25 襲撃
ビビビビビイーー!
けたたましい警告音が鳴る。遅ればせながら、今更探知機が鳴ったらしい。チラリと見れば、探知機はこの洞窟を取り囲んだ群衆を表示していた。点の数が数十個ある。
ぎ、ぎぎぎ……。
暗闇の中、目を凝らすと、赤い目が無数にこちらを向いている。
谷の洞窟で一瞬目にしたあれは、やはり見間違いではなかった。
「魔物、か……?」
咄嗟に飛びかかってきたものを切り落とし、切って落ちたし手応えもあったはずだ。しかしその落ちたものは、またあっという間に暗闇に消えて行った。
ラセルは持っていた結界の魔道具を作動させた。
フィーアがいて、どれくらい使えるかはわからない。もしもの時にと用意だけはしていた。ないよりはいいだろう。代わりに探知機と隠匿の魔道具の電源を切る。
探知機の警告音が止み、一瞬の静寂の後——四方から何かの泣き声が聞こえた。
ケー、グアー!グアアアアアー!!
初日の夜に聞いた鳴き声だ。
黒い影が飛翔し、一直線にラセルらに襲いかかる。——が、何かに弾かれた様に跳ね返されて飛んで行った。結界がちゃんと発動しているらしい。
油断はできない。ラセルは洞窟の中に入って、焚火から少し距離を取った。
洞窟のお陰で、おそらく背後は安全だ。襲ってくるとしたら前方からのみ。
焚火に近すぎると暗闇が深くなる。経験上、焚き火を消してもいいくらいだったが、そこまでの余裕はなかった。
「一体、なに……?」
フィーアは洞窟の隅で丸くなっていた。
「わからない。一瞬見た感じでは、魔物、か……」
それほど大きくはない。暗い上に素早くてまだ姿を捉えきれない。
モワン、と音がして結界の一部が歪んだ。フィーアの特異体質の影響だろう。
その歪みを見逃さず、瞬時に黒い塊が入ってくる。今度は薙ぎ払わず、剣で突いた。
素早いラセルの一突きで刺されたのは、黒いイタチのような獣だった。全身真っ黒で、目だけが赤く光っている。
これは——おそらくは、魔物だ。腹を刺されながらも、牙を剥きながら威嚇している。禍々しさというか、凶暴さが際立って見える。
ラセルはさらに剣を一振りした。地面に放り投げると、魔物はやがて動かなくなった。死んだか、と思うと、溶けるように形がなくなって、魔石のようなものが残る。
「——うわ、食べられないんだ……」
フィーアが小さく呟いた。
恐怖にパニックになられても困るが、感想がそれなのか。
ラセルは警戒しつつ、もう一つ魔道具を取り出した。照明弾のようなものだ。
暗闇の中、ここだけ焚き火があるのは、狙ってくださいと言っているようなものだ。向こうからは見えるのに、こちらは見えない。
辺り一面を照らして、この目で敵の様子を確認したかった。ただ——照明は広範囲にわたらせると、どうしても使用魔力が多くなる。フィーアの体質との相性がどうか。
一か八か——そう思い、電源を入れて魔力を込め、洞窟の外に向かって投げた。
照明弾の魔道具はゆっくりと弧を描いて、それから眩しいほどの光を放ち、空中で止まる。
照らされた先を見てギョッとする。周囲の地面は魔物だらけだった。照らさなければよかったと思う程の、黒い無数の影がうごめいている。
もぞもぞと動くそれは、爬虫類のような奴らもいれば、小動物のようなものもいる。皆一様に赤い目をしていて、眩しそうに身を縮めた。
片っ端から切り付けていくか。戦闘力はそれほど高くなさそうだ。現に、眩しさだけで怯えて逃げようとしているものもいる。
何か威嚇でもすればいいのか。そう思っていたら、空中に放った照明がまたゆらりと揺れた。
せっかくの明かりが、やはりだめか——そう思うと、照明からゆらゆらと何かモヤのようなものが浮き出てきた。
光が何かをかたどって、それはまるで本物のような——ドラゴンに形を変えた。鱗の一つ一つまで眩しく、神々しいドラゴンの——幻影だ。巨大な光のドラゴンは空中をぐるりと一周したかと思うと、大きな口を開けた。
ゴオオオオオオ。
張りぼてかと思ったのに、その威嚇するような咆哮は地面を揺らす。
キャッ、キャアア、ァァ——!!
