26 ラセルの魔力
倒れたラセルを見てはっとする。
ラセルの背中に、針のようなものが刺さっていた。
「ら、ラセル……っ、これ!」
抱かれていたから気づかなかった。ラセルの顔は青いどころか、土気色だった。
「あ、どう、どうしよ……ぬ、抜いてもいいのかしら」
触れていいものなのだろうか。触ってもっと悪化しないだろうか。抜いて血が出たら。
フィーアは震える手を伸ばした。
ばしっ、とそれを押さえられる。ラセルの手だ。恐ろしく熱い。
「どく、だ。さわるな」
掠れた声でそう言って、ラセルは自分で針を抜いた。それを焚火に投げ入れて、またぱたりと力なく倒れた。
「ら、ラセル……っあ、応急セット!」
鞄の中から探し出して持って来る。
箱型になっていて、それぞれ傷を塞いだり出血を止める魔道具が入っているはずだ。ただ……開けたものの、どれがどれだか全く分からない。フィーアがいたら使えないかもしれない。
「ラセル。どうしよう……私、いない方がいいよね……?そしたら魔道具使える?」
でも、離れている間にラセルに何かあったら……。スイッチを入れる元気が、ラセルにまだあるだろうか。
ラセルは浅い呼吸を繰り返している。シャツは破れて、針の刺さっていた部分は、青く変色していた。
「ねえ、ラセル、死ぬ前にどれを使えばいいかだけ、教えて」
フィーアは混乱していた。
「毒……も、燃やすとか?そうだわ。とりあえず全部スイッチを入れて、入れてすぐ私が離れたら……」
どこまで離れればいいだろう。とりあえず海岸まで走って行って。
パニックになって立ち上がったフィーアの足に、ラセルの手が伸びた。
「だいじょうぶ、だから……」
その手は力なく、フィーアの足にぱたりと落ちた。
「死な、ないから。ちょっと……まってろ」
ラセルは呼吸を整えているようだった。
ぽわ、と、ラセルの周りが淡く光る。それがラセル自身の魔力なのだと気づく。
「ラセル……」
青く変色していたラセルの背中が、いつもの色に戻っていった。ラセルの土気色の顔も、まだ血色は悪いが良くなる。
「水……」
フィーアは慌てて水筒を持ってきた。ラセルはわずかに体を起こして、ごくごくと水を飲み干す。その後背中にも掛けて洗い流していた。
「あ、魔力……」
魔力を使って解毒をしたのだろうか。だったら離れなければ。自分が離れたら、ラセルはもっと魔力を使えるはずだ。
そう思ったが、ラセルの手はフィーアの腕を掴んだ。
「ここにいろ、見えるところに」
「魔道具は?」
「いらない。傷は深くないし、毒は、今——中和してるから……」
中和。
「それが、ラセルの魔力特性……?」
ふう、とラセルが息を吐いて上体を起こした。まだつらそうにして、少しふらふらしている。迷いながら、フィーアは体を支えた。
「触れても大丈夫?」
「ああ。俺の、特性は毒だから。毒は、自在に、操れる……」
それにしては苦戦しているじゃないか。やっぱりフィーアが側にいるから、魔力を少しずつしか使えないのだろうか。
「毒では死なない」
「でも……顔色悪いわ。ねえ、ちゃんと寝て」
「問題ない」
台詞とは反対に、気を抜くと意識を失いそうだ。ふっと白目を剥いて、また戻って。意識を失うのと戦っているようだった。
やっぱり離れた方がいい気がする。でも、ラセルはずっとフィーアの腕を掴んだままだった。
「ね……ちょっと、横になって」
休んでもらいたい。ラセルをそのまま横にして、フィーアは自分の寝床から上着を引っ張ってきた。
せめて寝ていた方がいいはずだ。
「ねえ、これ飲んで」
フィーアはラセルにポーションを渡した。
「傷薬と体力回復」
ラセルはしばらく考えてから、それを半分ずつ飲んだ。飲んだらそのまま仰向けになって、目を閉じた。
