21 静かな夜
片付けも終わって、二人は焚火を囲んで座った。
ラセルが生物探知機と隠遁の、二つの魔道具の動作を確認して、また少し離れた所に置く。
「反応はないのね。探索はどうだった?」
珈琲を竹のコップに入れて、フィーアはラセルに渡した。ラセルはそれにアルコールを少し垂らして飲んでいる。体が温まるらしいから、フィーアもそうしてもらった。
「何かはいると思うが……目視では確認できなかった」
「何か……。夜、鳴いていたものね」
洞窟があったこと、探知が一瞬反応したこと。無数の赤い目のようなもの——どれも、ここで言ったところで不安を煽るだけだと思うから、言うつもりはなかった。
「小さな生き物はいるようだが……警戒心がかなり強くて。深追いするものでもないしな」
一瞬見えたウサギかイタチかわからない白い影。それにしても、外敵がいなければあそこまで警戒心が強くはならないだろう。痕跡をほとんど残さないほどに隠れて暮らしている。
あの小さな獣は何に怯えているのだろう。
やはり、あの谷の先——地下洞窟か何かなのだろうか。
「食べたいなら、明日追ってみようか」
「えっ、ウサギを?別にいいわ」
フィーアは食べたいと言うのなら狩猟がてら探索に力を入れようかと思ったが、そこは魚でいいらしい。
「そうか」
ラセルも深追いするつもりはなかった。
初めはややぎこちなさのあったこの話し方も、ラセルはすぐに慣れた。敬語を使わないと余計な頭を使わなくていいからやはりすごく楽で、心なしか口数も増えたようだった。
フィーアもそれが嬉しい。
「わ、この珈琲すごく美味しい」
フィーアがまじまじとコップの中の珈琲を見る。
「これってお酒のせい?フレーバーがついたみたいで、今まで飲んだことのない味」
ラセルもごくりと飲んだ。流石は高そうな酒なだけあって、美味しい。珈琲の香りにもよく合って、温かい喉越しと鼻に抜けるアルコールのフレーバーと共に、すぐにぽかぽかと体を温めてくれた。
ラセルは刃物の手入れを終えたら、釣り竿の改良に取り掛かった。
釣り針の予備を作り、騎士服についていたボタンで重りをつけ、釣り竿は持ち手を研磨して持ちやすくする。
その様子をじっと見ていたら、フィーアは退屈していないようだった。
「帰ったら……釣りが趣味になりそう」
ポツリと呟く。
「釣り……令嬢の趣味としては、あまり聞かないな」
「そうね。でも、きっと私、ここでの生活が懐かしくなると思う」
すこし温まった顔で、フィーアはふにゃりと笑った。リラックスしているようだ。
余程ここでの生活が快適だと言われているようで、ラセルにとっては意外だった。
早く帰りたくて仕方ないと思っていた。不安に押しつぶされるから考えないようにしているのだと思っていた。だからこそ、空回りしがちなほど働いている。
家族や領地の事を話題に出さないのはわざとだと思っていたから、敢えてラセルも口にしなかったのだが。
「無事に帰れたらの、話ね」
その笑顔は無理をしているようで。
「帰れる」
しゅっ、と手元のナイフを研ぎながら、ラセルははっきりと念を押した。
「だから今は、この生活を、思う存分楽しめばいい」
「うん」
きっと、ラセルと一緒だったら、両親も少しは心配が和らいでいるはずだ。そう思って護衛騎士に付けたのだから。そしてフィーアも、ラセルがきっと領地まで守って連れて帰ってくれると確信している。
半分はそう思い込もうとしているけれど、もう半分はちゃんと、心からそう思えた。
だからきっと、そんな風に言えたのだろう。
「ラセルと出会えて、本当に良かった」
酔っぱらってるのか?