魔物たちが悲鳴のような泣き声をあげた。それを皮切りに、蜘蛛の子を散らすように散らばっていく。中には尻尾をすっかり丸めているのまで見えた。
張りぼてのドラゴンに恐れをなしたようだった。
結果的に大掛かりな幻影魔法になった。
それでも逃げなかった一部の魔物が、また襲いかかって来ては、結界で弾かれていく。
バシュッ、バシュ、と鋭い音がしては、遠くでキャン!と鳴いて走り去っていく。
歪みから中に入って来た魔物は少数だから、ラセルも落ち着いて切り捨てて行ける。
剣舞でも見ているかのような無駄のない動きに、フィーアはすっかり見とれていた。
そうして何匹もの魔物を石に変えた頃——。
ザ、と土を踏む音が聞こえて、ラセルははっとしてそちらを見た。
小動物の足音ではない、大きな足音だったからだ。
「な……」
今までの小動物とは違う。この島で、今まで見たどの生き物よりも圧倒的に大きい。黒い狼のような熊のような、どちらともつかない生き物だった。
そいつが出てきたら、小さい奴らが一歩下がったように見える。ボス、なのだろうか。
大きさは熊のようで、体もそのようだったが、頭部は狼にそっくりだった。目はやはり赤く、こちらを窺うように見ている。その落ち着きと、あたりを観察しようとする動きも、明らかにこれまでよりも知性の高い魔物だった。
じりじりと距離をはかっている。この魔物は光のドラゴンが幻影だという事にも気づいていたし、結界のどの部分に穴が開いているのかも気づいているようだった。
トン、と地面を蹴ると、するりとその中から入って来る。一気に緊張を高めるラセルだったが、間合いには届かない場所に降り立った。
姿勢を低くし、構えている。襲いかかってくるのかと思ったら、ゆらりと魔物の輪郭が崩れ、そこから黒い触手のようなものが伸びた。グネグネと予測しづらい動きをしながら襲いかかってくる。ラセルはその一本一本を確実に、フィーアに近づく前に切り落としていった。
きりがないほどに何本も、休みなく襲いかかってくる。避けるわけにも行かず、ひたすら剣を振り続けた。
この触手の素早さは、人ではありえない速さだ。対人の戦闘に慣れているラセルにとってはかなりやりづらい。動きが予測しづらかった。
切っても切ってもきりがないから、本体になかなか辿り着かない。分け入って進もうとする中で、ふと、魔物が口を開けているのが見える。
魔力を——溜めている。
魔法攻撃される——ラセルは咄嗟にフィーアの前に飛んだ。
「ラセル!」
自分を庇うように跳ぶから、魔物に背後を向けることになる。
そんなのは、ダメだ、やめて——そう叫びたくて、手を伸ばす。
魔物の口から、炎のようなものが揺らめいた。普通の日ではなく、青くて、熱くはなさそうな不気味な炎の色が見える。それが次第に大きくなって、二人に向かって一直線に放出される。
どうすれば防げる……!
ラセルはフィーアを抱き寄せた。間に合うかどうか——と思ったら、炎は到達する直前に、しゅん、と掻き消えた。
なぜ寸前で消したのか、と思ったが、魔物の意思ではなかったらしい。
掻き消えた炎を見て、魔物自身も驚いたような顔をして、ラセルとフィーアを交互に見ている。
「——諦めろ」
とっさにラセルは言った。腕の中、フィーアを隠すようにして抱えながら剣を向ける。通じるかどうかは分からないが。
「俺達に、敵意はない。去るのなら追わない」
通じたのか、魔物は迷っているようだった。
ちら、と幻影のドラゴンを見上げて、焚火をじっと見つめる。
眉間にしわを寄せたように見据えられていると、本当に会話でもできそうな表情だった。
魔物は空に向かって、吠えた。
様子を窺っていた魔物たちが、その声に弾かれたように一斉に立ち去っていく。
その魔物もひらりと身軽に結界を飛び越え、闇の中に消えていく。あっという間に姿が見えなくなっていった。
固唾を飲んでその様子を見ていたラセルとフィーアは、何事もなかったかのように静まり返った拠点で、いつまでもじっと立ち尽くしていた。
しばらくしてようやくラセルがフィーアを抱いていた腕の力を抜いた。魔道具を戻し、結界と照明の電源を落とす。
もう大丈夫という事だろうか、そう思い、フィーアはラセルを見上げた。
「ラセ——」
次の瞬間、ラセルの体がその場に崩れ落ちた。




