23 私も泳ぎたい
結局トカゲがいなくなってからも、ラセルはすっかり食欲をなくしてしまった。
朝食に果物だけをフィーアに用意して海に行ってしまった。
気分転換に少し泳ぐらしい。
探知機は念の為置いて行くと言われたが、魔物には効かないかもしれないから、何かあれば大声を出せと言う。
青い顔をしたまま、果物の皮を剥いでカットまでしてから行った。
そんなのいいのに。
ラセルは結構世話焼きだと思う。
それでも、無理してここにいるんじゃなくて、フィーアを置いて行ってくれたのは良かった。
フィーアはシャリシャリとしたみずみずしい果物を口にした。さっき剥いた貝は並べて干してある。保存食にする予定だ。
魔物、というと仰々しいが、見た目は可愛かった。
その見た目のせいか、特に恐怖心も湧かない。意外と、普通の獣と変わらないんだなと思う。フィーアはゆっくりと朝食を摂って、後片付けをしてから海に向かった。
海辺はまだ焼き付けるほどの日差しもなく、涼しい風が吹いていた。
潮だまりはまだ海と繋がっている。
フィーアはラセルの姿を探した。
すぐにその姿は海面に見つかる。結構沖の方で泳いでいた。茶色い影がぱっと現れては、また潜っていく。
近づいていくと、ラセルもこちらに気づいたようだった。沖の方から泳いで、あっという間に岸の方へやって来た。
バシャバシャと水しぶきを上げながら海から上がってくる。水の滴る髪を全て後ろに撫でつけながら、手には竹で作った銛を持っていた。
「——朝食は、足りたか?」
「十分よ」
昨日より質素な朝食になってしまったことに責任を感じているらしい。
「昼に、また魚を焼こう」
「夜でいいわよ?私、ここに来てむしろ太った気がするもの」
「それはないだろう」
お腹のお肉をつまんでみる。やっぱり、コルセットもしていないし、ここにしっかりお肉がついている気がするんだけど。
「潮だまりは——まだだな。釣り——あ、虫を採ってない」
「あ、ねえ、それより」
忙しく虫でも取りに行こうとするラセルを呼び止めた。
「私も泳いでいい?」
「泳げないだろう」
「泳いでみたいの。やっぱり、無人島で泳げないっていうのは良くないと思うのよ」
「……………」
ラセルは少し考えてから、それもそうかと思ったらしい。頷いたのをフィーアは見逃さなかった。
「いいの?」
「ああ。島を出るとしたら、泳げた方がいいだろう」
そう言って、ラセルは上半身のシャツを脱ぎ捨てた。海水ですっかり濡れたシャツが、べしゃっと砂浜に投げられる。初めてちゃんとラセルの刺青を見た。胸から肩、背中にかけて何かの古代模様のような模様が描かれている。
隠すのはやめたんだ、とフィーアは思った。
よし、とフィーアもワンピースを脱いだ。ラセルはぎょっとしたが、その下には短いシャツのような下着を着ている。上下ちゃんと着ているのだからいいだろう。ワンピースではとても泳げない。
「とりあえず、見てるから水に入るといい」
「わかったわ!」
ラセルが遠くを見ながら言うのに対し元気よく返事をして、フィーアは海の中へ入って行く。遠浅の海岸で、しばらく沖の方へ行っても足が付く。胸のあたりの深さの場所まで来て、フィーアは飛んでみた。
さっき、ラセルがしていたように、浮きたいのだが……。
「——ねえラセル!これって、どうやったら浮くの?」
「力を抜けば浮く」
「力を……」
フィーアは言われたとおりに力を抜いてみたが、何も起こらなかった。
「ラセル?浮かないけど?」
「力が入っているからだ」
「……………」
「……………」
しばらくお互い、黙ったまま向き合っていた。
どうあっても浮きそうにない。
ラセルがはあ、と息を吐いてフィーアの側まで泳いできた。
「いいか。人間の体は、息を吸い込んでいれば普通は浮く。浮かないのは、力が入っているからだ」
そう言ってラセルは横で浮いて見せた。
「まずは、潜ったり歩いたりして、とにかく水の中で体を動かしてみろ。魚もいるし、水の中で目を開けてみたりして水に慣れるといい」
