻撃を受けたのは、俺の力不足だっただけだ。気にするな」
「そうじゃないでしょう……」
フィーアを守ったから負った傷に、どうして気にしないなんてことができるだろうか。
「私がいなかったら」
「……変なことを言う」
ラセルは本当に、意味が分からないという言い方をした。
「あんたがいなかったら俺のいる意味がない」
違う。意味がないんじゃなくて。
「だって、移動魔法陣のスクロールはあるじゃない」
簡単な話だ。フィーアから離れて、あれを破ればいい。そうすればラセルは一人無事に王国へ辿り着き、今まで通りの生活を取り戻す。意味がないんじゃなくて、帰れるって言う事だ。
そんなことをしないと分かっている。してくれと言っても断るだろうって事も。
そんな考えが微塵もないのが、ラセルなんだってわかっているけれど。
「そんな無意味な」
ラセルは心の底からそう思っているようだった。
「ラセルは護衛騎士だけど……その命を懸けてまで、私を守る必要はないのよ」
ふ、とラセルの声が漏れて、フィーアはそちらを見た。ラセルは笑っているようだった。
「随分、あっさりしてるんだな」
「どこが……」
「元々俺は死ぬはずの身だ。伯爵様に拾われなければ、処分されていた」
牢につながれた時、ああ、これで俺の人生は終わりだと思った。
つまらない人生だった。
「伯爵様に見出してもらって——それなら、命を繋いだ分だけ、働く、くらいに思っていた。平民の俺に選択肢なんてない。どうせまたそのうち、出て行けと言われる。それまでは、と……」
流浪の者だから。平民だから。異邦人で、刺青があるから。
「子供の時からずっと……どこかに居場所が欲しいと思いながらも、それを見つける事はできなかったし、これから先も……」
それが変わった。そう言いたかったが、睡魔にどうしても勝てなかった。
少なくとも、今死んでもつまらない人生だったなとは思わないだろう——言ったつもりだったが、声には出ていなかった。
「ラセル?」
どうやら、眠ったらしい。意識を失ったという方が正しいかもしれない。
呼んでみても返事はなかった。それでも、さっきよりは随分と顔色が戻ってきているような気がする。
フィーアは濡れた布でラセルの汗を拭った。
居場所がないから。放浪して、たまたま仕事をくれた伯爵家に、愚直に命まで捧げて守ってくれる人。
「貴方は……私にとっては、人生を変えてくれた人」
ラセルを死なせるくらいなら、自分が死んだ方がいい。
いざとなったら。
フィーアは壁際にある鞄を見つめた。
自分が死ねば、ラセルは一人で魔道具を使って帰ることができる。毒も直ちに解毒して元気になるだろう。
1年前。ラセルが来てくれて、世界はまるで違って見えた。
恐ろしいもので溢れていた世界が、わくわくするような楽しいものに変わって、毎日が色を取り戻して行った。人並みの楽しい暮らしをしていけるのだと思えた。
だから無人島に来てからも。安全なラセルの護りの内で、それほど恐怖も不安も膨れることなく来れたのだ。
フィーアは規則的に揺れるラセルの体をずっと見つめていた。
少しの異変も見逃すまいと気を張った。
もし、少しでもラセルが危うくなれば——やることは一つだと決めていた。
ラセルが次に目を覚ましたのは、翌朝だった。
解毒に少しずつ魔力を使っていたつもりが、心地良く抗えないほどの眠りにつくとは。どうやら、解毒の効果が途中からは睡眠に変わってしまっていたらしい。
フィーアが側にいたせいだろう。
そのフィーアは目の下に隈を作り緊張した顔のままだった。
「フィーア様……」
体を起こしても、特に痛みや動きにくさのようなものはない。効果が睡眠に変わる前に、大方解毒は終えていたのだろう。
あるのは重く残っている倦怠感だけだった。まだ解毒が十分に終わっているわけではないのだろう。
「ラセル、どんな感じ?」
立ち上がるのには少し努力が要りそうだ。ふらついたりしたところを見せたらまた心配を掛けそうだから、その場で腕を回してみる。やはり怠いだけで、問題なく動いた。
「大丈夫だ」
「でも、安静にしておいた方がいいわ。朝ご飯、何が食べれそう?お芋掘ってきたらいいかな」
「いや……」
あの火柱以降、フィーアは調理担当から外れている。まだ万全じゃない時に何かあってもフォローする自信がない。
「携帯食料を食べよう。たまには」
「あ、うん」
フィーアは鞄から保存食を取って持ってきた。その中から無難にクッキーを一袋開ける。
フィーアは飲み物を、と言って水筒に水を入れてきた。
「ラセルが、押して」
「なんで?いつものようにフィーア様がすればいい」
「だって……」
「毎朝の楽しみだろ。俺もそう思ってる」
「……………」
フィーアは硬い表情のまま水筒のスイッチを入れた。じじじ、と今日は軽めの音がして、止まる。
竹のコップに出したそれは、白かった。
「これは、まさか……」
ラセルがくん、と匂いを嗅ぐ。
フィーアも同じように匂いを嗅いで、うっと顔をしかめた。
「失敗した……くさい」
「ははっ」
ラセルが明るく笑うから、フィーアはびっくりした。
襲撃を受けて調子も悪く、先行きが暗くなった今。
「これはヤギの乳だ。飲んだことないか?」
「え、これが?牛乳が腐ったのかと……」
「ひでえな」
そう言ってラセルはごくごくとそれを飲み干した。
「懐かしい味だ。農場を手伝った時はこればっかり飲んでた」
フィーアはつられて一舐めしてみたが、かなり、癖が強い。むせ込みそうになる強烈な匂いと、飲み込みにくいような獣臭さに似た味だ。
「こせいてきな……味ね」
「これでチーズを作ってもうまい——が、材料が足りないな。飲み慣れてないと馴染まないか。——俺が全部飲んでいいか?」
「無理してない?遠慮しなくていいのよ」
「してない。懐かしいって言っただろ」
ラセルはそう言って、本当に飲み干してお替わりまでついだ。
「栄養もあるから、携帯食料がいらないくらいだ」
実際、体のだるさで食欲もなかったから、これを飲んで寝てしまいたいくらいだった。
「顔色がまだ良くないわ……」
襲撃のあった場所に留まってはいられない。
「でも、せめて昼の間は……ここにいても大丈夫じゃないかな」
ぽり、とクッキーを食べながらフィーアが言った。ラセルがごくごくとヤギの乳を飲んでいるのを見て、食欲は出て来たらしい。
「——確かに、回復に今日一日費やそうか……」
自分もだが、フィーアの顔色も悪い。
状況が厳しい時ほど、しっかりと休息をとる。行軍の鉄則である。
「潮だまりには言って来るわね」
「いや、休んだ方がいい。俺はもう大丈夫だから、フィーア様も寝て」
「でも、この時間はいつも潮だまりができて来るでしょ?そこだけ見て、何もなかったらすぐに戻って来るわ」
確かに、食料が何かあれば助かるのは事実だ。このまま携帯食料を食いつぶすわけにもいかない。
「じゃあ……通信機を取って来てくれるか」
手元に置いておきたい。
「分かった。電源切って持ってきたらいい?」
「ああ。そうだな。何かあったら——」
「ラセルを呼ぶわ。すぐそこだもの、大丈夫よ」