そう思ってラセルは手を止めた。フィーアは特に顔も赤くなっていなかったが、ご機嫌なようだ。ドレスの上着を肩に掛けて、焚火に当たりながら両手でコップを持って、ちびちびと珈琲を飲んでいる。
ふいに、周囲が静寂に包まれる。
しん、と静まり返って、虫の声も止んだ。それだけではない。
完全なる、静寂だった。
ラセルとフィーアお互いの呼吸の音だけが聞こえるような気がした。一瞬警戒を強めたラセルだったが、すぐに目の前の魔道具に気が付く。
隠遁の魔道具が、いつもは青い光を放っているのに、今は黄色く揺らめいていた。
「どうかしたの?」
「いや……魔道具が、誤作動を起こしているらしい」
「え」
「気配を消すはずが、音を全てかき消しているようだ」
「あら……確かに、随分静かね」
音をかき消してしまうだけなら、まあ問題ないか。そう思い、ラセルは作業を続けた。
ナイフを酷使しているから、良く研いでおかないとすぐに切れ味が悪くなる。潮にもさらされているから余計だ。幸い、パーデンオスからの支給品であるこのナイフは一級品で、あと数年は保ちそうだが。
しばらくはラセルの立てる手入れの物音だけが響いた。
ふう、とフィーアが息を吸い込むのすらよく聞こえる。その呼吸の音にラセルは何気なく手を止めた。
「昔……お屋敷が燃えてしまったことがあったの」
フィーアは上の星空を見上げていた。
「普段はお屋敷もお庭も明かりがあるから、あの日、お屋敷が燃えた日……明かりがなくなって、星がものすごくたくさん見えたの。いつもよりたくさん」
ラセルもつられて上を見上げる。
「それでも、これほど多くはなかったわ」
見上げると、今日フィーアが上げた火柱のお陰で、星空が広がって見えていた。
焚火から少し離れると、その星が瞬いているのが分かる。砂の数ほどの星が散らばっていて、じっと見ていると時折流れ星まで見えた。
星をよく見れば、ここが地図のどのあたりなのか分かるのかもしれないが、あいにくラセルに星を読む知識はなかった。
「きれい」
「ああ」
「あの日も、皆すごく大変そうで。私、何となくわかったの。自分のせいだって。それで、誰かが怪我をしていたらどうしようって、怖くて怖くて。人のいない所に逃げたの。こんな風に静かなところだった」
屋敷が燃えたのはまだフィーアが4歳くらいの頃のことだったと聞いている。その時の話をフィーアの口から聞くのは初めてだった。幼い時の話だし、覚えていないかもしれないとシュバイツも言っていた。きっとフィーアはずっと一人で抱えていたのだろう。
特異体質の事に関しては、フィーアにはそういう所があると、最近何となく気づいていた。
「これだけ静かだと、やっぱり少し寂しいわね。笛がいるかしら」
フィーアが困ったように笑って見せるから、ラセルは少し考えた。
自分には笛の作り方は分からない。そんな風流な趣味はないし、周囲にもそんな奴はいなかった。穴を開ければいいというものでもないだろうし。
ふと思い立って、水場まで降りて巻貝を持って帰って来る。中身を洗って干してあった巻貝の貝殻だ。
「耳に当ててみろ」
「え?」
こう、と言うように、ラセルは自分の耳に当てた。それでもまだ不思議そうにするフィーアに、そっと貝を耳に当てる。
「目を閉じて」
フィーアは言われるままに目を閉じた。
しんと静まり返った空間に、冷たい夜の風。そうするとラセルの温かい手がじんわりと顔に感じられた。
そして、貝の中から、ゴウ、という音と共にうっすらと聞こえてくる音が——。
ザザ、ザザザ、と言うような、不思議な音がした。
「これ……」
「海の音がするだろう」
低いラセルの声が、もう片方の耳から聞こえた。すごく近くに感じて思わず目を開ける。いつのまにかラセルは並んでいた。
「不思議……貝殻からどうして」
「巻貝には、海の記憶が詰まっているからな」
ラセルにしては珍しく、ロマンチックな言い方だった。
それが冗談のようでもなく。
慈しみのような優し気な目の色で見つめられて、フィーアは胸がどきりとなったような気がした。
再び、目を閉じて耳をすませる。
この時間が居心地が良くて、心の底にある不安も包み込んでくれるようだった。
フィーアはしばらくずっと、そうして貝殻の波の音を聞いていた。
巻貝をほら貝みたいに笛にしたら、ブォーってなるからそれはそれで楽しいかもしれない。
ロマンチックさは皆無だけど。
いつもありがとうございます!