ラセルは意外にも、かなり懇切丁寧に、真剣に教えてくれた。
フィーアが水に慣れて来るまでは側でずっと見守ってくれた。フィーアが顔をつけられるようになって、水の中で目を開けられるようになったら、手を取って引っ張ってくれた。これが、結構楽しい。
「力を抜け」
「は、離さないでね」
「離しても足は付く」
「そういう問題でもないのよ」
ラセルが後ろ向きに歩くと、体がふわりと浮く。手を離されると沈むものの、何となく、浮くというのがどういうものなのかは分かった。そのまま顔をつける練習もしてくれた。
ラセルの腕に掴まってぷかぷかと浮いてみると、波の動きが心地いいと感じる余裕さえあった。ラセルの腕は太すぎて掴むのが大変だったが、ラセルはフィーアを引っ張りながら、海底の地形を覚えているようだった。
間近で見ると、刺青も不思議だ。くっきりと模様になっているそれが褐色の肌の上に描かれている。服を着ていないラセルの肌は、筋肉が隆起していて、頼もしくて、少しどきどきして。でも楽しい。
楽しんでいるうちに体が浮くのが分かって、泳ぐとまではいかないが、一人でも浮くことはできるようになった。
そのうち浮いているフィーアの横で、ラセルは銛で魚を2匹捕まえていた。どうやって捕まえているのか見たかったが、あっという間に泳いで潜ったと思ったら、次の瞬間には銛に魚が刺さっている。
今日は釣りの必要がなさそうだった。
太陽がてっぺん辺りに昇った頃に、フィーアは砂浜に寝転がった。
まだ遊びたかったが、ラセルが休めと言うから。
「水の中では思っている以上に体力を消耗している」
そう言われた通り、確かに陸に上がると膝が笑っていた。
フィーアはそのまま熱い砂浜にダイブして、寝転がった。
「あー、気持ちいい……」
泳いで冷えた身体に砂浜の熱さが気持ちよかった。ラセルは拠点に戻って水を汲んでから帰って来てくれた。干してあった貝も少し持ってきてくれて、それをおやつ代わりにつまみながら休憩する。
「すごい、バカンスみたい」
「バカンス……」
「泳いで、軽食を楽しみながら、休日を過ごすって情報誌に書いてあったわ」
魔道具必須の旅行なんて、夢のまた夢だったから嬉しい、と言うようだった。
「泳いで、軽食……」
多分こんなんじゃないぞ、とラセルは思った。
「泳いじゃダメって言うかと思った。教えてくれてありがとうね、ラセル」
「いや……」
確かに海に入るリスクはあると思う。海の中の生き物への警戒もしないといけないし、何より、泳げないフィーアが海に入るというだけで、目が離せない。
だが。
ラセルは今朝、一日も早く脱出の方法を探そう、と決心した。拠点を構えて救助を待とうかと思っていたが、積極的に脱出の方法を探ろうと思った。
一番可能性が高いのはいかだを作って海を渡ることだ。ここが世界地図のどのあたりか分からないからどの方角に進めばいいかもわからないが。
だが、あんな巨大なトカゲのいる島に、正直もう少しも滞在したくなかった。
「そう言えば、ラセルの魔力特性って何なの?」
寝ていると思ったら、フィーアは目を閉じたまま言った。
「あ、言いたくなかったらいいのよ?使う様子ないから、私のせいなのか、使うような魔力じゃないのか、と思って」
「別に……言いたくないことはないが」
「戦闘系?」
軍人には戦闘系が多い。特に炎や雷と言った直接攻撃に使えるものがあれば、かなり強い。他にも筋力や体力を増強したり、鋼のように肉体を強化したり。実際、パーデンオスにはそういう軍人が非常に多かった。
「残念ながら、違う」
そもそも、魔力で相手を倒す魔力だったら、雇われていないだろう。フィーアの側で使うことができないのだから。
「俺は魔力なしで戦うしかできない。魔力は……まあ、使う時が来ないのを祈る」
どの道フィーアの側では使えないし、言う程のものじゃない、と言う。
それ以上はマナー違反かなと思い、フィーアは深く聞かなかった。