体が熱い。
周囲が寒くなって来たのに、ラセルの体は燃え上がりそうなほど熱かった。それなのに汗一つかいていない。
フィーアは急いで水場へ行って、タオルを水で濡らした。冷たいそのタオルを持って、ラセルの傷口に当てる。
フィーアにはもう、原始的に看病するしかない。その看病だって、フィーアにはどうしていいかよく分からなかった。
ラセルは意識こそないが、呼吸は比較的穏やかだった。
傷薬に代わるものだったら、採集してある。ハーブの一種で、殺菌効果のあるものを採って干してある。
フィーアはそれをすりつぶした。焚火でお湯を沸かして、薬草をペースト状にする。
どれくらい効果があるかわからないけれど。ないよりはいいはずだ。
深く昏睡状態のように眠るラセルの傷口に、それを慎重に塗った。
意識がないのに、険しい顔をしている。苦しいんだ。
フィーアはぎゅっと歯を食いしばりながら作業を続けた。
ラセルはしばらくして目を覚ました。
「ラセル!」
ほっとしたフィーアの顔が、ラセルをのぞき込んでいる。
まだ、真夜中のようだった。暗闇が深い。
襲撃からどれくらい時間がたったのか分からないが、体は鉛のように重かった。
まだ解毒の途中だ。少しずつ分解しているから時間はかかるが、それでも確実に良くなった。
「どれくらい……寝てた」
咄嗟に周囲を確認する。意識を失うだなんで、不覚だ。それでも静まり返った周囲に危険なものがなさそうで、取り敢えずほっとする。
「1時間くらい」
身動きすると背中からぱらりと布が落ちる。
「これは――」
「あのハーブを塗ってみたの。他に何すればいいか、分からなくて……」
しゅん、としているが、できる限りの事をしたんだろう。濡れた布を見れば、慣れない手でずっと看病してくれていたのだと分かる。
落ち込むなら自分の方だ。護衛対象を放って気絶するなど。
「あ、まだ動いちゃだめよ」
体を起こそうとしたら、ぐるりと視界が回った。そのまま、また地面に寝転がる。
解毒がまだ思うようにできていないらしい。思ったより時間がかかっている。かなり強力な毒だったらしい。あの魔物があっさりと引き下がったのも、あの触手の先に合った毒針でラセルを捉えたと思ったからなのか。
「何かできる事、ない?」
フィーアの顔色も良くなかった。
俺の事はいいから、フィーアも寝るように言いたいのに。痺れて思うように舌が動かない。
「ポーションが作れたらって思ったんだけど……うまく、いかなくって……」
フィーアの手には水筒が握られている。
慣れない看病で疲れているのかと思ったら。この1時間、ポーションを作ろうと水の魔道具に魔力を注ぎ続けていたのだろうか。
「——それはもういいから……」
「できることない?私が……」
できることは、何も。
お荷物でしかないと分かっているけれど。具合の悪いラセルを見ているしかできない。
——ああ、また。
泣きたくないのに。涙がこぼれてくる。
「フィーア様……」
自分を見下ろし、ぽろぽろと涙を流すフィーアをラセルも見つめた。
「あの……俺、死なないから」
「当たり前でしょう!縁起でもないこと言わないで」
フィーアはびっくりしてそう言ったが、泣きながら枕元に立たれると、どうも臨終に際した人間のように扱われている気がしてくる。
「寝れば治る」
そう言ってラセルは目を閉じた。
解毒が進んできて、朦朧としながらもふわふわとした心地になっていた。
このまま寝てしまえばいいのだが、襲撃の後に呑気に眠っているわけにもいかない。喋っていなければ意識を失いそうで、ラセルは紫の瞳に一杯の涙を浮かべるフィーアを見上げた。
涙に滲んで、本当に紫水晶のように光っている。




